――近年は沖縄県内の小中学校や児童養護施設を巡り、歌を届ける活動に注力されているとのこと。今回配信リリースされる楽曲「あの人の声」も、そこから派生したものかと思います。まずは玉城さんがそういった活動をするきっかけから教えていただけますか?

「きっかけ…話すと長くなりますよ〜(笑)」

――大丈夫です(笑)。

「本当に、ここ数年間が、私にとって深くて長いものなんです。Kiroro20周年を迎えたのが2018年だったんですけど、それが終わった2019年、自分はこれからどういう音楽を作っていけばいいのかわからなくなってしまって。どんな歌を歌いたいのか、どういう生き方がしたいのか、自問自答した時期があったんです。そこで、自分の心が動くところに行ってみようと思い立って、ご縁があったマレーシアの児童養護施設に行ったんです。チャリティーコンサートにも出演して、その後もマレーシアの子供たちのために何かしたいと思っていたんですが、“ちょっと待てよ”と。自分の生まれ育った沖縄県の子供たちはどうなのかな?と思って。それで、いくつかの児童養護施設を見学しました。そうこうしている間に、読谷中学校から“子供たちと一緒に曲作りをしてくれませんか?”というお話をいただいて、「命の樹」という歌を作りました」

――「命の樹」は2004年に病気で亡くなった男子生徒のために植えられた桜の木をモチーフに、玉城さんの母校でもある同校の学生さんたちと一緒に作られた曲ですね。

「はい。2020年春に卒業を迎える当時中学3年生の子たちと制作したんですけど、ちょうど作った頃にコロナ禍になってしまって。そこでまた今、私がここでできることは何だろう?と考えて、子供たちに歌いに行こう、と。たいして弾けなかったキーボードを頑張って練習して、読谷中学校の放送室からみんな頑張ろうね。コロナ禍を乗り越えようねって呼びかけたんです。それがきっかけで、子供たちに歌を届けていこうって(県内の学校を)回るようになりました。それが、今も続けている特別授業になります」

――なるほど。そうした活動の原点がマレーシアでの経験だと思うと、それが玉城さんにとってとても大きいものだったことがうかがえます。

「そうですね。現地の子供たちとの出会いもですし、今回リリースする「あの人の声」も、沖縄にある『島添の丘』という児童養護施設の子供たちと一緒に作ったんですけど、そこに友人が働いていて、以前から“子供たちに会いに来て”ってたびたび連絡をもらっていたんです。でも、なぜか怖くて行けなくて…行って、自分がどんな気持ちになるかわからないし、どういうメッセージをしていいのかわからない部分があって。だけど、マレーシアに行って、子供たちと交流を持ったことで、沖縄の子供たちのことも知りたいと思えたので、私にとってはすごく大きな出来事でした」

――今回の「あの人の声」を制作することになったのは、『島添の丘』で働いているお友達からのお声がけだったんですか?

「そうです。施設には、壮行会と言って、18歳になって施設を出て独り立ちする子供たちを送り出す会があるんでね。普段なら大きい会場を借りてやるところを、お話をもらった2021年はコロナ禍のため園内でやることになって。どうにか盛り上げたいから、卒園する8人と一緒に曲を作ってくれない?と連絡をもらったんです。それで、オンラインで卒園する子たちと話して、あなたたちが感じてきたことを、どんなことでもいいから私に届けてちょうだいと言ってメッセージを書いてもらいました。それをまとめる形で書いたのが、1番の歌詞です」

――続く2番の歌詞は、この曲が、琉球放送(RBC)が10年前から児童養護施設で暮らす子供たちを支援するキャンペーン「応援18の旅立ち」の2023年キャンペーンソングに起用されるにあたり、新たに職員の方々にヒアリングして書き直したそうですね。なぜ、そうされたんですか?

「壮行会に向けて歌詞を書いたとき、1番には子供たちの心の迷いや葛藤がたっぷり入っているので、そのまま送り出すというより、ここで愛情を持って育てられたこと、これからも見守っているよっていうこと、そういう愛の言葉をちゃんと残して入れてあげたくて。1番に、彼らが頑張ってきた思い出の言葉を詰めたから、2番は彼らがこれから生きて行く上での応援歌になってくれたらいいなってことを私の中で想像しながら書き始めました。でも、それが私の中で腑に落ちていなくて。本当はもっと早くにレコーディングする予定だったんですけど、踏み切れなかったんです。そんなときにRBCさんのキャンペーンソングに選ばれることになり、納得がいく2番を完成させようということで、改めて職員の皆さんにお話をうかがいに行きました」

――腑に落ちていなかった部分は、2021年当時の歌詞と現在の歌詞とで大きく変化していたりするんですか?

「伝えたいことは、根本的には変わっていません。でも、私が最初に書いたものは、持っている時間はみんな同じだから、自分の時間は大切にしよう、自分らしく生きていこうっていうようなことを書いていて。それがなぜ引っ掛かったか?って言うと、例えば、今この場所にいて、こうして話をしている私たちは、生き方は違うけど“命がある”っていうのは一緒じゃないですか。そのことを伝えたかったんですけど、“持っている時間はみんな同じ”ってなると、命の長さってみんな一緒なわけじゃないから、その表現は違うなと思って。それでずっと悩んでいたんです」

――なるほど。2番の歌詞では<あなたを今も これからも信じてる>とか<あいたい時には帰っておいでね>というフレーズもあって、これは送り出される人たちに響くというか、心強く感じるだろうなと思いました。

「そうですね。職員の方に改めて会いに行って、最初に書いた歌詞とは違う言葉を彼らから引き出せたのはうれしかったです。それに、RBCさんがそういう活動をしていると知った時点で、“この曲が流れたらいいのにー!”って思ったんです(笑)。「応援18の旅立ち」にピッタリなのにな〜って。そういう意味でもうれしかったです」

――また、今回新たにコーラスを加えたそうで、歌っているのは「島添の丘」の子供たちと職員のみなさん。コーラスを入れようと思った理由を教えてください。

「キャンペーンソングになると決まったとき、絶対に(コーラスを)入れようって思ったんです。そう思った理由は、なんて言えばいいのかな…私もそうだったんですけど、自分が悩んでるときって、自分だけが辛いと思いがちじゃないですか。でも、実際はみんなそれぞれにいろいろあったりして、例えば上の世代の人が経験したことが、後輩のいいアドバイスになったり、いい応援になったりすることもあって。だからこそ、数年前の卒園生が作ったこの曲も、今の後輩たちが聴いてくれているし。逆に、今回のコーラスを子供たちが歌うことによって、先輩もまた頑張ろうって気持ちになると思うんです。愛情というか、優しさというか、そういう素敵な循環が、このコーラスを通してできたんじゃないかなって思います」

――冒頭で“自分はこれからどういう音楽を作っていけばいいのかわからなくなってしまって、自問自答した時期があった”とお話しされていましたが、その時期のことをもう少し詳しく教えていただけますか。

「そうですね…。私が初めて曲作りをしたのは中学3年生のとき、風邪をひいたお母さんにプレゼントするためだったんです。それが「未来へ」という曲で。その後も1年に1曲ずつ、プレゼントするために曲を作っていたんですけど、デビューしてからプロとしての曲作りを始めて、たくさん曲を作れるようになっていったんですが、さっきも言ったKiroro20周年が終わって自問自答したとき、もう一度心揺れ動くところで歌いたいとか、自分が初めて曲を作ったときのような作り方をやってみたいと思ったんです。なので、意識してアンテナを張って、自分の心や興味が向くことにチャレンジするようにしていました」

――それがマレーシア訪問や沖縄での特別授業につながっていくことになるんですね。でも、今うかがった玉城さんの音楽の原点はお母様へプレゼントするための曲だったことを思うと、『島添の丘』の卒園生8人のために作った今回の「あの人の声」は原点回帰とも言えるというか…。

「アルバムを作ってきたときも、毎回原点回帰のイメージはあったんです。とにかく自分が納得する歌を作ろうって気持ちで、ずっと作ってきました。でも、確かに私自身はやっぱりプレゼントとして曲を作っていたのが始まりなので、「あの人の声」を作るときも、たくさんにではなくて“その人たち”という想いで作るように心掛けました。それに、この曲の広まり方が本当にいい形で広まってると言いますか…」

――というと?

「「あの人の声」における私自身の目的は、『島添の丘』の子供たちに届いた時点で達成したと言ってもいいくらいなんです。それでも周りが“聴きたいよー”とか“この曲を手元に残しておきたいよー”と言ってくれるのは、高校生の頃と一緒。高校生の時、学校を卒業したら音楽はやらないかな?と思っていたけど、音源を欲しいと言ってくれる人がいて、じゃあ、きれいに録ろうかってレコーディングしに行ったら、そこで“インディーズで出しませんか?”って声をいただいてCDにすることができたんです。今回も、曲を作って、みんなが感動してくれて、せっかくだから残したいってなって。派生の仕方が似ているから、すごく良かったなって。こういうふうに歌が広がっていってくれたら、私も自分が作ったものにさらに責任が持てるし、届けたい人に作った歌だから自信を持っているので、こういう取材でもたくさん話せるし(笑)。でも、何よりまずは自分の心や気持ちを優先して曲作りをしたかったことを思うと、今の流れはとてもいいと思っています」

――また、玉城さんは先ほど『島添の丘』に行って“自分がどう感じるかわからない”といった不安を口にしていました。実際に足を運んでみてどうでしたか?

「会いに行って良かったなって思いました。そして、生きていてくれてありがとう、生まれてきてくれてありがとう、支えあって頑張ってきたんだねって思いました。それはマレーシアに行ったときも同じだったんです。彼ら自身、悩み、疑問、葛藤もいっぱいあったんだろうなと。これはマレーシアで感じたことなんですけど、子供たちの中には表現することが怖いと感じる子や心の中の葛藤によって浮き沈みの激しい子もいて、自分を表現するのが悪いことだと思ってしまっているように感じられることもありました。だから、1人の男の子にもう大丈夫だよ。自分を出して歌おうよ”と言って、チャリティーコンサートで一緒に歌ったんです。そしたら、その子が“音楽の道に進みたい”と言ってくれて。そして、なんと昨年、音楽大学に受かったんです!」

――おお〜!すごい!!鳥肌が立ちました。

「私も本当にうれしくて。しかも、合格するまでに2年くらいかかっているんですよ。施設を卒業して、介護士になろうかどうかといろいろ迷いながら、それでも最終的には音楽を選んで、大学にはバイオリンで受かったって。そのマレーシアの児童養護施設では音楽の時間を取り入れていて、そこでKiroroの「未来へ」を歌っていると聞いて、歌いに行ったんです。そういう経緯もあったから、本当に良かったなぁと思って。ほかにも、何から話して良いのかわからないくらい、本当にたくさんの奇跡があったんですよ!」

――音楽の力を改めて実感する数年間でもあったわけですね。

「本当にそうですね。だからいつかマレーシアの子供たちと島添の丘の子たちを交流させたいなって思っているんです。マレーシアに行って、そのあと島添の丘に行ったときに、両方をオンラインで繋げて講演会みたいなのをしたことはあるんですけどね。あと、マレーシアの施設の東京事務所がチャリティーイベントを行ったとき、島添の丘の卒園生が手伝いに来てくれたりとか。今もつながりが生まれているんですけど、いつか必ず双方の子たちを会わせたい。それが私の夢です!」

――玉城さんの歌を通じて起きた奇跡を聞くと、その夢も絶対叶うと思います!それに、子供たちにとっては人との繋がりが増えるほど心強さも生まれてくるでしょうから、そのきっかけに歌の存在があるというのもうれしいですよね。

「そうですね。歌はどこででも聴けるし、思い出せるので、何かあったときに思い出せるような、そんな歌になってもらえたらいいなと思います」

――また、こちらは夢とは違ってライフワークとも呼べるものかと思うのですが、玉城さんが現在行っている“特別授業”についても教えていただけますか?

「特別授業では、私がどうやって夢を叶えていったかを話しています。読谷に生まれて、小さな頃から歌手になりたくて、いっぱいオーディションを受けたけど受からなくて。小学6年生のときには歌手になる夢を諦めていたけど、それでも歌が好きだから中学生のときには沖縄の歌合戦でテレビに出て歌って。で、中学3年生のときに“「未来へ」って曲ができたんだよ”って言って、慣れないキーボードを弾きながら歌ったり、“Kiroroのデビュー後はNHK紅白歌合戦に3回出場したんだよ”って言って「長い間」を歌ったり。あとは、紅白の前日に泥棒に入られたっていう話とか」

――え、泥棒!?

「そう、泥棒。この話も面白いですよー(笑)。そういった自分の経験談をいろいろしながら、子供たちには、夢は一つである必要はなくて、もう一つの夢が自分を輝かせるときもあるんだよとか、命の大切さとか、私なりのメッセージを伝えさせてもらっています。小学生なんかだとKiroroを知らないので、私が登場しても、シーンって感じなんですけどね(笑)」

――児童より先生や親御さんのほうが世代ですよね(笑)。

「そうなんです(笑)。だから、出た途端にシーンとなると、先生方がごめんなさいって謝ってくれるんですけど、そこからが私の勝負だと思っていて。私が歌いたい、伝えたいと思って行ってる場所だから、精一杯歌を歌います。それを見て、子供たちはどう感じるのか。疲れたり、面白くなかったら眠ってもいいよって言って始めるんですけど、終わる頃にはみんなの目が輝いてるんですよ。最後のほうに用意している質問コーナーでも、どんどん手が挙がって盛り上がるんです。子供たちが寝ちゃったら、それは私の力不足。どこまで子供たちを惹きつけられるか、毎回本気で勝負しています」

――ライフワークというか、壮大なチャレンジとも言えそうな…。

「私、結構頑張ってます(笑)。特別授業は今、沖縄県内の小中学校を対象に回っているんですけど、いずれは沖縄を離れて全国を回りたいなって思ってるんです。そう言ってる側から、壮大すぎて汗かいてきましたけど(笑)」

――でも、それが今の玉城さんにとっての理想の活動であり、やりたいことであることは間違いなくて。

「そうですね。今までやってきたこととは違う形になっちゃうんですけど、そういう活動をやることが楽しくてしょうがないんです。想いが大きすぎて伝わらないことも多々あるんですけどね(苦笑)」

――一方で、Kiroroの活動も気になってしまうのですが…。

「みんなそう言ってくださるのでありがたいのですが、今、私がこんな感じなので。いつかタイミングが来たら、そのときはまた一緒にできたら嬉しいです。まずはこの活動をしっかりやりたいなって気持ちが強いですね」

――その“いつか”を楽しみにしつつ、玉城さんの特別授業、大人が聞いても楽しそうなので、ぜひ小中学校と言わず、大人を対象とした講演会を開催してくれることを期待しています!

「企画していただけたらどこにでも行きますので、全国の方々、ぜひよろしくお願いします!(笑)」

(おわり)

取材・文/片貝久美子

RELEASE INFORMATION

玉城千春「あの人の声」

2024年110日(水)配信
Victor Entertainment

玉城千春「あの人の声」

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