田名網は武蔵野美術大学デザイン科に入学し、篠原有司男、赤瀬川原平、荒川修作らと出会い、彼らの活動に触れながら、1957年に日本宣伝美術会主催の日宣美展で特選を受賞する。在学中からデザイナーとしての仕事を依頼され、卒業後は博報堂に入社。2年ほどで退職した後、1966年には作品集『田名網敬一の肖像』を出版し、アーティストとしての出発点となる。アンディ・ウォーホルの美術やデザインに刺激を受け、「イメージディレクター」と名乗るようになる。その後、シルクスクリーンによるポスターやコラージュ、アニメーション、イラストレーション、絵画など、様々な作品を手掛けるようになる。
1960年代後半からは音楽や映画、文芸に係る多くの雑誌のエディトリアルデザインを行い、
1975年には日本版『PLAYBOY』の初代アートディレクターに就任。この頃、並行して実験映像も制作し、映像作家・松本俊夫と上映会を開催するなど表現の幅を着実に広げていく。
1980年代は中国への旅行と1981 年に経験した約4か月にわたる入院中に見た幻覚をきっかけにして、東洋的な楽園や奇想の迷宮を思わせるようなイメージを描くようになる。
1991年には京都造形芸術大学の教授にも就任し、後進の育成にも携わっていく。
2000年頃からはこれまで田名網自身の作品に現れていた様々なモチーフが再び組み合わされることで、より複雑でダイナミックなイメージが展開されている。田名網にとって作品制作とは過去の記憶を辿っていく作業であり、記憶が自身のなかで無意識のうちに変化していく様子を捉えようとする行為でもあった。
87歳となった今も旺盛な創作活動を続ける田名網の存在は、世代や国を超えたアーティスト、そしてデザイナーたちを魅了し続けており、コラボレーションを求める声は後を絶たない。これは60年以上にわたる活動のなかで、田名網自身が常に自らの表現方法を刷新し続けてきた稀有な感性を持ったアーティストであるからだといえるだろう。また近年、田名網は海外文化を独自に受容した戦後日本の作家としても世界的に評価が進み、ニューヨーク近代美術館( アメリカ)、ウォーカー・アート・センター(アメリカ)、シカゴ美術館(アメリカ)、M+(香港)、ハンブルガー・バーンホフ(ドイツ)にも作品が所蔵されている。
本展は多方面から注目が集まる田名網が現在まで探究を続けている、虚実が入り混じった記憶のコラージュのような作品世界を体感してできる展覧会となっている。
展覧会名 田名網敬一 記憶の冒険
会期 2024年8月7日~11月11日
休館日 毎週火曜日
開館時間 10:00 ~ 18:00
※毎週金・土曜日は20:00 まで
※入場は閉館の30 分前まで
会場 国立新美術館 企画展示室1E
観覧料 ( 税込) 一般2,000 円、大学生1,400 円、高校生1,000 円
※中学生以下は入場無料。
※障害者手帳を持参の方(付添の方1 名含む)は入場無料。
田名網 敬一( たなあみ けいいち)
1936 年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。
アートディレクター、実験映像及びアニメーション作家、アーティストなど、そのジャンルを横断した類まれな創作活動により、他の追随を許さない地位を築いている。近年の田名網の主要な展覧会として、「パラヴェンティ: 田名網 敬一」(プラダ青山店、東京、2023 年)、「マンハッタン・ユニヴァース」(ヴィーナス・オーヴァー・マンハッタン、ニューヨーク、2022 年)、「世界を映す鏡」(NANZUKA UNDERGROUND、東京、2022 年)、「Keiichi Tanaami」(ルツェルン美術館、スイス、2019 年)、「Keiichi Tanaami」(ジェフリー・ダイチ、ニューヨーク、2019 年)。また、グループ展としてポップアートの大回顧展「インターナショナル・ポップ」(ウォーカー・アート・センター、ダラス美術館、フィラデルフィア美術館、アメリカ、2015-2016 年)、「世界はポップになる」(テート・モダン、ロンドン、2015 年) などがある。パブリックコレクションに、ニューヨーク近代美術館(アメリカ)、ウォーカー・アート・センター(アメリカ)、シカゴ美術館(アメリカ)、M+(香港)、ナショナル・ポートレート・ギャラリー(アメリカ)、ハンブルガー・バーンホフ(ドイツ) など多数。