音楽と社会、時代のバランス
音楽で世に出る、これを実現させるための登竜門として、多くのコンテストが開催され、80~90年代に実際に多くのバンドがデビューを果たした。音楽を作り世に問うために“バンドを組む”のは、当たり前の事だった。
「例えばRADWINPSの野田(洋次郎)くんでもいいし、Dragon Ashの降谷(健志)くんでもいいんですが、彼らが今、音楽をやりたいとして、果たしてバンドを組むのだろうか?って思うんです。僕は、組まないと思っていて。今だったら、バンドを組まなくても音楽は出来る。バンドを組む人は“バンドをやりたい”んだと思う。『1998年の宇多田ヒカル』という本は、CDメディアが音楽シーンをどう変えていったのかというサブテーマがあるんですが、CDメディアの変革と同時期に、音楽制作の現場でも多くの変化が起きていたんですよね。それに伴って、バンドだったり、そのバンドが参加するコンテストであったり、これらの役割が、ずいぶん変わりましたよね」
2016年の現在、1990年代と比較すれば、制作環境を構築するためのコストは劇的に下がり、web上をはじめ発表の場は自由に選べるようになった。作る、送る側/受ける、聴く側という境界は曖昧になった。
「1998年という年は、70年代後半から始まった第1次バンドブーム、続く80年代後半~90年代の第2次バンドブームの、帰結点でもあるのかもしれないですね。本の中では、“CD時代の終わり”といったようなことを、わりと挑発的に書いてはいるんですが、いろんなところで新しいことは始まっていて。ただ、何百万といったCDのセールスによってもたらされた、音楽が社会にもたらすダイナミズム……といったようなものは、もう起こらないと思います。やっぱり音楽は、その時代、社会とのバランスによって形作られていく。1990年代でいえば、音楽は、カラオケ文化に代表されるような、コミュニケーションツールであり共通言語……といった側面が強かったんですよね」
音楽が社会にもたらすダイナミズム。これを端的に知らせてくれるのがヒットチャートという存在だ。音楽と社会、時代の関わりを、ヒットチャートは映す。そしてヒットチャートは、潜在的な音楽ファンを新しい世界へと誘う窓の役割も持っている。そのチャートが持つ意味合いも、1990年代末と現在とでは、ずいぶんと変化した。
「アメリカで、2015年には“See You Again”と、“Uptwon Funk”という、誰もが口ずさむヒット曲が生まれているんですよね。グラミー賞は“Uptown Funk”がとったんですが、“See You Again”も“Uptown Funk”も、全米のシングルチャートで10週以上1位にランクされた。そんなヒット曲が、アメリカにはまだあるんです。誰もが口ずさむヒット曲みたいなものがちゃんと生まている。1位が週ごとに変わっていくような日本のヒットチャートの状況はやっぱり特殊だと思います」
(つづく)
宇野維正
「ロッキング・オン・ジャパン」「CUT」「MUSICA」等の編集部を経て、現在は「リアルサウンド映画部」で主筆を務める。編著に『ap bank fes official document』『First Love 15th Anniversary Edition』など。
- 宇野維正
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『1998年の宇多田ヒカル』
(新潮新書)