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2020.10.16

新たな時代の幕開けか。デジタルとアナログのもう一つの解釈

2021年春夏パリコレクションが9月28日から10月6日に開催された。公式日程を見ると新作を発表したブランドは84を数えた。そのうち19ブランドがファッションショーを敢行(招待客は1/3前後に縮小された)。20ブランドがショーをする代わりにプレゼンテーション形式で新作を発表し、45ブランドがデジタルプラットホームにて新作を発表した。加えて、公式日程に名を連ねていないブランドも会期中にデジタル配信による新作発表を試みている。新型コロナウイルス感染症拡大を避けるために余儀なくされた策とはいえ、ここまでショーの数が激減したのはパリコレ史上異例のことだ。

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世の懐深くには無抵抗の相手に対して残酷になれる芽が潜んでいる。芽は思い出したように醜く繁茂して、世相に暗い影を落とす。うっそりとしていながら芽は容赦なく、世の中の恥部をデロリと天道のもとに晒(さら)し,我々の内にある醜悪をちりちりと燻(いぶ)り出す。

太古の昔より種子は、人心の奥深くに埋められていたと云うのに。救いは人類の叡智(えいち)か。精神主義か。それとも倫理の道か。まさにいま進行しつつある未曾有なパラダイムシフトを甘受することで、よしんば創造や創作が、これまでのような自前のオーラをもち得なくなったとしても、また、仮想世界に陶酔することによってカタルシスを行なう場面が潰え、これまでの創造や創作が空手形に堕そうとも、イメージの風景のなかを逍遥(しょうよう)する自由精神は、我々の内なる蒼白い琴線を、いつの日か再び掻(か)き鳴らしてくれる筈。だから何が起きようが、我々は内なるイメージの世界を萎縮させるべきではない。

だが、明らかに一つの時代は終わってしまった。

2ヶ月前に発表された2021年春夏パリメンズコレクションが先鞭(せんべん)を付けたわけだが、ウィメンズの会期中に、映像製作を準備してデジタルプラットホーム上で参加するブランドの数の何と多かったことか。こうした珍現象に照らし合わせるならば、確かに一つの時代は終焉したかのように見える(新しい時代の到来と云うことか)。

だが、果たしてそうだろうか。

理想や虚構を具現化するデジタルの強みを最大限に生かした発表形式は、ひとっとびに時間と国境を越えて、アートやデザイン、ファッションの概念を超えた新しい表現の試みであり、まさに時節に見合った手法だと云えよう。

今回はミラノコレクションでも、会場に招待客を入れずにショーをする模様をライブ配信したブランドもあったが、クリエーティブな趣向を凝らした動画の中には、軽妙で心踊る作品(?)も少なくなかった。

しかし、映像が従来のファッションショーの代替になり得るかと云うと、些(いささ)か疑問の余地が残る。趣向を凝らせばそれだけブランドが打ち出そうとする世界観は確かに濃密になるが、その反面、本来主役たる服の存在感が稀薄になる場合もあり、ディスプレーの光を処理する動作を見詰めながら、やはり何とも、もどかしさは否めない。

服より放たれる強さは何処に行ったのか?動画配信が、眼前をモデルが通過する様を肉眼で追い続ける実体験(会場でショーを取材すると云うこと)とはまったく性質が異なることは端より諒解(りょうかい)しているのだけれど、服もトリッキーな映像仕掛けも、その一切合切が一つのコレクション(作品)とする考え方が新たな潮流になるのかと思うと少しく背筋が寒くなってくる。私見だけれどもね。

そもそもプレタポルテの真骨頂(基本となる概念)は「速度」、即ち、常に「新しさ」であり、突き詰めれば「一過性」であり、その「速度」(「鮮度」と云い換えても良いだろう)を如何に心踊る、魅力ある価値に変換して見せるか、と云うことになろう。

誤解を招くのを承知で云うと、服ではなくラジカルな「スピード」を着て貰いたい、と思うのが服を作る側の心組みだった筈だ。

「だった」と云うのは、ここで云う「スピード」「ラジカル」は、当今にあっては、少しく御法度になりつつある題目であると感じるからだ。当たり障りなく、無難に式が主流になっているような気がしてならない。

だが、先般のデジタル流行りは、或る意味ではスピーディーな対応でもある。行動や自由を束縛され、手枷足枷を嵌(は)められたことで、デザイナーたちのクリエーション魂に一気に火が付いたような観もある。

今や世界規模で、玄人はだしのアマチュアも入り混じり、乱脈極まりない、あらゆる分野に於ける動画配信の渦には呑み込まれないだろうけれど、良い意味でも悪い意味でも、表層的な側面を持つファッションは常に時代に先を越されると云う宿命を背負っているから、ちと危惧されるところでもある。

実際のショーにしろ、デジタル配信にしろ、パンデミックが、先行き不透明だからこそ本来ファッションが見失うべきでないものを再確認する契機となったことは確かである。服と人との繋がりや、ファッションへの歩み寄り方を新たに模索せざるを得ない時代だから、デザイナーたちの一層ポジティブな提言が目立ってきたのも今回の収穫ではないだろうか。

例えば「ディオール」のショー。作り手が女性だけに、今回も現代女性に向けられた力強いエールに満ちている。ショー会場の舞台装飾を手掛けた、伊のアバンギャルドな実験芸術を代表するアーチスト、ルチア・マルクッチの作品に着想を得たと云うマリア・グラツィア・キウリは、新たな表現の手段としての「コラージュ」と「視覚的な詩の美しさ」を表現している。日本からインドネシアまでの民族衣裳の持つ伝統的な技術に着想し、色柄のコラージュにより自由で独創的な着こなしを提案。大地を思わせる色使いが優しくもあり、力強くもある。

日本勢として唯一ショーを発表した「ヨウジヤマモト」は、様々な風合いの生地を使い異なる黒の表情を見せている。服地を結んだり、ねじったり、ぼろぼろに破いたり。縦横無尽な布捌(さば)きを以て花弁や葉の形状を模したクラシカルなドレスを提案。4区にあるパリ市庁舎のホールの暗闇に仄(ほの)かに灯るシャンデリア。メランコリックでロマンチックな時間が荘厳な空間を支配する。服の形は朽ちかけ、崩れそうなほどに左右非対称な設計である。そこには完璧さを拒み、敢えて人間の脆(もろ)さを肯定し続けてきた山本耀司のヒューマンな視線が窺(うかが)える。

「世界は泣いている」。これは今回の「ケンゾー」のコレクションリリースに記したフェリペ・オリヴェイラ・バティスタの言葉で或る。「ケンゾー」を手掛けて2シーズン目を迎えた彼もまた、パンデミックに思うところを着想に重ね合わせている。

「繭のように身を守る」と云った本能的な感覚を、生命の輪を回し調整する「蜜蜂」への讃美に重ね合わせ、実際の服の形に展開している。ブランドのアーカイブにある芥子の花や紫陽花のモチーフは、デジタル処理が施されワープ柄に変換されている。服地に咲き乱れる花々も泣いている、と云うことだろうが、勿論、コレクションを通貫するのは「楽しむことを忘れず、常に前向きであること」と云うブランドの根幹をなす考え方。そこには厭世観(えんせいかん)などはない。

但し、遺憾ながら会期中に訃報が世界中を駆け巡ったのだった。ブランド創業デザイナーの高田賢三の訃報である(10月4日、新型コロナウイルス感染のためパリ郊外の病院にて逝去。享年81歳)。

他方、デジタル組からは「バレンシアガ」。夜のパリの街頭をモデルが徘徊(はいかい)するムービーを配信した。明るい街中から夜の闇へと服を連れ出すと云う、時節を揶揄(やゆ)したジョークが効いているが、無地の素材の93.5%はサステイナブルの認証を得たものか、アップサイクルされたもので、殆どの服がユニセックスの設計となっている。いずれの服も環境への配慮を意図している。

また、富士山の麓で撮影した動画を配信した「アンリアレイジ」は「ホーム」を主題に「家のような服」「服のような家」を提案。例えば、ソーシャルディスタンスを保つため、直径2mのパターンで設計されたテントは、民族調のパッチワークの量感のあるシャツドレスやコートに変わる仕掛け。当今の微妙な心理と時代解析力を持った作り手の優しい提言と云えよう。カタチに固執する森永邦彦の面目躍如たるアイデアである。

(おわり)

取材・文/麥田俊一



麥田俊一(むぎた しゅんいち)
売文業。1990年より現在まで、東京、パリ、ミラノなどの各都市で開催されるファッションショー及びファッションデザイナーへの取材を続ける。雑誌『QUOTATION』のファッションディレクターを務める傍ら、新聞、雑誌などに評論や随筆を定期的に寄稿。桑沢デザイン研究所非常勤講師。2014年よりFashionsnap.comにて短期連載『モードノオト』を寄稿。2019年より共同通信社の47newsにてコラム『偏愛的モード私観』を毎月更新。



アンリアレイジ
PHOTO: ©︎ANREALAGE

ディオール
PHOTO: ©︎DIOR

ヴァージニア・ウルフやスーザン・ソンタグなどの女流作家の思想や彼女たちの装いに着想。スカーフのパッチワーク、ペーズリーや花柄、レース使いが無国籍な雰囲気。

ルイ・ヴィトン
PHOTO: ©Louis Vuitton Malletier

LVMH所有の、来年開店予定の大型商業施設ラ・サマリテーヌ(旧サマリテーヌ百貨店)が会場。形、カッティング、モチーフ使いなどで性差を超えた近未来的スタイル。

ヨウジヤマモト
PHOTO: Monica Feudi

黒と闘い、黒を手懐け、時には黒を憎み、黒を愛す。黒を汚し、黒を切り刻み、黒を解し、黒を叩き付け、黒を切り捨て、黒を慈しむ。そしてアンバランスな美は結実する。

バレンシアガ
PHOTO: Courtesy of BALENCIAGA

禁欲的なコート、部屋着や外出用のアウター、スポーツウエア、イブニングなどのクラシカルかつタイムレスな服が題材。独自のカッティングや服地の加工で更新する。

ロエベ
PHOTO: ©︎LOEWE

膨らんだ量感、動きのある形、装飾的な細部。演劇性と彫刻のようなフォルムを誇張しながら、クラシックにストリートの息吹を加えファッションを享受する喜びを表現。

ケンゾー
PHOTO: ©︎KENZO

「前向きな回答には一定の実用主義的な考え方が伴う」。蜜蜂と養蜂家の姿に着想。「今日我々に課されている脆さやディスタンスを反映している」と作り手は語る。

クロエ
PHOTO: ©︎Chloé

大胆な色で視覚に飛び込んでくるモチーフは、米国の女性アーティスト、コリータ・ケントとの協業。女性の可能性と彼女たちの結束が生むフェミニティーのパワーを具現。

メゾン マルジェラ
PHOTO: ©︎MAISON MARGIELA

フォーマルジャケットは切り裂かれ、レイヤーの中より踊るようなフリルが飛び出す。タンゴの激しい舞踏を通して古い魂を解き放ち、前に進もうとする強い情熱を描出。

ワイ プロジェクト
PHOTO: ©︎Y/PROJECT

重ね、捻り合わせ、巻き込み、上下や裏表を反転させ、一枚のシャツや一着のジャケットはパズルのピース、それも普通のジグソーパズルではなく、三次元のそれのよう。

カイダン エディションズ
PHOTO: ©︎KWAIDAN EDITIONS

流行を追随するでもなく、辻褄合わせのデザインでもなく、ごく自然にアイデアを膨らませながら淡々と、それでいてどうにも無視出来ない違和感のある服作りが冴える。

アンリアレイジ
PHOTO: ©︎ANREALAGE

「○△□」(2009年春夏)と「BONE」(2013年春夏)の概念を土台にした近未来の遊牧民を思わせる形。服を移動可能な家と捉えた。総てに抗ウイルス素材を使用。

ビューティフル ピープル
PHOTO: ©︎beautiful people

表と裏、重なり合う生地の「間」にポケットを設け、微粒のビーズを注入し、動きのある形を演出。着る側の所作に応じて服がソファーやベッドの形状に変わる仕掛け。

アンダーカバー
PHOTO: Katsuhide Morimoto

6つのコンセプトで構成。写真は「CUTE & MADNESS」のグループ。少女たちが夢見る可愛さと狂気が同居した御伽噺の世界。「サンリオ」との協業による部屋着。

イッセ イミヤケ
PHOTO: ISSEY MIYAKE INC.

畳む、重ねる、束ねる、丸めるなど、服の特徴を生かしたミニマムな設計。写真は着る、畳む、運ぶと云うリサイクルを念頭に置いた服とバッグを掛け合わせたコート。

マメ
PHOTO: Yuichiro Noda

内と外の世界を分かち、繋ぐ役割のある「窓」に着想。様々な想像上の窓をイメージし、それぞれにカーテンを掛けるようにオリジナルの生地を提案。刺繍や編みも繊細。



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