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「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」by SMART USEN



[section heading="ゲストスピーカー"]

株式会社シップス 代表取締役副社長 原 裕章
1960年生まれ。大学1年時より渋谷ミウラ&サンズでアルバイトを始め、83年に有限会社ミウラ(現株式会社シップス)入社。販売員から店長、営業部長、商品部長、人事部長、取締役を経て、16年より現職

株式会社トゥモローランド 店舗開発部 部長 上野 晃
1988年トゥモローランド入社。ライフスタイルブランド「ギャルリー・ヴィー」の営業、販促物の制作。93年よりトゥモローランドの販売促進を担当。その後、現職に就き、現在は販売促進メディア部部長も兼務

株式会社ビームス 執行役員 経営企画室 室長 金田英治
フォーマルウェアメーカー、デザイナーブランドを経て、1989年に株式会社ビームス入社。営業職を経験した後、販売促進部プレス担当として広告宣伝・販促業務を担う。2003年より総合企画室を立ち上げ、新規事業や様々な異業種とのコラボレーションを行なう。その後、社長室室長、広報部部長を兼務。15年より現職

[section heading="モデレーター"]

encoremodeコントリビューティングエディター 久保雅裕
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。

[section heading="バンドで競演!「ライブDEクリスマス」"]

――セレクトショップ界ではかなり以前から、ビジネス上はライバル関係にありながら、各社がバンドを組んで参加する「ライブDEクリスマス」を毎年開催しています。お三方も出演されていますね。

原「ライブDEクリスマスはシップス、聖林公司さん、ユニオンスクエアーさんなどの有志によって1989年にスタートしました。2回目からビームスさんが加わり、さらにユナイテッドアローズさん、フリークスストアさん、トゥモローランドさんなど、現在は7~8社が参加しています。最初は六本木のビートルズ専門のキャバーンクラブで、翌年からは渋谷のON AIR(現TSUTAYA O-EAST)やクラブクアトロなどの大型ライブハウスで開催してきました。スポンサードも受けていて、USENさんにも協賛いただいています」

金田「私自身は3回目から参加しています。だから、バンドデビューが何とON AIR。それにしても、楽器も歌もこんなにうまい人達が各社にいるんだと本当に驚きました」

上野「トゥモローランドは5年前から。一番の新参者です。当社はロックっぽい曲が多いのですが、皆さんそれぞれに系統がありますね」

原「シップスは王道のロック、R&B、みんなが分かる曲を演奏するようにしています」

金田「ビームスはマニアックでスタイリッシュなやつ(笑)。シップスさんとは対照的」

原「歌謡曲を演るところもありますよね、ちょっとふざけた感じの(笑)」

上野「フリークスストアさん。年齢も一番若いし、勢いがありますね」

金田「時代の変遷を感じます」

原「30年ですから。フジロックより長くやっている(笑)。このライブが縁で結婚に至った人もいます」

[section heading="セレクトショップ前夜"]

――では、本題に入りましょう。まずは皆さんがそれぞれの会社に入った頃のお話から。

原「私は大学に入学した1979年に、シップスの前身であるMIURAが運営する渋谷のMIURA&SONSでアルバイトを始めました。銀座と上野、名古屋、渋谷の4店舗で展開していた頃です。品揃えはアメリカ製のカジュアルウェアがほぼ100%で、毎日のように入荷してくる商品が本当に楽しみでしたね。商品を見るために、授業は午前中に固めて、午後からは店という毎日。そのまま、卒業した83年に入社しました。社員は20人ぐらい。まだセレクトショップという言葉もありませんでした」

金田「セレクトショップという言葉が使われ始めたのは90年代初めのことです。『ホットドッグ・プレス』のある女性編集者が初めてそのワードを使ったのを覚えています。それまでは、総称は無く、専門店とか品揃え店とか言われていました」

上野「私が入社したのはそのちょっと前の88年です。当時のトゥモローランドはメーカーで、ウィメンズで3つめの自社ブランド「ギャルリー・ヴィー」を立ち上げ、メンズもスタートさせた頃。これらを編集して「トゥモローランド」の屋号で初めて百貨店に出店したのが90年代前半でした。96年に自社ブランドとセレクトによるメンズ&ウィメンズの店を当時の有楽町西武に出店し、2000年に丸の内の路面店で現在の原型が出来上がった。その頃はセレクトショップと呼ばれる事を目指していて、やっとそう見てもらえるようになったんです」

金田「私は89年にDC系のアパレルから転職し、ビームスに入りました。まず感じたのは、男っぽさです。ただ、シップスさんの店頭を見ると、うちとは違う意味で男っぽかった。ビームスは今で言うストリート系の要素が色濃くあって、ちょっとチャラい部分も併せ持った男っぽさでした。これが後の渋カジブームの源流となります。それから1年半ほど経った頃、コンペティターが増えて、各社が独自性を色濃く出していったのです。その結果メンズの中のすごく細かいカテゴリーで、これはシップスっぽい、あれはビームスっぽいといったことが普通に話題になっていましたね」

[section heading="文化・情熱を伝える「らしさ」の追求へ"]

――現場で仕事をしてきて、自社や市場のここが変わったと感じることはありますか?

原「入社した頃のシップスは体育会系の社風でした。当時のアパレル企業には多かったと思います。営業が終わると飲みに行って、レイアウトのことで口論になって、そのままの勢いで店に戻ってレイアウトを替えるといったことがよくありました。そういう熱は社員が増えるにつれて薄まっていったかな。世の中的にも服への興味の度合いが下がっていると感じます。30年前は興味の対象の一番は服、今はそこまでではないというのが実感です」

金田「私が入った頃のビームスは、本気で服が好きな人しかいないという印象でした。ひとつのモノについてこんなに饒舌に語れるんだっていう人材の宝庫でしたね。時代が変わって、今は溢れるほどのモノと情報に囲まれて育ってきた世代の人たちとどんな価値観を共有できるのか、選ばれる存在になるために何をしていくのか、そこを試される時代になっていると思います」

上野「いろんなことが一周して、もう一度、“らしさ”の追求が大事になってきているのではないでしょうか。ゴールはないんですけど。入社当時は、原さんがおっしゃったような感じで、毎日のようにお酒を飲みに行っては“らしさ”を語り合い、何でこんなに語れるんだろうというぐらい仕事の話をしていました。しかも相当に熱く。今、社内では改めて“らしさ”を追求しようということが、言葉として出てきています」

原「自分が好きなモノを仕入れたという情熱をそのままお客さまに伝える。そうした原点は残していきたいですね。シェットランドのセーターはシェットランドで作るとか、デニムはアメリカとか、ルーツに遡ってカントリーオリジンを突き詰める。そのストーリー、うんちくやこだわりによって、モノに熱狂する、愛情を注ぐという文化が醸成されました。“偏執的な熱狂”みたいなものからストリートの文化がどんどん出来ていって、現在は海外からそれを求める人たちも増えています」

――そうやって日本のファッションカルチャーは独自に発展し、セレクトショップはファッションビルに続々と出店して急成長を遂げました。ただ、成長にはピークがあります。

原「私はピークを作らないことが継続になると考えています。よく90年代後半から2000年代前半がセレクトショップのピークと言われますが」

金田「人間で言うと、急に身長が伸びて膝が痛くなるぐらいの時期だったのでは。売り上げについては各社とも今も伸びていますから」

原「急成長した青年期が90年代から2000年代前半。そこから各社が進化しているので、当初のセレクトショップの概念にはまらなくなっているという気がします」

上野「いかに長く求められる価値を創っていくか、と感じます。セレクトショップが横並びに出店するケースが増えましたが、それでも伝わる個性や役割を創り上げていかないと市場は成長していきません。差別化ではなく個性化がすごく求められていると思います」

金田「現時点で私が考えるビームスらしさとは“時代との距離”です。固有のモノではなく、時代が変わっても同じ距離感でビームスの立脚点を作るということ。そこへ向けて“モノからコトへ”、“コトからヒトへ”といったように言語化し、物事を見る角度を変える試行錯誤をしてきました。その取り組みとして、ライフスタイルの提案を継続しています。ライフスタイルは変化しますが、そこに必ず介在するのがファッションです。各社が変化対応しながらフィールドを広げていった先のあり方が、それぞれの“らしさ”になってきたのだと思います」

[section heading="クリックひとつで買える時代のセレクトショップ像"]

――ECのシェアが拡大する中で、セレクトショップはどうなっていくのか。最後に、今後の課題をお聞かせください。

上野「当社のEC化率は現在10%弱で、まだ伸びることが想定されます。“文化を残しながら文明を活用する”と言われますが、文明を一生懸命に進化させる人を育てていく一方、今の人たちに刺さるやりかたで文化を継承し、育てていくことが大切だと思っています。両軸によって、1人のお客さまにどれだけ力をつぎ込めるか。そこを突き詰めていきたいですね」

金田「ECはクリックひとつで買えるだけに、手に入れたモノに対するワクワクの持続時間がどんどん短くなってきていると感じます。だからこそ、理屈ではなくすごいと思うモノ、人の心を動かすモノを提供していきたい。そのためには、それを作ったり、仕入れたりできる目利きが自ら育つ環境が必要です。今、“TANE. MAKI”グランプリ」という全社的なプロジェクトをやっていて、302のアイデアが上がってきました。全社員による投票で絞り込み、グランプリが決まります。それを元に、実際に事業化へ向けた検討を行なっていきます。何が選ばれ、何が実現するのか、とても楽しみです」

原「当社はブランドを大きくするよりは強くしたいですね。近年ECが伸びて、現在25%を超えています。それ自体は世の中の流れであって否定はしないのですが、リアルな場の力が落ちているということでもあります。どうしたらまた店舗に来てもらえるのか。もっとお客さまとの関係を深くしたい。そのためには商品も接客も、特別に何がということではなく、継続すること。お客さまにとって大切なことを忘れないことが一番と考えています」

――皆さんお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

(おわり)

撮影協力/株式会社ビームス
文/宮下政宏
写真/遠藤 純







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