はっぴいえんどの“15年間”

80年代前半、歌謡曲のフィールドで名曲の数々を世に放ったはっぴいえんどのメンバーたち。前回〈松田聖子のアルバム『風立ちぬ』〉で、大滝詠一は松田聖子の楽曲作りに際し、アメリカの音楽出版社〈アルドン・ミュージック〉のソングライターチームの存在を意識していたのではないか、と締めた。大ヒットアルバム『A LONG VACATION』で大滝が完成させた〈ナイアガラサウンド〉だが、言うまでもなく、そのモチーフにはアルドンの作家であったフィル・スペクターの音像がある。“スペクター・サウンド”“ウォール・オブ・サウンド”と呼ばれ、多くのミュージシャンに影響を与えたフィル・スペクターだが、『A LONG VACATION』発売以前に、細野晴臣もこのスペクター・サウンドをモチーフにした作品を世に送りだしていた。

「SHEENA&THE ROKKETSの〈ユー・メイ・ドリーム〉(79年)は、細野さんなりのフィル・スペクターなんです。バンドでやるスペクター・サウンドをイメージしているんですね。そうすると大滝さんとしては“やられた!……やり返してやる”みたいな(笑)。そういう応酬があるんです、あの方たちには。細野さんはテクノを始めたときに、(YMOがカバーした)「タイトゥン・アップ(TIGHTEN UP - Japanese Gentlemen Stand Up Please!)」のような、自分が好きで、育った音楽をモチーフにしはじめた。それ以前のティン・パン・アレーでは、シンガー・ソングライター時代のハイブロウなアメリカのサウンドを目指していたことを考えると、YMOを始めてから、ルーツへアプローチするトライが、むしろ増えているんですね。そういう指向があの時期に、大滝さんとも合致する部分だったんじゃないかと思います。題材とする要素はとにかく複雑多岐にわたっているので、そのときには60年代リバイバルをやっているんだっていうのは実は見えなかった。それが分かったのは、ずいぶんと時間が経ってからですね」

「80年代は、日本の歌謡曲の最後の黄金期です。しかも特級の黄金期。品質の高いものが量産された時代ですよね」とサエキさんは言う。当時、歌謡曲界にとっては“左”側の存在だったはっぴいえんどのメンバーたち。しかし、現在から振り返れば、彼らは作家として黄金期の歌謡曲の中心に位置していたのだと思える。そして、大滝詠一は森 進一、小林 旭ら、歌謡曲のフィールドの更にど真ん中の歌い手たちにも楽曲を提供していった。

「70年代、日本語のロックにとって〈歌謡曲〉は敵だったんですね。そういう時代に、右を歌謡曲とするならば、左の代表選手として、はっぴいえんどがいた……この感覚を覚えている人にとって、歌謡曲に与していくってことは後ろ向きなことなんじゃないかという考え方がずっとあった。だけど大滝さんが『A LONG VACATION』という実験の後に、森 進一の〈冬のリヴィエラ〉(82年)や小林 旭の〈熱き心に〉(85年)を作るっていうのは、前向きな気持ちであり姿勢なんだろうと思います。でも、森 進一で言うと、細野さんが作曲・編曲した〈紐育(ニューヨーク)物語〉(83年)のほうにR&Bとの融合……細野さんたちのYMO的な“日本の歌を、バッキングで進化させるんだ”みたいな気持ちを感じていたんですが、逆に大滝さんは、特に小林 旭の〈熱き心に〉には、さらにもっと歌謡曲の懐に入って描こうとする意志を感じる。右翼っぽくなったというか。確かにサウンドは新しいんだけど、それで彼らを変身させるっていう感じでもない。そこは分からなかったですよね。でも、あれから30年以上がたってみると……そこは大滝さんの“明治目線”というか、NHK-FMでやっていた『大滝詠一の日本ポップス伝』そのもの。流行歌やポップスの重層構造、明治以来、和洋折衷を繰り返してきた音楽の歴史の中で大滝さんは小林 旭を捉えている。その流れの中で〈熱き心に〉を作っている。サウンドメイキング云々じゃないんですよね。明治からの日本語による“邦楽”をどう捉えるかっていう大きな視点に立って、大滝さんは曲を作っていたんだなって今になって思います。だから、5年や10年では印象が変化しない。目先の、流行のサウンドを追っているような曲って、10年もするとすごく古臭く聴こえるんですが、〈熱き心に〉などは印象がまったく変化してないですよね」

その後のポピュラーミュージックの流れを変えたという意味で、はっぴいえんどを“日本のビートルズ”と呼ぶ人もいる。ビートルズは、それまで続いてきたロック、ポップスを集大成させた存在だった。それまでの歴史と彼らの存在は地続きであり、断絶は起こっていない。だが、はっぴいえんどの事情は少し違うとサエキさんは言う。

「ビートルズとはっぴいえんどは少し訳が違っていて。似たような苦労はそれなりにあるんでしょうけど、1970~1971年のはっぴいえんどがやったことっていうのは、日本のそれまでの流れを、火炎放射器みたいなもので一気に焼き払うみたいなね、そんなことだったじゃないかな?と思う。そんな状況を作っておきながら生き残るのって、並大抵なことじゃなかったと思いますよね。それこそ〈熱き心に〉は85年で、はっぴいえんどの『ゆでめん』が70年ですから……だいたい15年間。15年で革命から伝統までたどり着く。15年でそこまで壮大な旅をするものなのかな?と思います。大滝さんは80年代中盤以降『EACH TIME』(84年)というアルバムの後、沈黙してしまったけど、無理もないなって。普通だったら3回くらい人生が終わってそうな……それくらい大きな変化を生きたっていうことなんだと思います」
(終わり)

プロフィール
サエキけんぞう(さえき・けんぞう)
ミュージシャン、作詞家、プロデューサー/1958年千葉県生まれ。〈ハルメンズ〉のメンバーとしてデビュー。その後、窪田晴男らと結成した〈パール兄弟〉で活動。『ロックとメディアと社会』(新泉社)、『ロックの闘い1965-1985』など著書も多数あり、様々なメディアで活躍中。(オフィシャルHP ⇒オフィシャルHP

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CD

松本隆/大滝詠一による「冬のリヴィエラ」。松本隆/細野晴臣「紐育(ニューヨーク)物語」は、次作シングルとして翌1983年4月21日に発売された。(ビクターエンタテインメント/1982年11月21日発売)

CD

「大瀧詠一 Writing & Talking」
大瀧詠一が残したエッセイ、評論、インタビュー、ライナーノーツ、対談などが集大成された一冊。本文中にある彼の“明治目線”に関する文献も、もちろん収録されている。(白夜書房/2015年3月21日発売)

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