益弘泰男「振り返ってみると、90年代、これから21世紀を迎えようっていう頃に、この先の時代も生き残る歌手の一人は山本譲二だなと思ったんだ」

山本「それならその頃、言ってくれたらよかったのに!そうしたら僕だってもう少し自信を持って歌ってこられたんですから。益弘さんに褒めてもらえたことって1回しかないんですよ。毎週のように「歌謡コンサート」なんかに出させてもらってた頃。毎回リハや本番を客席からご覧になっていて、それに気付くと僕は何と言っても鋭い耳を持った厳しい人だから萎縮しちゃって“今日もいる。嫌だなぁ……”なんて思ってたんですよ(笑)。それがある時、僕の歌を聴いた後で“譲二、よくなったなぁ!”って言ってくれて。あの時はホント嬉しかった。でも、その1回きりでした、褒められたのは(笑)」

益弘「無暗に褒めたりはしなかったけど、認めていなければこんなに長い付き合いをしてませんよ」

山本「そう言っていただくと確かにそうかと思いますけど、とにかく僕にとって益弘さんという方は怖い存在でしたからね。あまり僕ら歌い手やマネージャーと話してくれなかったし、愛想のいい人ではありませんでしたよね」

益弘「なんだか意地の悪い人間だったみたいだなぁ(笑)」

山本「いや、そこまでは言いませんけど、今の優しい印象はなくて、その頃は本当に鋭い、厳しい人っていうイメージで、会うときは緊張してましたね」

益弘「緊張してる感じはあったな。番組のリハなんかで、例えば小林幸子さんは僕を見つけると“益弘さーん!”なんて手を振ってくれたし、千昌夫さんなんかは歌い手が並ぶとさりげなく一歩前に踏み出していてね。皆それぞれにどうやってファンや味方を増やすか、印象を残すかなんてことを考えて行動していたと思うんだけど、山本譲二にはそういうところがなかった」

山本「それはだってNHKの歌番組に出られるようになったとは言っても初めの頃の僕は「みちのくひとり旅」が売れただけで、まだ人気も知名度も高くありませんでしたからね。それに親父(北島三郎)から“番組や公演に出られるようになってもしゃしゃり出るような真似はするな”って厳しく言われてましたし」

益弘「僕が譲二さんを改めて認識させられることになったのは「奥州路」を歌った時。1984年、第5回の古賀政男記念音楽大賞で大賞を受賞したんですよね。この曲をこんな風に歌えるのは山本譲二だけだと思った」

山本「本当になんでその時に言ってくれなかったんでしょうね!そんな嬉しい言葉を聞かせてもらってたら僕はもっと頑張れて、もっと売れてたかも知れない(笑)」

益弘「あの歌は石原信一さんの詞もよかった」

山本「僕は一番の終わりに出てくる“きらり”という言葉が印象的で好きでしたね」

益弘「もちろん三島大輔さんが書いた曲も素晴らしかった」

山本「古賀政男記念音楽大賞は作曲家の方に贈られる賞でしたしね。それを「奥州路」が受賞した時に北島に言われましてね。それは嬉しかったから僕もはしゃいでいたと思うんですけど“山本、この賞は作曲家のものなんだから自分の手柄みたいに喜ぶんじゃないよ”って。でも北島が「風雪ながれ旅」で第1回の古賀政男記念音楽大賞を獲った時“山本、第1回ってところに大きな価値があるんだよ”って言ってすごく喜んでいて“自分だってはしゃいでたじゃないですか!”って心の中で思ってました。、親父には言えませんでしたけど(笑)」

益弘「大歌手だってやっぱり人間だから、それは嬉しくてはしゃぎたくなることだってあるでしょうよ。それでも僕は「風雪」や「みちのく」よりも「奥州路」が好きでね……いつか譲二さんと一緒にカラオケに行って歌いたいと思ってるんだ」

山本「そんなこと初めて聞きました。行きましょうよカラオケ。是非!嬉しい話だもの」

益弘「そして「奥州路」や「みちのく」以外にも譲二さんにはいい曲がいっぱいある」

山本「いやぁ、本当に今日は驚くくらい褒めてくれますね(笑)。お蔭様で作品を褒めてもらうことは本当に多いんです。“こんなにいい曲があったんですね”なんて言われると嬉しいんですけど、同時にヒットさせられなかった自分の力不足を感じて悔しい気持ちになったりもするんです」

益弘「でも、1990年代頃まで5万枚くらいはコンスタントに売れていたでしょう?」

山本「そうでしたね。でも、それがだんあん少なくなって。演歌歌謡の市場シェアが3パーセントだなんて言われて演歌歌謡界に冷たい風が吹くような時代になりましたね」

益弘「譲二さんはその頃にテイチクに移籍したんですよね。時の流れにはどうしたって逆らえないこともあるんだけど、流行歌は時代を映す鏡だなんて言われたものだよ。今、僕たちは目黒にある高層ビルの眺めのいいフロアで話しているけれど、この環境と演歌は似合わないでしょう。演歌には人が生きている感じ、いわゆる生活感がないと駄目なんだ」

山本「確かにこういう場所は、演歌らしさというか、生活感はありませんよね。「みちのく」の頃、僕は新曲を出す度に渋谷にあった有線の放送所に菓子折りを持って挨拶に行ったもんですけど、そういう場所にはぬくもりがあったし、時間の流れも人の気持ちも今よりもっと穏やかだった気がしますよ」

益弘「歌は世につれ……という言葉があるけれど、その言葉の通りだとすると、近代化が進んで洗練されて利便性が重視される今のような時代に演歌が流行するのは難しい。極端に言ってしまえば、この時代に求められているもの、これから必要とされる歌は演歌ではないんじゃないかという気もする。かつて盛んに歌われた波止場や海峡というものに思い入れがあるという人が、今どれくらいいるだろう?と」

山本「残念ながらそれは否定できませんね」

益弘「そういう時代だから譲二さんは、妻や孫を歌っているんじゃないの?」

山本「そういうことなんでしょうね。家族の間での物騒な事件なんていうのも増えているようだけど、夫婦や親子、家族というものは建物や街の風景のように大きく変わってしまうことはないでしょうから」

益弘「そういう題材をね、意識してかどうかわからないけれど新曲のテーマとして選べる感覚というのが、先ほども言った譲二さんが“この先の時代も生き残る歌手”だと思えた理由の一つのような気がしますよ。それにさっき言ったけれどこれまで本当にいい作品をたくさん歌ってきてますからね。そういう財産があるというのは大きいですよ。放送局は無難に人気のある同じ曲ばかり歌わせる傾向にあるけど、隠れた名曲、知られざる傑作を知らしめる役割を果たすべきなんですよ」

山本「放送局っていうことで言うと、もう12年続いている「ジョージのぶち好きやけー!」では益弘さんの知識や経験を注いでもらっていますから、これからの時代を見据えつつ、歌謡界の素晴らしい財産と言える歌の数々にも焦点を当てていきたいですよね。初めてゲストで出演される方は益弘さんのやり方にびっくりするかも知れませんけど。僕とゲストがいい感じで話してる途中にカット!って入りますからね(笑)」

益弘「僕はテレビにしろUSENにしろ、番組というものは面白くてためになって、さらに感動がなければいけないと思っているんです。そしてその要素を押さえた上で大切なのがおしゃべりのテンポなんだ」

山本「確かにゲストとの話が面白くて調子に乗るとだらだらと喋り続けてしまうこともあるから、カットを入れてもらうことで救われることもあるんですよね。それに益弘さんはあらかじめ台本にカットも入れてくださってるから、僕たちはいきなり慌てさせられるわけじゃないし、台本通りに進めればいいんだって安心して喋れるから本当に助かってますよ」

益弘「中にはカット!って言ったらムッとしてたゲストもいたけど。プロデューサーとしてはそれもまた面白がっていたりしてね。やっぱり僕は意地の悪い人間かも知れない(笑)」

山本「そんなことないですよ。だって益弘さんはまず自ら楽しんで番組作りをされているなと感じますから」

益弘「それは若い頃からそうでしたね。やっぱり番組ってものは面白くなければいけないし、作る人間がまず楽しんでいないといけないと思うから。初めのうちは制作の先輩がブッキングした何人かのゲストをどういう組み合わせで番組に仕立てるか考えるのが僕の仕事で、それももう面白いと思いながらやってました。それが今も続いていて「ぶち好きやけー!」も面白がりながらやらせてもらってます」

山本「それがいいんでしょうね。僕も楽しく続けさせてもらえてますし。あとは益弘さんが“譲二ならこのくらいまではやってくれるだろう”ってある程度任せてくださっているのを感じるので、その気持ちに応えようと思うし、やる気にもつながってますよね。山本譲二のギター伴奏でゲストに「みちのく」を歌ってもらうっていう企画がありますが、僕は益弘さんにギターを弾いて聴かせたこともないのに。そういえば先日、黒柳徹子さんの「徹子の部屋」に女房と一緒に呼んでいただいて、そこで永ちゃんの「ウイスキー・コーク」と「妻よ…ありがとう」をギターの弾き語りで歌ったんです。これが一応ちゃんと歌えまして、ギターの練習をしておいてよかったと本当に思いました。そういう意味でも益弘さんにはとても感謝してます」

益弘「僕としては同時に「四谷・3丁目」も推したいんだけどね」

山本「あれは面白いですもんね(笑)。益弘さんは本当に間口が広いから正統派の歌ばかりじゃなくてコミカルなものでも取り上げられるところがいいですよね」

益弘「やっぱり面白さは番組に欠かせないものだから。そして僕としては作っている人間が楽しいと思えることと同じように、ゲストの方にも帰る時に“楽しかった”と思っていただきたいと考えてますから」

山本「益弘さんはNHK入局当時から制作志望でした?」

益弘「そうです。大学を出てNHKに入って、あとはラッキーの連続(笑)。「紅白」をやるようになって、いろんな人に迷惑をかけることもあったし。あの頃は「紅白」に出場できるのとできないのとでは天と地ほどの差があって、その人選をする立場にいたわけだからやっぱりいろいろな人に迷惑をかけたんですよ。そのつもりではなかったとしても」

山本「僕が「紅白」に出させてもらってる頃は、ただもう嬉しくて楽しかったばっかりですけど、その舞台裏で益弘さんは苦しい想いをされていたんですね。今の「紅白」はどう思います?」

益弘「僕が関わっていた頃とは別の番組だと思ってますね。歌合戦という大前提が変わってしまってるし」

山本「歌というもののありがたみ、価値観みたいなものや、スター、プロ歌手の存在感というものも以前と今では変わりましたよね。僕はかつての「紅白」の方が重みがあるように思えますが、それはやっぱり時代の変化というものが生んだものだから、どっちがいいとか悪いとか決められるものじゃないし」

益弘「だから譲二さんの番組を一生懸命やらせてもらっているというのもある。時代が変わっても変わらない本質というものはきっとあると思うし、それを大切にしていけば時代を越えられるんじゃないかと。譲二さんも若手歌手がゲストで来れば熱心に励ましたり応援したりしていて良き先輩になったと思うしね」

山本「いや、本当に今日はなんでこんなに褒めてくれるんですか?ありがたいですけど、ちょっと居心地が(笑)」

益弘「僕は面白いことが好きだし、譲二さんのヘビーメタル化計画なんて面白くて。これから先も期待しているから、今日は出し惜しみせずに褒めてます。次に会った時はわからないけどね(笑)」

山本「そう来ましたか!初めは面白いのかどうか、この先どうなるのかも全くわからないまま始まったメタル化計画ですけど、想ったよりもたくさんの人が面白がってくれてますし、僕自身も楽しくなってきてるんで、中途半端にならないようにこれからも進めていけたらと思ってます。もちろんそればっかりで演歌を離れるなんてつもりはありませんけど、自分ができることにはすべて全力で取り組んでいきますよ。聴いてくれる人に“歌っていいもんだな”って思ってもらえるようにね」

益弘「そういう譲二さんの魅力を日本中に伝えられるように僕もまだまだ頑張りますよ」

山本「僕も益弘さんを頼りにしてますから、これからも元気で山本譲二を応援してくださいよ!」

(おわり)

取材・文/永井 淳
写真/平野哲郎

USEN「元気はつらつ歌謡曲」プレゼンツ 山本譲二50周年祭り!イエーイ!LIVE INFO

2024年10月12日(土)TIAT SKY HALL(羽田空港第3旅客ターミナル内)

USENの演歌歌謡曲チャンネル「元気はつらつ歌謡曲」のパーソナリティ、山口ひろみ、北川かつみ、岩佐美咲、はやぶさ、おかゆ、中澤卓也が山本譲二のデビュー50周年を祝うスペシャルなライブイベント。

イープラス

山本譲二「妻よ…ありがとう」DISC INFO

2024年7月24日(水)発売
TECA-24036/1,500円(税込)
テイチクエンタテインメント

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