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2021.05.28

ビームス 青野賢一&アーバンリサーチ 齊藤悟、ファッション業界人による音楽談義 Vol.2──「ファッションと音楽とDJと」(前編)

ファッション業界の中でも音楽が好きな人に聞く、音楽とファッションの話。 今回は、ビームスの青野賢一さんと、アーバンリサーチの齊藤悟さんが登場。クラブやカフェなどでもDJをされている2人に、自身の音楽人生の話とともに、ファッションについて語り合ってもらった。

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──ファッションと音楽は繋がっていると思いますか?

齊藤 悟(以下、齊藤)
「繋がっていないと思います」

青野賢一(以下、青野)
「僕もそう思います」

──例えば、青野さんも好きなスタイルカウンシル(以下、スタカン)は、オシャレでファッショナブルな音楽の代表みたいなところはありますよね

青野「母親がファッションの仕事をしていたこともあって、小さい時から洋服に近しい所にはいたし、音楽に関して言えば、小6の時が80年で、ちょうどイエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)がブレイクした時代で、ファッションも音楽も格好いいと思った。たまたまそういう状況と環境があって、そののちにスタカンですね。彼らも確かにスタイリッシュではあったけど、何かをアイコニックにまとめあげてしまうのは違うのかな。齊藤くんが同じ現象を体感したときには、まったく感じ方が違うだろうし。 そこに大きな意味はなく、たまたま洋服やファッションが好きで、音楽も好きだった私たちがピンと来たものがそれだったというだけの話だよね。 齊藤くんはいまいくつだっけ?」

齊藤「45歳です」

青野「僕は68年生まれだから、例えば10代の時代感はまったく違うし、個人の置かれていた環境も大きく関係するよね」

齊藤「僕自身は、好きなミュージシャンのファッションを真似したいと思ったことがなくて、音楽とファッションを区別するつもりもないのですが、どちらかというと音楽そのものの方が好きなんです。だから、そこからライフスタイルの何かに置き換えることはないですね。 パンクもメタルもニューウェイブもヒップホップやファンク・ソウルも雑食的に好きなのは、結局、音楽として”自分が好きか・好きではないか”だけの判断で、音楽とファッションが繋がっているかという点に関してはピンと来ないですね」

──例えば、クラブなど音楽のある場所にオシャレをしていくカルチャーがあって、バンドのライブカルチャーとは違う部分があります。青野さんはクラブカルチャーの創世記からそういう場所に行ってますが、当時の雰囲気をどのように感じていましたか?

青野「たまたまそういう所にいた人たちが、音楽も好きだし、ファッションや他のカルチャーも好きな人が多くて、”変な格好しては行けない”という相乗効果の部分もあったと思う。 それと80年代という時代性は、大きく作用しているよね。”軽薄短小の時代”とは言われているけれど、逆に色んなカルチャーに触れやすい状況でもあって、興味があれば好きな物事に辿り着ける環境は、ある程度整いつつあった時代だったと思う」

──齊藤さんの時代はいかがでしょう?

齊藤「僕は90年代に入ってからクラブに行きはじめたのですが、一緒にDJをやっていた人たちが当時の青野さん世代が多かったこともあり、80年代とのごった煮な部分というのはありましたね。音楽的には”ベストヒットUSA”でかかっていたような音楽には影響を受けていますが、それはナビゲーターの小林克也さんがファッション的にどうこう、という話ではなく、うまくは言えないのですが、小林さんのやっていることがイケているという匂いがありましたし、そういう雰囲気を感じたのは、間違いなく音楽的な背景とか、文化的なセンスだと思います。特に僕は、当時東京に住んではいなかったので、フリーペーパーの”dictionary”をはじめ、東京のそういう文化的な部分はかっこいいのかな?と漠然と思っていましたよね。そういうかっこいい部分と繋がる手段が音楽で、そこからグラフィックや小説、漫画とか、さまざまな尖ったセンスのカルチャーが繋がったという感じです」

──お二人ともクラブなどでのDJ活動もされていますが、いつ頃から音楽的な活動をはじめられたのでしょうか?

齊藤「僕は大学のときですね。厳密には高校生くらいの時に少しはじめていましたが、もともと大阪ではレゲエやヒップホップが盛んだったこともあり、そのあたりの音楽をやっていました。大阪のDJカルチャーって、野球で言ったらパ・リーグなんですよ(笑)。東京がセ・リーグ。実力のパ・リーグと言われているように、関西には凝り性のDJが多くて、技術的にクオリティーの高い人が多かったと思います。こんなこと言うと怒られるかもしれませんが、レコード屋さんもいい意味で、変人な人が多かったイメージです。当時は、僕自身も東京のDJの方をあまりちゃんと聴いたことがなかったですし、特に洋服屋でDJをしている人に関しては、良く思っていませんでした(笑)」

青野「ファッション系のDJに関しては僕もそういう感じだったよね。87年からビームスのバイトをはじめて、同時期からDJをやるようになったけど、バンドでの音楽活動はもっと前からやっていたから、音楽自体はずっとやってきていたんですよ。だから、90年代半ば以降にぐっと増えたもっとライトな感覚でDJをやっている人とは、当時あんまり一緒くたにされたくないと思ってましたね(笑)」

齊藤「大前提として、音楽好きな人が集まっている場所なので、共通項が音楽の人と一緒にやりたいし、そっちの方がDJをやっていて楽しいですから。それこそ青野さんと初めてお会いしたときは、10数年前のWEBマガジン”フイナム”のクラブイベントで、当時、恵比寿にあったクラブ”MILK”だったと思うのですが、僕のDJの後が青野さんで、確か1曲目にフィリップ・ベイリーの”イージー・ラヴァー”を、しかも12インチレコードでかけていて、”12インチでこれか!”と思いましたよね」

青野「僕に代わって1曲目がそれで、すっとんで来たよね(笑)」

齊藤「実は僕も大阪時代によくかけていたこともあって、まさかその曲を青野さんがかけたので、ビックリして思わず駆け寄りました(笑)。でも、そのときに曲のかけ方も含めて”この人、ガチでDJをやっている人だ”という印象でしたよね。正直、この曲が12インチで必要かどうかはいまだに謎ですが(笑)。ただ、スポーツと一緒で、DJのスタイルを見てその人のレベルが分かりますから。僕は常にそういう人に会いたくてクラブに行ってたし、すごく嬉しかったんです」

青野「そういうシンパシーがあるとアウェー感が救われるよね。”仲間みつけた”みたいな感じで」

齊藤「洋服屋の人としての立ち位置で呼ばれることが多いので、その辺のニュアンスの感じ方がどうしても違いますし、青野さんが言うように”適当にやっている人と一緒にしないで欲しい”という気持ちはありましたね。少し傲慢な言い方に聞こえるかもしれませんが」

青野「クラブという場所のあり方、扱われ方が、そのくらいの時代から居酒屋で飲むのとノリとしては変わらない感じになってしまって、そこに音楽があってもなくても、大きくは関係してこない。パーティーそのものの性格が変わった時代かもね」

齊藤「でも、クラブに行くと何かしら面白いことを吸収できますよね」

青野「僕はあまり人ととつるむのが得意ではないので、大体ひとりでクラブに行くんだけれど、自分にとってのクラブは、パーソナルな場所で、好きなようにいられる空間なんだよ。クラブって、本来は人種や性別、性的指向、そういう部分と関係なく集える教会みたいな場所じゃない。ウィークデーの労働と差別と色んなストレスを週末に解放して、そこで自分を取り戻すみたいな場所。それがクラブの良さで、それってとてもパーソナルな問題なんだよね」

──おふたりはどのような音楽人生を辿って来られたのでしょうか?

齊藤「僕は比較的排他的なコミュニティーが好きで、結構暴力的な音楽を聞いてましたね。メタルとか、ヘビメタとか、そういうジャンルで、表現として粗いものが好きなんです。 最初にXTCを好きになって、そこから音楽的に広がりつつも、相反して良いと感じる部分は狭くなって、”この辺の音楽が好き”というのが定まった感じですね。そこの音楽を好きになる人はある程度限られますが、僕的にはコミュニティー自体は狭くてもいいのかなと。狭いなりの楽しさや居心地の良さがありますから。例えば、クラブも初めての時は居づらいですが、その居づらさが気持ち良かったりもしますし。そこで共通点を見つけていくうちにコミュニティーに入れてもらう。閉じている方が、入っていく面白さがありますから、そういう部分の魅力を音楽に感じていますね」

青野「バンドはいつからやっていたの?」

齊藤「DJをはじめる少し前の、19~21歳くらいですね」

青野「何のパートをやっていたの? 」

齊藤「鍵盤をやったり、MPCやったり、スクラッチもやっていました。その後、バンドにDJが入るカルチャーが流行っていた時代でしたかね」

青野「シアターブルックの頃のDJ 吉沢dynamite.jpくん的な(笑)」

齊藤「吉沢さんのDJは本当にすごいと思います。初めて見た時に”こんな変な人がいるんだ”って(笑)」

青野「あれはオリジナリティーだよね(笑)。 僕は中学生の時からドラムをやっているんだけど、音を出す楽器の種類が齊藤くんの時代とは全然違うよね。僕らの時代は、ギター、ベース、キーボード、パーカッションみたいな楽器しかなかったし、DJカルチャーもまだ入ってきてなかった。高校生の時にRUN DMCが出てきて、みんな、”アディダス”のスーパースターから紐がなくなったという、紐なしで履くようになったんだよね。僕はやらなかったけど。 バンドをやろうと思ったきっかけは?」

齊藤「知り合いのバンドのお手伝いをしていて、気づいたらメンバーに入っていたという感じですね。 最初は、94年くらいに高校の時の友人に”ロッテルダムテクノが流行っているらしい”と言われて、当時はまだテクノミュージックすらきちんと聞いたことがなく、とりあえず”持っている機材で打ち込みをやろう”となったんです。 他のバンドにも誘われて入っていたのですが、別に楽しくはなかったですね。僕は結構わがままだったというのもありますが(笑)」

青野「そうなんだ(笑)」

齊藤「自分のやりたいタイミングで曲も変えたいという、DJ的な思考に変化したのも理由のひとつですが、音楽で食べていこうとも思っていなかったし、そういう部分で周りの人との温度差があったんです。僕自身、その時は洋服も好きで、仕事としては洋服をやりたかったこともありますね。音楽は音楽で純粋に好きですし、洋服は買うのも見るのも好きですし、という感じでした」

青野「僕の場合、ドラムをやっている人があまりいないから結構需要があったな。大学の時に、中学校の同級生のバンドでドラマーが抜けたから”やってくれ”と言われて。そのバンドは音楽事務所にも入っていて、何回か事務所主催でライブをやっていたけど、その後にビームスのバイトをはじめたら忙しくなってしまったので抜けちゃったんだよ。でも、そのままやっていたら、違う人生があったかもしれないよね」

齊藤「青野さんはDJもそう感じるのですが、ドラマーっぽいんですよね」

青野「それはスカパラの青木(達之)さんもそうだったけれど、ドラマーのDJは独特みたいだね。リズムの捉え方とか、選曲がドラマーっぽいというのがあるみたい」

齊藤「リズム隊の人は、DJとの相性はいいと思います。曲の入れ方とか抜き方のセンスが、他の楽器をやっている人とは読んでいる拍の感覚が違うように感じています。その中でもとにかく青野さんのDJは、やたらセクシーなんですよ(笑)」

青野「褒めてもらってありがとうございます(笑)」

──具体的に言うと、どのようにセクシーなのでしょうか?

齊藤「青野さんがDJでかける音楽は、縦ノリではなく、どちらかと言うと横のノリで、腰で躍らせる感じ。間違いなくベースラインで躍らせる感じなんです」

青野「ベースは僕のDJにとって大事な要素ですよ」

齊藤「ベースラインはメロディーに比べると単音が長いですし、普通の人だと踊りにくいのですが、揺れる感じの踊りをさせるDJだと思いますよね」

青野「もしかしてそれがドラマーの選曲っぽいのかもしれないね。ドラムってベースをちゃんと聴かないと、というところがあるから。DJではやはりかっこいいベースラインの音楽をかけたいかな」

齊藤「だから、エロい感じなんですよ。僕のDJにない部分です。僕の場合は縦乗りサウンドなので、拍が揃っているDJをしているんですよね」

青野「それも個性だから。スクラッチは上手でしょ」

齊藤「それも無駄にギターソロをやる人みたいな感じですよね(笑)」

青野「それは僕には出来ない部分なので。 でも、ベースで踊るというカルチャーはニューヨークの”パラダイス・ガラージ”ですよね。ハウスミュージックはベースラインが重要で、その大元であるニューヨーク産のディスコミュージックに影響を受けているというのと、ドラマーというのとの両方があると思うな」

齊藤「青野さんのDJにはニューヨークディスコ感があります」

青野「アメリカ行ったことがないんだけどね(笑)。でも、そういう風にかける曲でもトーンが違ったりして、それでも仲良くなれるのは何でなんだろうね」

齊藤「僕は、一方的に青野さんのDJスタイルに憧れる部分もありますし、”こういうDJをやりたい”という思いもあるので、かける音楽やDJのスタイルがきっかけで、全体的にリスペクトがあるからだと思います。 言ってしまうと簡単な言葉になるのですが、青野さんはとにかくDJが上手なんですよ。そういう上手な人と一緒にやりたいというのは、強いチームと試合したいのと同じ気持ちで、だから一緒にやるときは、フロアにお客さんが一人しかいなくてもDJは緊張しますよね。プラスになるというよりは、楽しいですし、前向きになれます。音楽というか、DJのそういう部分は本当に素晴らしいと思いますよね」

青野「僕は、何でもそうなんだけれど、目標とか、抱負とか、”今日はこれをやってやる”とか、そういうのがけっこう苦手で全然ダメなんだよ(笑)。その時のその瞬間のムードとか、自分の置かれている感じとか、コンディションとか、いろいろある中で”コレ”ということをやれたらいいかな。だから、最終的にどこに行くのか自分でもよく分かっていない。DJブースに入って、フロアのお客さんの感じを見て、あとは自分の持ってきたレコード、トランプで言う手札を”どう切っていくか?”という話になる。そのスリルを味わっているところはあるのかも」

──例えば、一晩、1時間くらいのDJに何枚くらいレコードを持ってきますか?

青野「100枚くらい。 それ以上やるんだったら、もうちょっと多いよね」

──齊藤さんはいかがですか?

齊藤「僕はラップトップ、もしくはUSBでのDJがいまは中心になっていますが、レコードでDJをやっていた時はやはり100枚くらいですかね。それだけあると安心というか、他の気分になった時に選曲を変えられますし」

青野「人によってそこの考え方が全然違うよね。逆に少なくして自分を追い込む人もいるし。僕は沢山持っていかないと不安で仕方がない。それはその時の自分の気持ちに合うか分からないという理由からね」

齊藤「途中で気分が変わるのはよくありますよね」

青野「あとは、前のDJからの流れで”考えていたのと違う”ということもあるだろうし。でも、持っていくレコードのなかで”このレコード、今日かけられたらいいな”というのを2~3枚は考えています」

──自分のなかの今日の1曲的なものですよね

青野「当然、かけないで終わる時もあるけれど、それはそれ。その曲をかけることが目的になってしまうのは違うかな」

齊藤「かける気満々で持って行っても、”今ではないかな”というので、買ったレコードを結局使わないとかもありますよね(笑)」



(後編へつづく)

「80年代は『軽薄短小の時代』とは言われているけれど、逆に色んなカルチャーに触れやすい状況ではあって、興味があれば好きな物事に辿り着ける環境は、ある程度整いつつあった時代だったと」と青野さん。

「青野さんとの出会いは、DJの1曲目にフィリップ・ベイリーの『イージー・ラヴァー』を、しかも12インチレコードでかけていて、思わず駆け寄りました」と齊藤さん。

「今日聞けたらと思うレコードを2~3枚は考えて持っていくけれど、かけなくてもいいよね」と青野さん、「買ったレコードを結局使わないとかもありますよ(笑)」と齊藤さん。

「DJブースに入って、フロアのお客さんの感じを見て、あとは自分の持ってきたレコードをどう切っていくかのスリルを味わっています」と青野さん

「上手なDJと一緒にやることは、プラスになるというよりは、楽しいですし、前向きになれますよね」と齊藤さん。



青野賢一

ビームス ディレクターズルーム クリエイティブディレクター
ビームス レコーズ ディレクター
1968年東京生まれ。大学1年の時に「インターナショナルギャラリー ビームス」でアルバイトを開始、卒業後、販売職、プレスなどを経て、現在は個人の資質をクライアントワークに生かす「ビームスディレクターズルーム」所属。また、音楽部門「ビームス レコーズ」の立ち上げに携わり、レーベルディレクターを務める。DJ、選曲家、ライターとしても知られている。USENの店舗向けBGM配信アプリ「OTORAKU」にキュレーターとして参加、定期的にプレイリストを提供している。

齊藤 悟

株式会社アーバンリサーチ
デジタル事業本部デジタル営業部部長
1976年横浜市生まれ
株式会社アーバンリサーチでEC・プレス・マーケ・CRM・業務システムなどの部署を統括。
趣味はサーフィンと同じ靴を何足も買うこと。たまに料理。
好きな料理は:火鍋全般

(おわり)

写真/野﨑慧嗣
ナビゲーター・取材・文/カネコヒデシ





カネコヒデシ
カネコヒデシ メディアディレクター、エディター&ライター、ジャーナリスト、DJ。編集プロダクション「BonVoyage」主宰。WEBマガジン「TYO magazine」編集長&発行人。ニッポンのいい音楽を紹介するプロジェクト「Japanese Soul」主宰。そのほか、紙&ネットをふくめるさまざまな媒体での編集やライター、音楽を中心とするイベント企画、アパレルブランドのコンサルタント&アドバイザー、モノづくり、ラジオ番組製作&司会、イベントなどの司会、選曲、クラブやバー、カフェなどでのDJなどなど、活動は多岐にわたる。さまざまなメディアを使用した楽しいモノゴトを提案中。バーチャルとリアル、あらゆるメディアを縦横無尽に掛けめぐる仕掛人。









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