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――名古屋城からの配信ライヴ(『LIVE:live from Nagoya』として映像作品化されているライヴイベント『LIVE:live』)、とんでもないスケール感でした。

「配信で何かやろうってなってから、固めたアイディアだったんですよね。配信でしかできないことを、やろうということで。まあ、俺たちより予算をかけたライヴはたくさんあったと思うんですけど、あれだけ配信だからこその要素を詰め込んだライヴは、ほかになかったんじゃないかなって思えるくらい、いいライヴを作れたかなと」

――いやいや、破格の予算が注ぎ込まれたかと思うのですが。

「めっちゃかかりますよ。武道館もそうでしたけど、いわゆる俺たちがカマしにいく、みんなにすごいと思ってもらおうっていうライヴは、全部赤字です。そこは諦めています。ビジネスで考えたら間違ったやり方かもしれないですけど――まあ、これはウチの社訓にもあるんですけど、結果やお金を追うんじゃないっていうことなんですよね――あくまで、お客さんがどれだけ感動するか。で、自分たちがどれだけワクワクして、それを届けられるかっていう。そこに尽力した暁に、結果がついてくるっていうだけなので。きれいごと抜きで、今こういう世の中だからこそ、エンターテインメントを届ける側として伝えなきゃいけないことって、感染しないようにとかそういうことじゃなくて、生きる気力とか何かに立ち向かう勇気とかだと思うんです。そこに徹して本気でやれば、みんなも返してくれるんじゃないかって、ただそれだけでやってますね。だから、これから何が返ってくるか楽しみなんですけど」

――安全策は取らず、リスクからも逃げない?

「ずっとそういう性分なんですよね。あえて険しい道を行くっていう。それって口で言うのは簡単なんですけど、やっぱり背に腹は代えられないんですよ。予算という現実があるんで。武道館ぐらいになると億単位なので、普通ブルっちゃうと思います。“AKさん、お金持ってるからいいでしょ”って思われがちですけど、会社と俺は別物で、会社が潰れたらどうにもならんから。でも本当に一発で倒れるぐらいのリスクがあるし、毎回それを覚悟して行くんですよ。そしてその覚悟が、普段は生まない知恵や行動力を生むっていうことも実証済みです。もともと俺はぐうたらだし、臆病だし、だからあえてそうやって自分に仕向けてるのかもしれないですけどね。“もう、やらんと死ぬ!”っていうところまで(笑)」

――25周年イヤーを迎えているわけですが、やはり四半世紀を振り返るとドラマチックでしたか?

「そうですね、ここまでけっこう早かったですけど、相当ドラマチックな人生を送ってきたと思いますね。それはガキの頃含めてね」

――サクセスストーリーの中には、いくつかターニング・ポイントがあったのではないかと思います。

「大きな事で言ったら、尾崎 豊さんの歌を聴いて、俺も歌いたいと思った中2の時。で、その後17歳でHIP HOPに出会ったのもそう。全国区に躍り出たという意味では、2007年に「Ding Ding Dong~心の鐘~」を出した時かな。名前が一気に広がっていったので。でも一番大きかったのは、自分の事務所を立ち上げたタイミングですかね。本当にキツくて、俺もここまでかなという状況だったんですよ。プライベートでもいろいろあって、マインド的にもう辞めようかなっていうところまでいってました。でも、たとえ1パーセント、2パーセントの勝率でも、次のステージに行く戦いをどうしても諦められなくて、前の会社の社長と話し合って、独立しますと。スタッフふたりがついてきてくれて、3人だけでした。そこからが第2章ですね。とは言え、どうしよう?みたいな(笑)。言った以上は引けないし、ケツに火が点いてますよね。俺とそのふたりの人生を背負ってるし。心の中では、もうダメかもしれないって思ってるんですけど、独立したんだからなんとかしなきゃって、なんとかしなきゃおじさんになりました(笑)。まあ、今だってそうですけどね」

――なんとかしなきゃおじさん(笑)。でも結構シリアスな状況ですよね?

「まあそうですね。そういうタイミングで、ユニバーサルミュージックを通じてDef Jam Recordingsと契約することになって。同い年の仲間だったTOKONA-Xが、前身にあたるDef Jam Japanと契約して、志半ばで死んじゃったんですけど、彼の遺志を継ぐことができて、自分の第二のドラマみたいなものが見えたから戦い切れたんですよね。実は、Def jam Recordingsでリリースした最初のアルバムの発売日が、彼の命日の次の日だったんです。図らずともそうなったのは、運命だったのかなと。で、そのアルバムのライヴを日本武道館で開催したんですけど、それも当初は周りが反対して大変だったんですよ。ライヴの制作会社からもストップがかかって、保証人をつけないと会場を押さえられないとまで言われて。3人で、四畳半一間みたいな事務所で肩寄せ合って、話し合いましたね。失敗したらマジで潰れますから。でもふたりが、“そのために独立したんだから、やりましょう”って。本当に3人でやった感じですからね、あの武道館は。そして、見事に成功した。その時に生まれた「Flying B」という曲を、今でもアスリートが聴いてくれてるんですよ。この前、五月場所で優勝した照ノ富士が、千秋楽の土俵に上がる前に聴いたって伝えてくれたんですけど、まあそれぐらいの言霊になってるんですよね。玉砕覚悟で行くぞって思った時に作った曲だからこそ、マスターピースになったのかなと」

――そして、節目の年でもある今年の6月9日、『The Race』がリリースされるわけですが、アルバムとしての構想はいつごろ固まっていたのでしょうか?

「このアルバムは、2ヵ月で全部作ったんですよ。とにかく6月9日に出したくて。今はライヴをできるわけじゃないし、お客さんが何を一番待ってるかっていったら、アルバムじゃないかと思ったんです。制作意欲は相変わらずあるので、強行突破スケジュールでも出来ました。なんていうか、一周回って勢いがなくなって、機首が下がって持ち直して、今このぐらいの速度で飛んでいるとします。今の瞬間速度で言ったら、並んでくる若手がいるんですけど――これはディスとか若手を認めてないとかじゃなくて――事実としてお前らとは積んでるエンジンが別格だからって。そこは強がりじゃなくて、事実なので。その自信みたいなものですよね。レースって、チームじゃないですか。走ってるのはその車だけど、車を整備してビルドアップさせてくれるチームのメンバーがいて、指令を出してくれるチームのメンバーがいてこそ成り立つので。それと俺のやってきたことが、すごく被るなっていうのが、アルバムを作り始めた時に世界観として見えたんです。あとは、そこにピースをはめていくだけだった。レースというお題が先に浮かんで、全体像も掴めていましたね。「I'm the shit」だけは先に出来てましたけど、その後の曲たちは全部、お題が浮かんでからです」

――完全なコンセプト・アルバムですね。

「そうですね。これまでの作品で、一番はっきりしたコンセプトがあります」

――¥ellow Bucksさんをフィーチャリングした「I'm the shit feat. ¥ellow Bucks」は、TOKONA-Xさんの「They Want T-X~Intro~」のリメイクです。どういう経緯で、リメイクすることになったのでしょうか?

「前作の「Bussin' feat. ¥ellow Bucks」という曲で「Ding Ding Dong~心の鐘~」をサンプリングしていて、それは¥ellow BucksがHIP HOPに目覚めたきっかけが、あの曲だったという文脈があったんですね。そこからの自然な流れです。あいつが自分のことをヤングトウカイテイオーって言ってるから、トウカイテイオーと名乗っていたTOKONA-XがDef Jamから出したアルバム『トウカイXテイオー』1曲目の「They Want T-X ~Intro~」を、東海繋がりのDJ RYOWのリメイクでやりたいなと。俺たちにしかできないトウカイアンセムですね」

――前作にはラヴソングがあったり、死をテーマにした曲があったり、人としてのAKさんのリアルが詰まっている印象でしたが、今作はラッパーとしてのAKさんのリアルが詰まっているように思います。

「そうですね。強気な歌というか。誰もいないサーキットを連想して作った「It's not a game」みたいな、ちょっと憂いのある曲もあるにはあるけど、とは言え自分の人生に例えてるし、自信と誇りみたいなものを全面に出してるというのはありますね。最後の「Victory Lap feat. SALU」では、敵は実は周りにいなくて自分だったと歌っていて、しかもそれをSALUとやってる。今まで一貫して自分との戦いだって言ってきたのを、あえてSALUをフィーチャリングして、言いたいことを代弁してもらいました。それがこのアルバムの全てというか。ちゃんみなにも、「Racin' feat. ちゃんみな」で“お前、俺に並んだと思ってるかもしれないけど、周回遅れだからな”って迫るんですけど、実は敵は誰でもなくて自分だったというオチになってて。もうずっと言ってることですけど、結局は自分との戦いなわけで。そこがアスリートとか経営者とか、戦ってる人に響くのかなって、なんとなく思いますけどね。俺は、誰かに応援歌を書こうと思ったことはないので。アスリートの人たちを鼓舞しようとか、1回も考えたことがない。全部自分の体験から歌ってるから、それがみんなにリンクしてるんでしょうね。自分の人生を歌にしてるだけなんです。良くも悪くもなんですけどね。でもHIP HOPって、そういうもんかなと」

――「Next to you feat. Bleecker Chrome」のBleecker Chromeさんとは、今回がはじめましてってところですか?

「以前、フェスで挨拶にきてくれて、スタジオにも何度も遊びに来てくれてます。すごい才能ですよね。トラックを聴いただけで、“あ、歌ってみていいですか?”って言って、いきなりあれぐらいのクオリティで歌い出すんですよ。完全な新世代。ジャスティン・ビーバーかと思いました(笑)。驚きの才能です。音源だけだと、そんなに分からないかもしれないけど、たった1、2テイクであそこまで持っていくんだからびっくりですよ。“嘘でしょ?”って。何回か遊びでセッションして実力を確信して、このアルバムへ。っていう流れですね」

――今回も名古屋人脈/東海人脈が活きていますが、ご自身の中に、名古屋のHIP HOPを牽引してきたという自負もありますか。

「あると言えばあります。こうやって今、事務所も東京ですし、主戦場というか、拠点は東京にないと仕事にならない。メディアも東京中心ですね。だから、よく名古屋でやってたなって、すごく思いますね。もちろん今も名古屋、小牧を代表してるっていう気持ちでやってます。それがHIP HOPで大事なアイデンティティなので。それにしても、名古屋からよくこれだけ名乗りを上げたなって、我ながら思いますね。しかも、ずっと名古屋に住みながらやってましたから」

――名古屋には、何かラッパーを成長させる土壌みたいなものがあるんでしょうか?

「やっぱりね、3大都市とは言え、名古屋だけ何もないというか(笑)。雑誌とかでも全然取り上げてくれないし、孤立してるんです。だから、自分たちでやるしかないんですよ。面白かったのは、名古屋HIP HOP全盛期の時って、ひとアーティストがひとブランド持ってたんですよ。服のブランドを。みんな音楽活動と並行して、何かやって自給自足してるんですよね。それが成り立ってた。みんな見よう見まねでやってしまうんです。そういう習性が名古屋のHIP HOPを活性化させたんじゃないかな。雑誌に取り上げてもらえないから、じゃあフリーペーパー作っちゃおうとか、夜中の番組枠を買って、TV番組作るとかね。商売でも、名古屋で成功すれば全国に通用するって、よく言われてますから」

――面白いですね、名古屋。

「まあ、¥ellow Bucksという若いラッパー出てきて、すごくシーンが元気になりましたけど、俺たちの時は黄金世代というか、タレントが揃ってましたね。SEAMOさんとかHOME MADE 家族とか、nobodyknows+とか、もともとみんな一緒ですから。ちょっと俺たちみたいな、ストリート色が強いギャングスタ・ラップとは立ち位置が違っていましたけど、トータルではダイヤモンドクルーってクルーで括られてたんですよ。HOME MADE 家族だけちょっと違ってたんですけど、それでも交流があったし。HOME MADE 家族のKUROさんなんか、俺とバイトが一緒で、栄で外国人がやってた服屋のレジにふたりで座って、夢を語ってましたから。ラップで売れたいなって。そしたらKUROさんが先に売れちゃって、“KUROさん売れちゃった。俺は何やってんだ!”って(笑)。だから、昔から仲いいんですよ。nobodyknows+もね。SEAMOさんなんか、俺がラップを始めた時から天狗をつけてガウン着て、シーモネーターやってましたからね。<♪深夜に放送リアルドラえもん>って歌ってましたから。“し~ずかちゃ~ん!”って、あの天狗で。だいぶイケてましたよね(笑)」

――なつかしいですね(笑)。ところでAKさんは、ニューヨークのHIP HOP専門ラジオ局のHOT97に、日本人で初めてインタヴューされたり、主催イベントにも出演していますよね?

「あれは、俺のニューヨークの友達がHOT97の社長と仲が良くて、そういう繋がりから実現したんですけど、「Who's next」という局主催のイベントに出た時は、リアルに胃が痛くなりましたね。カニエ(・ウェスト)やトゥー・チェインズもそこから出てきたって言われてる登竜門的なイべントで、マジでブーイングとか飛んでくるんで。ダメだったら、客が帰れって怒鳴ってくるとも聞いてたし、もう無理!って思いました。でも、それをしに来たんだから出なきゃと。武道館より何より緊張しましたね。案の定、最初みんな“はあ?”みたいな顔をしてるんですよ。ウゲーっと思った。メンタルが!って(笑)。それでとりあえず1曲歌い終わってもみんなめっちゃ斜に構えてて、“なんやこいつ?”みたいな感じなんですよ。で、MCで“ブロンクスで生まれたHIP HOPが、海を超えて日本に渡ってきた。道を外してた俺だけど、HIP HOPに人生を変えてもらって救われた。だからここに、HIP HOPへの愛を伝えに来た”」みたいなことを英語で伝えたら、一斉にイエーッ!ってなったんですね。お前ナイスだ!みたいに。そこからホームのような空気に変わって、すごく盛り上がってくれて。だから、HOT97には感謝してますね。めっちゃいい思い出です。終わった後、訳分かんないメンタルになって、うずくまるぐらい胃が痛かったけど、すごい爽快感だったことも覚えてます」

――今や欧米では、HIP HOP/R&Bがメインストリームですよね。AKさんとしては、自分たちで日本もそうしていきたいという思いがあるんじゃないですか?

「そうですね。今考えてるプロジェクトがあって、それはまさに日本のシーンをそうするための大きな起爆剤になると思います。まだはっきり何とは言えないんですけど、ブループリントは描けてます。実現した時は、日本でHIP HOPが大きく成長することになるっていう。俺のプロジェクトどうこうじゃなくて、HIP HOPというゲーム自体を大きくすることを、今まさに仕込んでいますので、楽しみにしていてください」

(おわり)

取材・文/鈴木宏和





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