19世紀の伝統的な美の哲学を継ぎ、最新技術で現代に誇るプロダクトを提供
香水は19世紀初頭のヨーロッパでブームとなり、調香師は時代の寵児となった。その発信地となったのがパリだ。香水作りはフランス革命(1789年)までは徒弟制度の中で踏襲されていたが、1806年、ナポレオンの治世になり民法典に香水に関する新たな薬局方が制定されると調合技術や品質が向上し、新たな香りが作られるようになったこともブームを加速させた。
そんな変化が起きていたパリで1803年、すでに調香師、薬剤師として活躍していたクロード・ビュリーと息子ジャン=ヴァンサン・ビュリーが創業したのが、総合美容薬局「オフィシーヌ」だ。ビュリー親子は、古来から殺菌など衛生目的で用いられていた酢と植物原料を調合した「ヴィネーグル・ドゥ・トワレ」を開発し、「ヴィネーグル・ドゥ・ビュリー(ビュリーの香り酢)」として発売。肌に優しく、心地よく香るその世界初となる革新的なフレグランスの人気はパリに留まらず、ヨーロッパを席捲した。また、これは後に世界で初めて開発されたビュリーのアイコンフレグランス「オー・トリプル(水性香水)」のルーツとなる。世界でも類を見ない独自の混和性水溶液で、アルコールやエタノールを使っていないため、肌が弱い人でもかぶれる心配がなく安心して使える。
パリの調香師たちの研究開発への情熱は、バルザックの小説『人間喜劇』にも描かれている。同作品の「セザール・ビロトーの栄枯物語」の主人公のモデルはジャン=ヴァンサン・ビュリーその人とされる。いかにビュリーが当時、注目されていかが窺えるエピソードだ。しかし、近代的な香水や化粧品が次々と開発され、芸術やファションなど様々なカルチャーが花開いた19世紀を駆け抜けたビュリーはその後、波乱に満ちた生涯を送り、表舞台から姿を消す。時を経た21世紀に「セザール・ビロトーの栄枯物語」と出会い、感銘を受けたのがファッションブランドや雑誌のデザイン、コンセプトショップのディレクションなど様々な分野でアートディレクションを手掛けてきたラムダン・トゥアミだった。ビュリーの卓越性と美徳にインスパイアされ、その美の伝統を現代のライフスタイルの中で進化させようと、美容専門家で世界の美容法を学んできた妻のヴィクトワール・ドゥ・タイヤックと共にブランドの復活に取り組んだ。
追求したのは、19世紀にビュリーが貫いた哲学と開発した自然由来の素材と伝統的なレシピをリスペクトしつつ、環境に配慮し、現代に生きる一人ひとりの個性、ライフスタイルに寄り添う革新的な技術に支えられているプロダクト。ヴィクトワールが世界を巡って集めた自然素材やオーガニック素材を使い、水性香水を軸に、自然派美容のための植物オイルやパウダー、クレイ、せっけん、空間を香らせるルームフレグランスなどを最新技術で開発した。植物オイルだけでも常時50数種類以上を展開する。ボトルやパッケージも魅力的だ。こちらは多彩なクリエイティブ活動をしてきたラムダンが担当。19世紀のクラシカルなイメージを表現し、ボトルやチューブの素材にはプラスチックを一切使わず、19世紀と同じガラスやスチールを採用している。香り関連のプロダクトだけでなく、コームやブラシなど美容道具も取り入れ、まさに総合美容専門店としてのオフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリーを2014年、パリ6区・ボナパルト通りに出店した。
地域の文化との融合による「美の脱グローバル化」
新生ビュリーの直営店展開はパリに始まり、ロンドン、台北、ソウルなど世界に広がっている。日本では2017年4月に代官山に路面の旗艦店をオープンさせた。出店に際してヴィクトワールとラムダンは家族と共に東京に移り住み、立地探しから2年余りにわたって準備したという。店舗デザインを手掛けるラムダンは店舗を「舞台」と捉え、「美の脱グローバル化」をコンセプトに各都市の建築や地域の文化、習慣などを取り入れた空間表現を重視しているからだ。店舗の内装や什器はフランスと出店する都市、プロダクトと来店客をつなぐ舞台装置なのだ。それだけに店舗ごとにデザインは異なり、顧客にとっては購買体験を通して自分だけの物語を豊かに紡ぐ場となる。
日本初の店舗である代官山店は、かなりユニークだ。住宅街のビルの半地下にあり、1階まで吹き抜けになった構造。階段を下りてエントランスを入ると左右で異なる2つの世界が目に飛び込んでくる。写真に撮ると合成かと見紛うほどだが、整然と共存しているから不思議だ(トップ画像参照)。
右側はパリの店舗と同じく、フランス産ウォルナットの調度や天井、大理石のカウンター、イタリア・ウンブリア州産のテラコッタの床が、クラシカルで重厚な19世紀のパリの薬局を連想させる。フランスの職人が日本に滞在して製作し、設置した。ロマネスク様式の横断アーチや螺旋(らせん)状の円柱、コーニスの歯飾り、格間(ごうま)の天井、ギリシャの神々の木彫りのマスカロン……。扉の蝶番(ちょうつがい)やノブ、手を洗う水場のスワンネックの蛇口などは、パリの蚤の市でヴィクトワールとラムダンが買い付けた19世紀のアンティークを配置した。
一方、左側に広がるのはコンクリートを基調としたクリーンでミニマルな空間。東京の近未来的なイメージとラボのムードが体現されている。コンクリートは世界で一番美しい仕事をするとされる日本の職人に依頼した。壁面にはいくつものアーチ型のアルコーブが配列され、それぞれにビュリーがプロダクトに使用している植物を中心に封じ込まれ、さながら植物標本のよう。植物はドライ状態でアクリルに挟んでいるので永遠にその美しさを保つという。壁沿いに伸びる台には、水性香水の全22種類を試せる試香器「アランビック」がずらり。理化学研究用のガラス器を専門とする日本のメーカーによるもので、ビュリーの世界の店舗で空間デザインに合わせて製作されている。
2つの異質な空間を一体化しているのは、その境目に伸びるゴールドのラインだ。陶磁器の修復などで使われる日本の伝統技術「金継ぎ」を用い、2つの世界の出会いを表した。「代官山店で表現したかったのは、19世紀のリズムに則った空間と時間の連続性」とラムダンは語っている。フランスと日本という空間、19世紀と21世紀という時間の違いを隠すのではなく、美しく融合する――ビュリーが追求する美の本質を感じさせる。その体現となる代官山店の店舗デザインは、オランダの建築雑誌『FRAME MAGAZINE』が主宰する「FRAME AWARDS 2018 SINGLE-BRAND STORE OF THE YEAR」を受賞している。
日本・海外の他店舗も空間の作り込みは目を見張る。ブランドの軌跡や店舗デザインなどは、ラムダンが運営するクリエイティブエージェンシーA.R.Iが監修した書籍『ザ・ビューティ・オブ・タイムトラベル(オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリーの素晴らしき世界)』に詳しいので、一読をお薦めしたい。
地域ごとに異なる空間を創出、国内外のビュリー巡りをする顧客も
日本で2番目に出店した京都店は、代官山店とは全く趣きが異なる。ファサードにはショップ名すら無い。ファサード全体は木と紙による設えで、「香水」と書かれた小さな行灯がエントランスに掲げられているのみ。木の梁や漆喰の壁、和紙の障子など、数寄屋造りによる京都の茶室のエッセンスをミニマルに再構築した。「香水」の文字をヒントに縄暖簾をくぐると、様々な芸術や文化が花開いた1920年代のパリの薬局の世界が立ち現れる。
2020年に出店した青山骨董通り店は、日本で2つめの路面店。煉瓦造りのビルの1階にあり、店内の床や壁にも煉瓦を引き込むことで外と内をつなげ、道行く人が誘い込まれるような空間となっている。この店舗も、表にはショップ名が記されていない。代わりにベストセラーのハンドクリーム「ポマード・コンクレット」の巨大なサンプルをショップサインとして掲げ、ビュリーを語らずして想起させる手法を採った。通路のような店内は「伝統とモダニティー」をテーマに、左側ではクラシカルな設えのビューティーカウンター、右側では壁面にガラス管を縦横に巡らせたインスタレーションを展開している。
左側の空間は、壁一面に設えたフランスの家具職人によるウォルナット製パネルに真紅のベルベット生地を張り、ギリシャ神話の水浴を連想させる石膏レリーフを配置することで、19世紀フランスのシアターのような空間を生んだ。右側のインスタレーションは、定番のボディオイル「ユイル・アンティーク」のテスターの機能を持つ。来店客が試したい香りを選ぶと、ピンボールゲームのように複雑に組み合わされたガラス管をオイルが巡って降りてくる。楽しみながらブランドの世界観に没入してしまう空間と言える。
23年にオープンした神戸店はアートなムード。整然と交わる直線で構成されたファサードから店内に入ると、大きくカーブを描いた棚や霜降りの赤大理石が別世界へ誘う。ダリが「記憶の固執」で描いた溶ける時計を思い起こさせる空間だ。ビュリーでは世界で2番目にカフェを併設した店舗でもある。
代官山店と並んで旗艦店と位置づけているのが、24年4月に出店した麻布台店だ。麻布台ヒルズの敷地に一から建築した路面店で、かつてパリ中心部にあった中央市場「レ・アール」に想を得て、ガラスとメタリックなアーチからなるキューブ型の建物を出現させた。内装はフランスの塗装職人やブルゴーニュの家具職人、ガラス職人、陶芸家、大理石職人を起用し、職人技を集結した空間を作り上げた。什器には伝統的な木工技術による建具を採用し、昔ながらのシェラックという樹脂で仕上げている。約40本が居並ぶ柱は、パリのオペラ座やヴェルサイユ宮殿の王の寝室などに見られる装飾的な手摺り「バラストレード」に由来する。「多様な時代の特色と重ね合わせ、“最も美しい矛盾”を生み出すことがビュリーのデザインメソッド」としている。
他にもギャラリーをイメージした店舗など様々。国内、海外のビュリーの店舗をクルーズする顧客もめずらしくないという。
「自然の美」を育むプロダクトの幅と深さを、一人ひとりへ丁寧に伝える
品揃えは全店舗がほぼ同じだが、空間表現が異なるため配置や見せ方はそれぞれに工夫がなされている。旗艦店の代官山店はフルラインを揃え、「製品は基本的に女性向け、男性向けという区別がないので、お客様は男女共に若い人から80代まで幅広い」とスタッフ。
誰もが興味を持つのは、やはりビュリーが扱う全種類を揃えた水性香水。定番として展開してきた「クラシックコレクション」16種類と、2023年5月に発売した「レ・ジャルダン・フランセ・ドゥ・オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー」6種類で構成している。レ・ジャルダン・フランセの開発は、ヴィクトワールとラムダンがアンティークショップで出会った小箱がきっかけだった。中に入っていたのは19世紀スイスの園芸学校で育てていた野菜や果樹の種子。当時の植物学者の情熱と好奇心、小箱の中に眠っていた種子にインスパイアされ、二人は「菜園の香り」の開発に取り組んだ。ハーブや果樹園の果実、野菜など様々な植物からインスピレーションを得た、独特の官能性を持つ牧歌的なグリーンの香りを特徴に、深みのあるグリーン系3種と、野菜や果物の香り3種で構成する。発売1周年記念としてヴィクトワールが監修し、ラムダンとそのクリエイティブエージェンシーが監修した「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリーの香りの植物図鑑」も発刊。紙面を指でこするとレ・ジャルダン・フランセコレクションに使われている12種類の野菜やハーブの香りが広がる。
オー・トリプル同様にリピーターが多いのはボディオイルやボディミルク。「香りをポイントではなく面で楽しめ、香水のように強く香らせるのではなく、優しく香らせることができます。保湿性も高く、肌に艶を出してくれるという機能も人気」となっている。オイルは自然原料を厳選し、コールドプレスなどで丁寧に抽出しているので、肌との親和性が高く、さらりとした質感。容器のおしゃれなビジュアルを超える製品クオリティーが、買い替え需要を増やしている。
中性せっけん「サヴォン・スゥペールファン」もファンが多いプロダクトだ。肌を乾燥させることなく洗浄し、皮脂バランスを整える。引出しやクローゼットなどにしのばせれば、服や持ち物を優しく香らせる。
ルームフレグランスもユニークだ。2022年に発売した「ランタン・オドリフェラン」は、装飾性と実用性、安全性を備えた新タイプのディフューザー。ランプシェードの下にフレグランスキャンドルを置き、ランプを灯す。すると、電球の熱がキャンドルの蝋にブレンドされた香りを引き出し、30分ほどで香りを部屋に広げる。フレグランスキャンドルは天然大理石製のベースに植物由来の蝋に香りを収めた「ブジー・パルフュメ」シリーズがあり、様々な時代や情景などをイメージした8種類の香りを揃える。フレグランスマッチ「アリュメット・パルフュメ」はありそうで無かった、ビュリー独得のアイデアプロダクト。マッチの木の部分に香りを染み込ませてあり、火を点けると薫香が空間に広がる。火も電気も使わずに香りを蒸発させるストーンフレグランス「アラバストル」は、クラシカルな肖像画が描かれた小さな陶製の箱にディフューザーの役割を果たす石をセットし、香りのエッセンスを数滴落とすだけで瞬く間に香りを空間に拡散させる。
「店という舞台は商品、お客様、スタッフの三位一体で機能する」
リブランディングに際しては19世紀のビュリーが扱っていなかった美容道具も導入し、オリジナルを軸に厳選した仕入れ品も展開している。充実しているのは櫛(くし)。植物由来の上質なアセテートを使い、スイスの工房の熟練職人が1点1点を手仕事で作り上げている。髪質や髪型だけでなく、頭皮ケア向け、髭用や眉用など用途に合わせたアイテムが揃う。自分用はもとより、ギフトとして購入する人も多く、出産祝いにベビーコームをファーストコームとして贈るのも喜ばれる。櫛の他にもボディブラシや歯ブラシも扱い、これらの購入時にはイニシャルや名前、メッセージなどを刻印するサービスも提供している。
ミラーを内蔵するカラフルなケースのリップバーム「ボーム・デ・ミューズ」も刻印サービスが人気なアイテム。植物由来の原料のみを使用した無色のクリームで、セサミオイルやシアバターなどのオーガニックの美容成分が唇を保湿する。蓋部分のレザーペーパーに3文字までゴールドで刻印でき、自分だけの一品にカスタマイズできる。今年4月に発売した、旅先での身だしなみやスキンケアのための「グレート トラベラーズ ビューティキット」と「リトル トラベラーズ ビューティキット」も、ボックスに付けるネームタグをはじめ、収納している一部アイテムへの刻印が可能だ。
ほぼ全ての購入客が利用しているサービスが、カリグラフィーだ。商品のパッケージに貼るラベルに好きな言葉やメッセージ、贈る人・贈られる人の名前などをクラシカルな制服を着たスタッフが1字1字、丁寧に書き上げていく。カリグラフィーはスタッフ全員が習得する技術で、フランスのカリグラフィーアーティスト、ブルーノ・ジガレル氏が監修・指導している。カリグラフィーを仕上げた上で、19世紀のフランスの新聞を再現したラッピングペーパーで包み、4つの金メダルを施した華やかな折りたたみ式のショッパーに収めて、購入客に手渡される。店舗は舞台という考え方がディテールに至るまで行き渡り、来店客のパーソナルな購買体験に高揚感をプラスしている。
ビュリーの店舗ではプロダクトはもとより、その魅力や美の秘訣を伝え、独自のきめ細かなサービスを提供していく上でも、「人」が果たす役割がとても重要になる。「店舗という舞台は、商品とお客様とスタッフが三位一体となって機能する」という考え方なのだ。現在はECでもほぼ同じラインナップを展開している中で、「実店舗では何かしらの発見をしていただきたい。そのために、お客様が来店して、買い物をして、お帰りになるまでの一連の行為を大切な『儀式』と捉え、発見を豊かなものにする舞台装置を作り、スタッフがサポート役を演じています」としている。
そうした店作りを続けてきたビュリーは、2021年にLVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトンに事業を売却し、その傘下に入った。LVMHは2017年から投資ファンドのLVMHラグジュアリー・ベンチャーズを通してビュリーを支援してきた。今後も店舗数が増える中で、着実にビュリーらしいプロダクトと店舗を展開して次なる成長を遂げていくために、ブランドの根幹を共有するLVMHが経営を担い、ヴィクトワールはブランドディレクターとして残り、ラムダンはクリエイティブエージェンシーを設立してビュリーのアートディレクションを継続していく。新たな舞台が今も構想されている。
写真/田村尚行、ビュリージャパン提供
取材・文/久保雅裕
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久保雅裕(くぼ まさひろ)encoremodeコントリビューティングエディター。ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。元杉野服飾大学特任教授。東京ファッションデザイナー協議会 代表理事・議長。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。