ハンドメイドの職人技を次代へつなぐ

「kearny」のブランド名はサンフランシスコのカーニー通りに由来する。デザイナーを務める熊谷富士喜さんは、大学を卒業してセレクトショップの営業や展示会運営を経験し、以前から興味があった古着やビンテージ服を扱うショップに転職、バイヤーとしてアメリカで仕入れをしていた頃の定宿がカーニー通りにあった。「そこに古着の買い付けでとてもお世話になった『師匠』が住んでいたんですよ」と熊谷さん。学生時代から古着やビンテージ服だけでなく、「古い眼鏡が大好きで、視力は良いんですけど、プライベートではずっと着けていたんです。それならと、古着屋のオーナーが仕入れを任せてくれた」ことから、ビンテージ眼鏡も買い付けるようになった。
その後、24歳で独立して祐天寺に古着ショップ「feets(フィート)」を構え、アメリカでの買い付けを継続した。しかし、ふと疑問が湧き上がった――「昔の人たちが丹精を込めて作った眼鏡に素人の自分が勝手に値段を付けて売っていていいのか」。眼鏡には関わっていたいが、買い付けて売る仕事は自分には合っていない。「そんなに眼鏡が好きだったら、自分で作ってみたら」と、熊谷さんの背中を押したのがカーニー通りの「師匠」だった。アメリカやヨーロッパのビンテージ眼鏡に憧れてはいたが、「眼鏡の作り方さえ知らなかったため、一からデザインを学び、福井県鯖江市の工場に伺ったり、電話で聞いたりして生産背景を勉強した。そのときに初めて鯖江の眼鏡作りのすごさを知った」という。ブランドを立ち上げる起点となり、歴史と文化が交差する場であるカーニー通りにちなみ、「kearny」を設立したのは27歳のときだった。

「カーニー」のデザイナー、熊谷富士喜さん

独学の過程では鯖江の技術はもとより、20世紀半ばまで眼鏡フレームの主要素材だったセルロイドが現在はほとんど使われなくなっていることを知った。ビンテージ感のある独特の深い色味と光沢を醸し、耐久性が強く、使うほどに肌に馴染むなどの特徴があるが、可燃性もあり、加工に手間がかかることから使われなくなり、セルロイド製眼鏡を生産する工場も減った。そのハンドメイドの職人技を次代につないでいきたいという思いから、カーニーではセルロイドを使ったプロダクトを軸とした。
2013年のファーストコレクションは2型。「初期は『こういう眼鏡があったらいいなあ』と思い描いたものを作っていました。祐天寺の古着ショップのオリジナルアイテムのような感じで、モデル名も無く、ウェリントンとラウンドというユニバーサルネームで提案していたんです」と熊谷さんは話す。以降はシーズンごとに熊谷さんの興味関心に沿ってテーマを設け、春夏に6型、秋冬に6型の年間12型ほどを発表。スタイリストの服部昌孝さん、フォトグラファーの赤木雄一さんと共にルックも制作してきた。自分たちでキャスティングしたモデルをライブ感覚で撮影したポートレートは映画から切り取ったシーンのようなムードで、観る側は自然とプロダクトの背景にあるストーリーに思いを馳せ、カーニーというブランドに対するイメージを広げてしまう。

ファーストコレクションのウェリントン

「新卒で入った会社では卸の営業、次にはバイヤーをやって、売る側と買う側の両方の経験をしていたので、どういうブランドだったら喜ばれるのか、あるいは悲しまれるのかといった物差しは持つことができたかなとは思います。ただ、カーニーを立ち上げたときにはそれまでご縁があった取引先にはいっさいアプローチせず、当初は古着ショップの顧客様と友人がお客様でした。僕自身、自分の目が届く、身の丈に合った伝え方が自分には合っていると思っているんです。ルックもその一つで、チームで作り込んでいます」
結果、卸先は大手のセレクトショップやライフスタイルショップ、各地のセレクトショップや眼鏡専門店など多様に広がり、展開するモデルも新旧80型ほどにまで増えた。とはいえ、「定番はほとんど無い」という。約200工程に上るセルロイド製眼鏡の生産は職人が生命線で、工場の廃業や職人の高齢化・減少が進み、「継続したくても作れないものがある」からだ。同じモデルを作ろうとしても、一部工程の職人が替わっただけで出来が変わってしまうことから、カーニーの品揃えは新作をメインで構成する。20年にセルロイドの生産工場が一時生産休止になったことを受け、今後の眼鏡作りを見据えて22年にはチタンやアセテートなど新たな素材によるコレクション「acekearny(エーシーカーニー)」を立ち上げ、カーニーはセルロイドコレクションとして継続している。

メンテナンスに対応し、アート、カルチャーも発信する場

セレクトショップを中心とする卸売りで成長してきたカーニーが直営店を出店したのは、21年6月のことだった。ポップアップの開催時にメンテナンスを求める声を多く聞き、「9年近くオリジナルの眼鏡を販売してきて、オフィシャルでアフターケアに応じる場を作りたかった」ことがその理由だ。商品の販売はもとより、眼鏡の修理・調整、レンズ交換にも応じる場としてショップを作り、店名は「sost.(ソスト)」と名付けた。「音を十分に保って演奏する」ことを意味する音楽記号「ソステナート」の略で、「一人ではなく、皆で長く続けていけるブランドを目指す」ことが意図されている。
神宮前店の内装は一級建築士の菅原浩輝さんとのやりとりで形作った。「眼鏡屋と分かりやすくなく、どこかに日本の要素を入れたい」という熊谷さんのイメージを受けて出来上がったのは、左官で日本の土の色を表した独特のテクスチャーを持つ壁面や什器などが醸し出す温かみのある空間。「眼鏡屋に留めたくない」という思いから、店内では工芸作家らの作品の展示販売も行う。商品は30型ほどを揃えるが全て什器の引出しの中に収め、作家の作品そのものを感じられる空間にしているのが特徴だ。作品は毎月入れ替え、展示販売を行っていく。オープンして3年が経ち、「若いお客様もお年を召したお客様も来店します。立地柄、訪日外国人観光客はもとより、各都道府県の卸先でカーニーの眼鏡を購入し着用している方々が東京に来たついでに訪れることも多い」という。

  • 21年に出店した「sost.神宮前店」
  • 円形の西欧風のエントランスを入ると……
  • 左官による独得のテクスチャー。作家の作品の展示販売も行う(神宮前店)

2店舗目は25年2月8日、自由が丘にオープンさせた。当初は他のエリアも考えていたが、「何かしっくりこないというか、自分がそこに存在する意味が感じられなかった」ことから、実家があり、ずっと親しんできた東急東横線沿線から自由が丘を選んだ。物件は住宅街にある2階建ての中華料理店跡地。路地側の1階、厨房として使われていた一画を店舗にした。
店舗面積はバックヤードを含め約60㎡。今回の内装は熊谷さんが手掛け、「実験室っぽくしたかったのと、ステンレスを使いたいという思いがあった。眼鏡の素材を眼鏡とは違う用途で使いながら店を作ろうと考えた」。建物の構造を剥き出しにした空間の壁面や柱を白く塗装し、床は左官仕上げで質感を生み、ステンレスでグリッドラインを入れた。ステンレスは西欧で眼鏡の素材として使うことがあり、床には「これ以上厚くすると眼鏡を作れない」とされる厚さに加工し、グリッドを表現している。什器やインテリアにもステンレスを採用。什器は鹿児島の家具職人と共に農業用パイプを応用してアルミニウムとステンレスで製作し、検眼に使う椅子は金工作家の永瀬二郎さんがアルミを素材に作り上げた。

自由が丘店の内装はクリーンな印象
「sost.自由が丘店」の外観
金工作家の永瀬二郎さんが製作した椅子
ステンレスの什器、床はステンレスのグリッド

工業的な要素がある一方、「眼鏡の産地である福井県の要素をどこかに入れたいとずっと考えていた」という。越前の和紙や刃物、漆などいろいろあるが、今回着目したのは「笏谷石(しゃくだにいし)」。福井市の足羽山周辺で採掘される石材で、濡れると青色になることから「青石」「ふくいブルー」とも呼ばれている。この笏谷石をエントランスの扉の取っ手に使い、静かに福井への敬意を表現した。

笏谷石を用いたエントランスの取っ手

店内に入って気に留まるのは、店奥にあるブースのような二つの小さな空間。尋ねると、中華料理店時代に2階の客席へ料理を上げる昇降機があったスペースだとか。削れた壁もそのまま使い、ここだけは蛍光灯の照明を取り入れ、実験室のような空間にちょっと歴史が感じられる場を組み込んだ。店内でかけるレコードやCDをインテリアのように置き、もう一方ではオリジナルの服や雑貨を提案する。「もともとアパレルをやっているので、服や雑貨は祐天寺で展開しているショップやブランドの人たちにお願いして作っています。眼鏡とのスタイリングを提案するとかではなく、お土産っぽい感じですね」と熊谷さん。眼鏡は1本で数万円になるため、店との気軽な接点になればと品揃えした。実際、オープン以降は学生が来店し、購入することもあるという。

中華料理店時代には昇降機のあったスペースではレールをハンガーラックに再構築し、服や帽子なども提案

アート展やポップアップも開催し、様々な人が交差する場に

自由が丘店は神宮前店とは異なり、眼鏡を前面に出した売り場を構成している。取材時は25年春夏の新作をメインに展開していた。
「gravel(グラヴェル)」は、熊谷さんが新潟県の佐渡島で貝を拾う老人と出会い、海や貝、石に魅了されたことから始まったシリーズ。佐渡島の石(gravel=砂利)の形をしたレンズをベースに、フレームの形を起こすという特殊な手法で製作されている。石をデザインに落とし込むに当たって、フレーム生地には色・柄表現の自由度が高いアセテートを採用し、国内唯一のアセテート生地専業メーカー「タキロン・ローランド」と新たな素材「original fabric acetate(オリジナルファブリックアセテート)」を共同開発した。
「gravel-3」は石の持つ有機的な曲線を柔らかな印象へと収斂させ、テンプルエンドの形やカシメのパーツにも石の形を反映。ノーズパッドは抱き蝶仕様で、ブリッジはクリングスタイプでもネジを使わないすっきりとしたデザインとなっている。カラーレンズには関東の番茶を意味する「green tea」と関西の番茶「coarse tea」を揃えた。佐渡島で同じ日本の番茶でも地方によって色が異なることを知り、日本の文化に触れてほしいという思いから、レンズの色に表現した。「gravel-5」はより石の柄が感じられる。単純な多角形ではない、丸みのあるフレームが柔らかな印象。

石の柄が感じられる「gravel-5」
石の曲線を柔らかく表現した「gravel-3」。カラーは佐渡の番茶からヒントを得て独自に配色

「uhuy Ⅱ(ウヒュイツー)」は、阿蘇山(熊本)の稜線からインスピレーションを得たモデル。力強さがありながら、クラウンパントをベースにした角と曲線の絶妙な組み合わせにより、洗練されたシャープな印象のサーモントに仕上げた。程よい丸みとサイズ感は様々な顔タイプに合い、ファーストアイウェアとしてもお薦めだ。「uhuy」はアイヌ語で「燃える」を意味し、阿蘇を象徴している。

洗練された印象のサーモントモデル「uhuy Ⅱ」

音楽家のシューベルトが愛用していた1800年代の眼鏡のブリッジの形が端緒となった「K- series(ケーシリーズ)」も面白い。「Kブリッジ」と呼ばれる不思議な形で、じっくり見ていると「K」の文字が浮かび上がってくる。「産まれて間もなかった娘がクラシック音楽を流すと心地良く寝つき、特にシューベルトを好んだことからシューベルトについて調べたら、彼が愛用していた眼鏡がKブリッジであることが分かったんです。自分の名前やブランドの頭文字もKで、Kという文字が身近にたくさんあるなあと。それで興味を持って、Kを様々な角度から考え、僕が思い描いたKを表現した眼鏡を作り始めた」と熊谷さん。
24年秋冬にスタートさせたKシリーズは、ヨーロッパのデザインや手法を取り入れていることから、生地もイタリアの老舗アセテートメーカー「MAZZUCCHELLI(マツケリ)」を採用、6型を揃えた。今季は続編として3型を展開。「K-7」は何と太刀魚の頭、「K-8」はブラウン管テレビの形、「K-9」はレモンの形に着想を得た。フロントはKの⽂字をもとにデッサンを描き起こし、眉からブリッジ下を「段落とし」の技法で部分的に削ぎ落とすことでKのデザインを表現。「永遠の⾳楽と現代的なデザインが調和し、⽂化と物語を反映するアイテム」としている。

Kシリーズ。写真上から「K-8」(黄色系)、「K-7」(黒系・ベージュ系)、「K-9」(青み系・ブラウン系)

一品一品にストーリーとカルチャーが通うカーニーの「今」を体験できるのが直営店だ。来店する客層は世代を問わず多様で、神宮前店も自由が丘店も男女比は半々という。「卸先のセレクトショップはメンズ中心なのですが、直営店にはジェンダーを問わず来店されています」と熊谷さん。その中で、「自由が丘店はゆっくりと眼鏡選びをするお客様が多い」。ファッションアイテムとして眼鏡を選ぶ人もいれば、度付きの実用性とデザイン性を求めて眼鏡を購入する人も多いため、必然的に滞留時間は長くなる。店としてもその時間を豊かに過ごせるよう、レジカウンターでは近隣のコーヒー焙煎所「自由が丘ロースタリー」と共同開発したオリジナルブレンドのコーヒーも提供している。「会話をしやすい店にしたかったので、それはできているかなと思います」と話す。

ギャラリースペースではアート作品の展示も行う
レジカウンターではオリジナルブレンドのコーヒーも提供

また、自由が丘店はギャラリーとしての側面も持つ。取材時には25年春夏コレクションのルックブックからセレクトした写真を展示していたが、今後もアート展や様々なプロダクトのポップアップを隔月で開催する考えだ。「眼鏡を買うだけの場所ではなく、いろんな人たちにこの場を楽しんでいただきたいので、様々なことに取り組みたい」と熊谷さん。直近では5月に京都のビンテージ雑貨と服のセレクトショップ「歩く鳥」のポップアップを予定している。眼鏡はもちろん、思ってもいなかったプロダクトや人との出会いがあるかもしれない、そんなワクワクを感じられる空間だ。


写真/野﨑慧嗣、カーニー提供
取材・文/久保雅裕

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久保雅裕(くぼ まさひろ)encoremodeコントリビューティングエディター。ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。元杉野服飾大学特任教授。東京ファッションデザイナー協議会 代表理事・議長。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。

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