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「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」by SMART USEN



東北沢にあったレコードショップ・エボニーサウンズで働く先輩の家に入り浸り、ジャズやファンク~ソウルを聴かされ続けた10代後半。クラブ~ダンスミュージックに傾倒しつつも、毎日をラグビーに捧げていてあまり遊びに行けなかった大学1年。そんな19歳の夏に出逢った1枚がこの「コーザ・ノストラⅡ」(現在は廃盤)です。

練習試合が無い日は日曜休みになるため、その貴重な土曜の夜遊び前に行く六本木WAVEが大好きで、そこで初めてジャケ買いしたアルバムでした。その後、鈴木桃子さん達が加わってアル・クーパー「JOLIE」のカバーで知られるユニット・コーザ・ノストラの登場につながる名盤です。今はなき表参道のクラブMIXの人気DJの方々が参加していて、リード曲UFO「LOUD MINORITY」に痺れ、名曲「TUESDAY HEARTBREAK」はスティービーではなく、トラックが素晴らしいエガイツさんのカバー曲が僕のスタンダードになりました。ラグビー部合宿中の早朝練習前や練習後の筋トレの後に、世の中にこんなセンス良い曲たちがあるのかと思いながら聴いていて、このクラブミュージックのコンピレーションアルバムを通して毎日泥にまみれながらもおしゃれ心を養っていました。

高校から六本木のクラブ「ドゥルーピー・ドゥルワーズ」や「エロス」で遊んでいた自分の足を、芝浦「GOLD」や表参道「BLUE」、渋谷の小箱クラブに向けさせてくれました。 翌年の2月にラグビー部の冬のオフを利用して、家庭教師のバイトで得たお金を握り締め、極寒のNYに夜遊びに行き、はじめてバーニーズ ニューヨークを体験した時も、このアルバムと一緒でした。自分をハウスやクラブジャズに目を向けさせてくれたきっかけであり、その音楽は後のライフスタイルを変えてくれた甘い思い出が詰まっています。

社会人となり私の音楽のアニキ・沖野修也さんと出会い、桜ヶ丘・THE ROOMが僕のホームクラブになりました。多い時は週3で通い、そこでコーザ・ノストラのメンバーだった佐々木潤さんや桃子さんと一緒に酒を酌み交わす日が来ることを、10代の自分に誇りたいです。

(おわり)

文/中野光章(バーニーズ ニューヨーク)



中野光章(なかの みつあき)
<左>本人<右>沖野修也さん
バーニーズ ニューヨーク アドバタイジングマネージャー。大学卒業後、バーニーズジャパン入社。新宿店デザイナーズフロアのマネージャーを経て、2003年よりPRマネージャーとして活動、現在に至る。インディアンジュエリーとビンテージウェアに特に造詣が深く、ファッション誌の企画構成も手掛けている。座右の銘は「倒れる時は前のめり」と「インディアンジュエリーは出逢った時が最安値」。





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