――まずは再現ツアーのステージに立っての感触はどんな感じですか?
「めちゃくちゃ楽しかったし、感謝の気持ちがすごく溢れました。もちろんコロナ禍を経たからというのもあるんですけど、やっぱりお客さんが目の前に沢山いる状況で、その中には20年以上僕たちのことを応援してくれている人もいる。いろんな人たちの人生を抱えながら歌っているんだなという気持ちがありましたね」
――観た印象としては、思ってた以上に懐かしい感じがなかったんです。“あの頃はああだったな”という感じでは全然なくて、現役の曲をやるACIDMANのライブだったなという。
「それはすごく嬉しいですね。僕もこの『Loop』というアルバムをリマスタリングの時に久々に聴いて、古いとか懐かしいとか全く思わなくて。俯瞰して見たら自分の作品とすら思えなくて「めちゃくちゃ格好いい、このバンド」とか「今この子たちがデビューしたら自分がプロデュースしたい」というくらいに思いました。それが僕自身まず驚きでした。で、リハでやった時も、新しい曲と混ぜても何の遜色もなくて。3人とも同じ感覚だったんだけど、それがすごく良かった。当時から流行りをどうこうするような曲の作り方を僕がしてこなかったし、やりたいことっていうのは一個しかないっていう不器用なやり方をやってきたからこそだなと思いますね」
――ライブのムードとして、ACIDMANというバンドが壮大なものや深いものをテーマにしているバンドであるということをオーディエンスがちゃんと受け止めて、その上でシリアスになりすぎず、それを楽しんでいる空気があった。非常に幸せな時間だなと思いました。
「これはもう、エンターテイメントをやっている身としての冥利に尽きる感じですね。もちろん僕は僕のアイデンティティ、僕の表現を伝えたいがためにやっているわけだけれど、でも聴いてくれる人が増えれば増えるほど、その人の何かを豊かにしたい、感情を豊かにしたい、おこがましく言えば、その人を救うことができたら最高だと思う。たった一曲でその人が自殺を踏みとどまったり、人生を豊かに切り替えたり、人のことを許せたり、その瞬間があるだけで、世界は絶対少しずつ美しくなっていくはずで。そういう力と音楽はかなり密接に結びついている気がして。20年の時を経るとそれをよりリアルに感じますね」
――改めて『Loop』の再現ツアーをやろうと考えた最初のきっかけはどういうところだったんでしょうか。
「最初は4年前にやった『創』の再現ツアーっていうのがあって、それはくるりさんとかGRAPEVINEさんがやっていて、すごくいい企画だな、いつかACIDMANでもやりたいなと思ったのがきっかけです。で、やったらすごくよくて。懐古趣味ではなく、なんとも言えないカタルシスがあった。“もう一回やりたいな”と思っているうちに4年経ち、たまたま20年前に出したアルバムだったということで、今回やるかっていうことで始めました」
――再現ツアーの醍醐味や面白さって、どういうところにあるんでしょう?
「まずは20年という時間が流れているからかもしれないけど、やっぱり人生をすごく考えますね。僕自身の人生もそうだし、目の前に映る人の顔や表情を見るたびに、“この人は20年前から来てくれたんだろうな”とか“学生だったんだろうな”とか、“もしかしたら友達を連れてきてくれたかもしれない、その友達はもしかしたら死んじゃったかもしれないな”とか、そういうことを考えることがライブ中に多くて。そういう、人生を感じるのがまず醍醐味としてあります。あと、表現者としては、僕は自分の考えがあんまり変わらないタイプなので。その時の自分がどんなことを伝えたかったかを俯瞰して見れて、それが全く今と変わらない。僕は自分であんまり自分のことを褒めないんだけど、褒めることがやっとできる。間違ってなかったって、その当時の自分にも言える。それも醍醐味ですね。自分の作品をより愛して表現できる。たぶん当時のツアーではそんなに愛してないんですよ、きっと。不満とか怒りとか衝動のほうが勝ってたと思うんで、今の方が愛しながら表現できてる」
――『創』は評価もセールスもきっちりと結果を残した作品だったと思うんですけど、それが出た後の自分たちとしてはむしろ怒りの方があった?
「そうですね。後悔してるのは、『創』が出た後のライブか何かの打ち上げでスタッフさんにすごく冷たい態度をとってしまって。“売れたねえ!”って言われて“そういうつもりじゃないんですよ……”って。“芸能人になるためにやってんじゃないんで、おめでとうって言わないでください。落ち込んでるんですよ”みたいな感じで、変な中指の立て方をしてみんなのテンションを下げたんです。でも、若気の至りで思ったことを全部言ってよかったなと思うのは、その後にこういうアルバムを作れたので。僕は自分のアイデンティティを世の中に広げたいし、全ての人に聴いてほしいし、それで世界が豊かになれば最高だと思っているけれど、そうするためだけにやり方を変えることができないタイプなので。たぶん、ああしてなかったら苦しみの20年だったと思います。ここで早めに切り替えたというか、やりたいことだけをやるようになった。例えば「飛光」という曲で<狂う前に描いた>という歌詞を書いたんですけれど、当時のディレクターの山口さんが“これ、もしかしたら、ひっかかるかもしれないね”って言われて。でも“<狂う>以外はないから絶対にやってくれ”って返したら“わかった”って言ってくれて。とにかくその瞬間を刻むことに力を注いでいた。でも売れたいとは思ってたんですよ。不思議な感覚ですが。」
――自分を曲げずに、でもそれをちゃんと世の中に広めていきたいという。
「そう。芸能人にはなりたくないんだ。コンビニでペヤングを堂々と買いたいんだって(笑)。もっともっとみんなのテンションを上げて、ビジネスの方に走ってもよかったなという後悔はありますけど」
――いや、僕も2000年代の音楽業界のムード、ロックバンドをめぐる状況をよく知ってますが、今考えても、魂を売らなくてよかったなって思います。
「ははは!すごい重い言葉だな。リアリティがある」
――振り返ると、CDが一番売れた年が1998年で、当時はそこから少しずつ落ちていく頃だったけれど、まだバブルが弾けたことに気づいてない浮かれたムードも若干あって。その後の2000年代後半は、CDを売るための話題性の悪あがきみたいなものが増えていった時代でもあった。そういう中でACIDMANは、話題性とか等身大の共感とか、“こういう風にすれば売れる”っていう変なマーケティングに一切からめ取られていないバンドだと思うんです。それは『Loop』で自分たちが進む道はこっちだって決めたことが大きかったのではないかと思います。
「おっしゃるとおりです。まさに自分の中でも葛藤でもあったし。でも当時レコード会社に何か言われたことは無くて。山口さんは常に“大木のやりたいことをやっていいんだよ”って言ってくれてたので。結局僕は勝手に悩んで、芸能として消費されていく音楽というものにずっとアンチテーゼがあった。だから僕は最初の頃に抽象表現を選んだんだと思います。わからない、難解だって言われて。そうであればあるほど、本質さえしっかりしていれば、そこに深みが出ると思いながら、ずっと足掻いて、悩んで、全てに中指を立てていた時代のアルバムなので。本当にこっちの道に来て良かったなとは今も思うし、柴さんにそう言っていただけてさらにそう思いますね」
――『Loop』には「飛光」のように、今でもライブでのキラーチューンになっている曲がありますが、この曲ができた時の記憶はどんなものが残っていますか?
「「飛光」はすごく明確に覚えていて。とにかくああいう曲だからフラストレーションの塊で。当時はスタジオに3人で1日8時間くらい毎日入ってたんですよ。でも何にも身にならず。基本僕が曲を作るから、彼らはずっと待ち時間、もしくは僕に説教されている時間で。地獄の時間だったと思うんだけど。だけどある時「飛光」みたいな曲のモードになって。イントロダクションのギターを鳴らして“来そうな気がするから叩いてくれ”と一悟くんに言って。佐藤くんに“ベースもコードに合わせて弾いてくれ。そのまま歌うから!”って、大音量で歌って。アイデアは全くなかったんだけど、汗だくになりながらウワーって思いっきりやってみたらサビまで一気にできた。その瞬間の記憶が残っています」
――なるほど、そういう作り方ってメソッドとしてあったんですか?
「結構多いです。今もメンバーがいなくてもそういう風に脳内で泣きそうな気がする時にギターを持って、わーって歌って。降りてきた時に涙を流しているっていう。そういう風に作ってますね」
――「波、白く」のように展開が巧みな曲もありますが、ああいう曲はどうですか?
「あれは僕は覚えてなかったんだけど、一悟くんが覚えてて。珍しく僕がスタジオから抜けて、一人で機材車に集中しにいったと。それでしばらくして戻ってきたら、出来上がってたみたいなことを言われて。僕にはその記憶はないんですが、そういう風に作ったらしいです。」
――そうやって衝動的に作る時もあれば、一人でこもって作るような時もあるんですか?
「そうかもしれない。今でも僕、トイレとかでよくパーッと思いついたりするので。ふとリラックスした瞬間とか、悩んでたことの答えが出る瞬間にできるというか」
――当時は1日何時間もスタジオにいたということですが、しんどい時間でしたか?
「どうだろう……記憶としては、音楽で飯が食えるなんて奇跡でしかなくて。スタジオ代もかからず、それまでずっとみんなでお金出していたのが、レコード会社の人が出してくれて、自由に使えるようになって。ここに命かけないでどうすんだみたいな感じでした。だから、できない苦しみはめちゃくちゃあったけど、やっぱり活き活きしてたんだと思いますね。アドレナリンが出てました。夜、いろんなところで飲み歩くんです。新しい友達もどんどんできる時期だから、友達と朝まで飲んで、二日酔いのままスタジオに行って。佐藤くんにはそういう時の方がいい曲が作れるって言われたり。そんな時期でしたね。常にアドレナリンが出てた感じだったと思います」
――若干意地悪な聞き方ですが、当時は3ピースのバンドとしてのバランスはいい方ではなかった?
「全然悪かったです!二等辺三角形ですらなかったですね。本当に、こう……細い三角形でやってましたね(笑)」
――大木さんがアドレナリンが出まくってるのに、2人がなかなかついてこれないみたいな感じだった。
「本当にそういう時期でした。それでずっと説教していて、何でもいいからアイデアを明日までに持ってこいとか、本当にバスドラの足の位置一つまで言ってたんで。彼らはその時間をよく耐えてくれたと思いますね」
――今だったら打ち込みで作れるようなことを、人力でやってたわけですよね。
「でも、たぶん今のツールがあの時代にあって、俺一人でやってたらこういうアルバムはできてなかったんですよね。やっぱり彼らがいたからできたと思います」
――改めての質問ではあるんですけど、当時は、くるりの「ワールズエンド・スーパーノヴァ」とか、ああいう風にロックバンドがエレクトロニカの要素を取り入れたりするやり方が一つのトレンドになっていた時代でもあったと思うんです。でもACIDMANは当時も今も基本ずっと3人の音だけでやってきている。これは、大木さんの中ではどういう選択、どういう意思が働いているんでしょう?
「僕は楽器もほぼ一緒で、究極的には何でもいいんですよね、ギターであれば高くても安くても。音質も何でもよくて。ドラムも生ドラムでも打ち込みでもなんでもよくて。大事なのはやっぱり言葉にならないこの思想を伝えることで。衝動だったり、爆発的な発想だったり、繊細な、宇宙を感じるような、目を閉じて、本当に隣に次の世界があるんじゃないかというくらいぶっ飛ぶような、この言葉にできない感覚を伝えることが僕の目標であるので。ツールはなんでもいいんです。逆に言うと、メンバーがいなきゃダメだと思ったこともないし、打ち込みじゃなきゃとかって思うこともないし。その時代で流行っている音は聴いてるし、使おうと思ったらたぶん使ってたと思うけど、そこに興味はなかったんですね。どっちでもいいんですよ。やりたいことはそこじゃないっていうか。流行りの音楽をやることは目標ではなく、音質的にイケてる、尖ったことをやることが目標でもない。目に見えないファンタジーのあの感覚を形にしたい。ラピュタを見つけたいんですよ、ずっと。だから、3人でやる事にこだわっているように思うかもしれないけど、実はこだわってないんです」
――ACIDMANというバンドは、大木さんの世界観、表現の見据えている先の壮大さや果てのなさというものと同時に、例えばフェスやライブハウスで、みんなが一体になって盛り上がる、いわゆるパンクバンドとしてのフィジカルな魅力も持っている。こういうバンドってなかなかいないなって思うんです。
「そうなんですよね。その先にあるものを常に自分自身が自問自答するから。そこでツールとしてパンクが必要であればいくらでも使うっていうか。ラップはできないけれど、それ以外だったら、生まれた感情に向いてるものだったら何でもいい。ハードコアだろうが、バラードだろうが、インストゥルメンタルだろうが、何でもいいから、どんなツールを使ってでも、あの言葉にできない感覚みたいなものを表現しようとしてるんです。だから恐れずに何でもやっちゃうという」
――20年前と今で表現しようとしているものが変わってないというのは、アルバムを聴けばすごくわかるんですが、逆にここは大きく変わった、今の自分だったらこういうことは選ばないなとか、そう思うところはありますか?
「まず人間の捉え方が、性悪説から性善説に変わりました。『Loop』の頃までは、極端な言い方をすると、人間なんて滅んでしまっていい、この地球にとって悪であり、宇宙のバランスとして非常に歪で、もうすぐ終わるだろうみたいな、そんな風に思っていたんです。だけどステージで立って歌えば歌うほど、何やってんだよみたいに思って。僕はせっかく大きな声を出せる場所にいるのにネガティブなことを歌ってどうするんだって。やっぱり子供の頃に戻って、人間が大好きだったし、今も大好きだし、やっぱり人間って生命としてこの宇宙に存在していいんだよね、正しいんだよねっていうところを神様に問うてみようと思った頃なので。考え方をガラッと変えて、なるべくポジティブな世界を目指そうとなった。昔は“奇麗事だ”って指さされるのが嫌だったんでしょうね。“奇麗事じゃないんですよ、世の中って。人間って、残酷ですよね、わかります”っていう気の弱い人間だったんだけど。今だったら“綺麗事じゃないか!”って指をさされたらその人に向かって“綺麗事で何が悪い!”ってちゃんと言えると思う。“じゃあ膝を突き合わせて話そうよ。それで何が悪い?そうやって世界が美しくなるんじゃないか?”って言えるようになってきた。それもその頃からですね」
――さっき『Loop』を聴いてこのバンドをプロデュースしたいと思ったと言っていましたよね。これはifの質問ですけど、もし自分がプロデューサーやレコード会社のディレクターだとして、『Loop』を作った新人バンドに「僕らこの先どうすればいいですか」ってアドバイスを求められたとするならば、どうでしょう?
「もう明確です。好きなことやればいい、お前の人生だからお前のやりたことだけやれ、って言いますね。で、金だけ出す。絶対そうします。もし悩んだら俺にいつでも電話くれと。すぐに行くからって。で、その時に言うことは背中を押すことだけ。もしAかBかで悩んだら明確に決めてあげるけど、音楽に正解なんてないから、やりたいことをやりなさいと言います」
――それはかつて大木さんが誰かに言われた言葉だったりしますか?
「たぶん当時ディレクターの山口さんにもそういう言葉をしょっちゅういただいていたし、それが支えにもなっていたし。ミュージシャンって“絶対これだ!”って言いながら心の中でめちゃくちゃ不安だから。みんな繊細で、細い飴細工のようなハートで、それが崩れたらもうラピュタがなくなっちゃうんですよね。だけどみんな絶対その柔らかいところ、繊細なところにラピュタがあるって信じてるから。それを俺らは思いっきり抱きしめてあげるべきで、守ってあげるべきで。ドン・キホーテであろうがいいんですよ。彼らが信じていることはもしかしたら世界を変えるかもと信じてやりたいなと思います。これは本当に思いました。今こういうバンドがいたら絶対プロデュースをやりたいと思う」
――じゃあ、もう一つ訊かせてください。もしそういうバンドに、アドレナリンが出まくってるソングライターのフロントマンとなかなかついていけない2人のプレイヤーがいて、バンドのバランスが良くないという相談を受けたとする……どう答えます?
「悩むなあ!いい質問だなあ(笑)。バンドと僕の関係性にもよるな、そのボーカリストが本当はメンバーを排除したくないと見えれば“何が何でもあいつらを切るな”って言います。メンバーにも“あいつについていけ”って言う。でも本当に相性が悪いと思ったら“一人でやれ”って言うかもしれない。明確にはそこは答えられないですね、すごく複雑だ」
――じゃあ、架空の新人バンドではなく、タイムスリップして20年前の『Loop』を作っている頃の自分自身に、今の自分が信頼されているプロデューサーとして会えたとするならば?
「そうだな……僕が当時言ってほしかった言葉、言ってもらえて嬉しかった言葉がやっぱり“そのままでいいよ”だったんで。“絶対に解散しちゃダメだよ”とは言います。だけど“厳しいままでいい”とも言いますね。緩くしたら、たぶん良くない未来が来てたので。“彼らは絶対についてくるから。そのかわり、彼らをクビにするな。ひどいことを言ってもいい。苦しめていい。彼らはついてくるはずだから”って言っちゃいます」
――感慨深いですね。ちなみに「ACIDMAN 2nd ALBUM Loop再現 TOUR "re:Loop"」では「ALMA」もやっていましたね。
「「ALMA」は「APRIM2023」という天文学に関する国際会議のテーマソングになったんです。ものすごくありがたいことだから、ただただ自慢したいがためにセットリストに入れたという(笑)。ブラックホールを観測した人たちが、みんなこの曲を聴くってヤバくないですか !?という気分で」
――それってどういう経緯だったんですか?
「これは僕らが何か働きかけをしたわけではなく、国立天文台天文情報センター長の渡部潤一先生が「ALMA」をずっと好きでいてくれて。僕がミュージックビデオをアルマ望遠鏡まで撮りに行ったときとか、その後もたまにお会いさせてもらっています。渡部先生はいつもその話をいろんな人にしてくれていて。で、きっと今回の会議でも提案してくれたんだと思うんですよね。渡部先生から“なんとテーマソングが決まりました。世界にこの曲が届きます”みたいに言ってもらえまして。嬉しかったですね」
――『Loop』はリマスタリングされてアナログ盤でリリースされます。最後に、そこに向けての思いを訊かせてください。
「最近僕はアナログで音楽を聴くことが一番の趣味と言っていいくらい大好きで。このアルバム自体もアナログテープで録音していたので、まさにリアルな、生の音なんですよね。サンプル盤が出来上がって、それを自宅のレコードプレイヤーで聴いた時に、音の深みの感動があって。やっぱりアナログ盤に向いているアルバムというか、より深い、聴こえない音も聴こえてきて、こんなに深遠なアルバムだったんだって思えたので。アナログ好きな方はぜひ聴いて音の違いに驚いてほしいなと思います」
(おわり)
取材・文/柴 那典
写真/平野哲郎
New Single Release Live「輝けるもの」LIVE INFO
2024年2月6日(火)TOKYO DOME CITY HALL
Photo by 操上和美
ACIDMAN「輝けるもの」DISC INFO
初回限定盤(CD+DVD)/TYCT-39220/4,950円(税込)
通常盤(CD)/TYCT-30143/1,320円(税込)
ユニバーサル ミュージック
ACIDMAN『Loop』
2023年8月9日(水)発売
完全生産限定盤(LP)/PDJV-1012/1013/6,050円(税込)
ユニバーサル ミュージック