橋本唯(はしもと・ゆい) ETHOSENSデザイナー
2000年、エスモード・ジャポン東京校卒業。ファッションブランド「YAB-YUM(ヤブ-ヤム)」「LOLO(ロロ)」のパタンナーを経て独立。07-08年秋冬コレクションから自身のブランド「ETHOSENS(エトセンス)」を展開している。08年春夏に「Paris Area(パリ アエラ)」、08-09秋冬に「Paris Rendez-Vous(パリ ランデヴー)」に出展。11年7月、渋谷に旗艦店「ETHOSENS of white sauce(エトセンス オブ ホワイト ソース)」を出店した。15年、パリで単独展。同年、第2回「TOKYO FASHION AWARD」受賞。16年秋冬からランウェイ形式でコレクションを発表。

将来のスタンダードになり得る革新的な表現を目指す

――橋本さんはパタンナーとしてキャリアをスタートさせています。
専門学校を出てから「YAB-YUM(ヤブ-ヤム)」と「LOLO(ロロ)」という2つのデザイナーブランドでアシスタントを務めました。共にデザイナー=ブランドですから、必然的に僕はパターンを担当したんです。パターンを引くことを通してブランドの服作りを学びました。デザインを造形物である服にしていくために、パターンは最も重要なパートです。最初にその経験を積めたことは、自分のデザインを形にしていく上で大きな力になっています。
――もともとデザイナーになりたかったのですか。
母親が画家だったこともあって、小さい頃から美術が身近にあり、物を作ることが好きでした。将来の仕事としてファッションを意識したのは高校3年生のときです。アンティークの店をやっていた知り合いがいて、買い付けに同行させてもらったのがきっかけでした。ただ、大学への進学が決まっていたので、そのまま大学へ。服屋で販売のアルバイトをする中で、自分は洋服が作りたいんだと気づいたんですね。「自分で完結できる服作りがしたい」と思うようになり、卒業後に専門学校に進みました。専門学校ではデザインを中心に学び、就職に際しては自分が独立するために必要な要素が多いブランドを探し、ヤブヤムに行き着いたんです。当時は東京ファッションウイークにも参加し、小規模ながら注目されていました。古着をベースとした服作りが特徴で、そのデザイナーであるパトリック・ライアンに弟子入りしたような形でしたね。その後、素材感やディテール、サイジングなどにこだわった服作りをするロロでパタンナーとして働き、2004年に独立しました。
――いよいよ自身のブランドでデザインを始めた。
はい。そのときに立ち上げたのは「ETHOS(エトス)」というブランドで、エトセンスとは異なるアプローチを採っていました。古着を今の服に落とし込むということをやっていたんです。学生時代に働いた1920~30年代のヨーロッパの古着を扱う店でビンテージの魅力にはまって、以来ずっと惹かれていたんですね。その要素を服に表現したのですが、シーズンを重ねるごとに本物には敵わない、時代を経た古着のオーラは出せないと痛感して。今の感覚、感性で作ったものが何十年かを経て時代をまとっていくのは素敵なことだけれど、単にビンテージを取り入れても残っていかない。それで、自分が表現していくべきものを掘り下げていったんです。

――ひと言で言えば「本物」「本質」ということでしょうか。
時代の本質的な部分を追求する感じですかね。ファッションには普遍的なスタイルがある中で、自分は何をしていくのか。突き詰めて考えて見えてきたのが、「将来、スタンダードになり得る革新的な表現を目指し、わずかでも世の中に新しい価値をもたらせるよう、本質的なクリエイションを追求していく」という答えでした。その考え方をブランド名に込め、身についている癖や習慣を意味する「エトス」と未来を拓いていく今の感覚を意味する「センス」を融合したエトセンスに改め、08年に新たなスタートを切ったんです。その象徴として、ブランドロゴに菱形を取り入れました。正方形はそのまま見ると正方形ですが、角度を変えて見ると菱形になる。物が溢れている中で既に在るものを作っても存在意義はあまりないので、服の形やディテールも視点を変えて見て、既に在るものに違う価値を見出し、1着の服へと収斂(しゅうれん)していくことに取り組みました。襟がちょっとズレているとか、ジレがシャツと一体になっているとか、直線的なカッティングをしているけど柔らかく見えるとか、あえて違和感を与え、新鮮な見え方につながるよう意識しています。

世の中へのメッセージと、自分が着るための服

――コレクションのテーマは、社会との関係を意識して設定しているということ?
世の中に向けて表現をしているので、テーマは付けています。ブランドを立ち上げてしばらくはシーズンテーマを設定してから服作りをしていました。ただ、その言葉に自分が縛られてしまうというか、服作りの可能性を狭めてしまうような感じがしてきたんです。エトセンスの根底にある服作りのコンセプトは変わらないので、現在はシーズンテーマより先にイメージやアイデアをどんどん出していくようにしています。そうした断片をデザインに落とし込んでいくときも、ディテールから入ったり、素材から入ったりと順番はいろいろです。パターンを引きながらデザインが生まれてくることもあります。構造をデザインするようなイメージですね。パタンナーからキャリアを始めているので、そこは自分のアイデンティティーの一つだと思っています。そんなふうにやっていくと、そのシーズンにやりたいことが共通要素として見えてくるんですよ。

2010年秋冬「COVER OF LIFE(カバー・オブ・ライフ)」
2009年秋冬「GENTLEMAN?(ジェントルマン?)」
2017年秋冬「Lag is fine(ラグ・イズ・ファイン)」
2013年秋冬「UNDERCONSTRUCTION(アンダーコンストラクション)」
2019年春夏「wabi-sabi(侘-錆)」

――様々な角度からやっていたことが像を結んでくる。
そうです。それを言葉に置き換え、本の題名を付けるような感覚でテーマを設定しています。24年春夏シーズンは「Switching Adagio(スイッチング・アダージョ)」をテーマにしました。アダージョは「ゆるやかに」を表す音楽用語です。例えばコロナ禍ではデジタル化など様々なことが変わっていき、3年ほどしか経っていないのに世の中はかなり変わりましたよね。徐々に変化しているんだけど、過去と今を比べると短い年月でも大きく変わっていたりする。その変化を服に表現しました。3種類のトップ糸をそれぞれ織り上げ、パーツごとに色を変えて同系色のグラデーションとして表現したり、色味が微妙に変わっていくストライプとして表現したりしています。そうした世の中へのメッセージはいつも意識しているのですが、もう一つ、ブランドを始めてからずっと大切にしていることがあります。「純粋に服を作りたい」という思いです。僕は自分が着ることを目的として全ての服を作っています。ファッションブランドはターゲットを設定して服を作るのが一般的ですが、エトセンスはこういう人に着てほしいというペルソナが無いんです。

「Tile 5way coat A」は袖やレザーの裾を外せば5通りの着方が楽しめる
経糸に80/2糸の細番手ウール、緯糸に66/1リネンを使用しタイル柄を二重織で表現した「Tile 5way coat A」
「Tile loose jacket A」(左)と「Tile collarless jacket A」(右)のカラーバリエーション
「Tile collarless jacket A」(左)と「Tile loose jacket A」(右)のスタイリング
「Switched jacket A」と「Switched squeeze slacks A」のセットアップ。生地は60/2糸の平織り物(トロピカルウール)で通気性があり、薄手でありながらハリ感のある仕上がり

――自分が着る服を作ってきて、実際にはどんな人たちがエトセンスの服を着ているのでしょうか。
結果として、20~30代の人たちが中心になっています。僕と同じ年代やそれ以上のお客様もいますが、若いお客様が最も多く、女性のお客様もいます。ブランドを立ち上げて15年が経つのですけど、誰からも信頼される老舗ブランドを目指すというよりは、常に何か新しいこと、面白いことをやっているブランドでありたいと思ってきました。それが結果的に、自分よりだいぶ若い人たちの共感につながっている。
――加えて、女性客も多い。
メンズブランドで、僕が着たい服を作っているのですが、女性のお客様が普通にいる感じです。そこでショーやルックでは女性モデルも起用し、商品としてはウィメンズのサイジングも展開しています。服の構造上は多少は変えたほうがきれいに見えるということはありますが、基本はメンズ服です。今は男性らしさ、女性らしさを以前ほど考えなくてもいいんじゃないかと思うんですね。女性がオーバーシルエットのメンズ服を着ること自体が普通になってきていますから。女性に着ていただけているのは、素材感も大きな理由かもしれません。エトセンスの服は、身体と生地の間に空間を作るという捉え方で作っています。体形に沿わせるデザインにすると素材感よりも服のフォルムに目がいってしまうのですが、身体と生地の間に空間を作るとドレープ感が生まれ、素材に動きが出てくる。女性の身体は曲線的なので、エトセンスの服を着ると男性とはまた違った魅力が醸し出されます。

――生地はウールが多いようですが。
ほとんどがウールで、ほぼ全てが尾州産地で作ったオリジナルです。裏毛のカットソーもウールで作っています。コットンやリネンもほとんどは尾州製です。尾州で作った生地のほうが、よりブランドの表情を出すことができるからです。春夏物でもウールを使っているので、ウォッシャブルにして、洗濯を重ねても表情が変わらないように。自分が着るのだったらこうあってほしいということ、例えば長く着続けられるとか、洗えるとか、機能性にもこだわっています。縫製は国内のベテラン職人にお願いし、複雑なパターンを形にしていく。そうやって1着1着を作っているので、服作りの各段階で高齢化が進んでいる現状はかなり憂慮しています。メイド・イン・ジャパン自体をどう持続させていくか。これまでは恵まれていたけれど、これからの在り方をブランドとしても試行錯誤していかなければいけないと考えています。

スーパー140’Sウールを使用した「Switched sweatshirt A」

より良いアウトプットへ、クリエイションを追求できる環境作り

――現在、販路は渋谷の旗艦店「ETHOSENS of white sauce(エトセンス オブ ホワイトソース)」とオンラインストア、そしてセレクトショップへの卸があります。
実店舗は11年に出店しましたが、空間も含めてブランドの世界観を伝えたかったんです。それが一番の目的。この間、オンラインによる購買も急速に進みましたが、構造のパターン設計や素材の風合い・感触は二次元の画像では伝えづらいんですよ。オンラインで売りやすい服を作ろうとも思っていないので、実店舗は重要なチャネルです。手に取って、着て感じる場は、より価値が増すんじゃないでしょうか。エトセンスではオンラインストアも展開していますが、実店舗でのお客様の購買が圧倒的に多いという状況が続いています。また、出店時にはアトリエも併設し、お客様の声をダイレクトに聞けるようになりました。これは服作りにおいてとても良いことです。でも、僕らはお客様の想像を超えるものを作らなければいけません。お客様の声をインプットし過ぎても、それは難しいと思うんです。ただでさえ情報が溢れている中で、いかにインプットを制御・整理して、アウトプットしやすい環境を作っていくか。それが大事だと思い、お客様とのコミュニケーションを通じて商品を販売する店舗と、クリエイションの現場であるアトリエを分け、現在に至っています。

シーズンコレクションを提案する空間
渋谷区桜丘にあるエトセンスの旗艦店

――海外販路の開拓についてはどう考えていますか。
15年にパリで単独展を開いて、同じ年に第2回「TOKYO FASHION AWARD」を受賞してもう1回、その後も5シーズンにわたって展示会を行い、韓国や香港などのアジア圏、ヨーロッパのセレクトショップに販路が広がりました。コロナ禍以降は海外に行けなくなり、現地での展示会は中断中です。卸先は減りましたが、継続している店はオンラインでオーダーが入っています。海外についてはオンラインを生かして発信し、リアクションをしっかりと受け止めた上で、現地でのプレゼンテーションの在り方を考えていきたい。自然な流れを作っていきたいんです。僕らの核となっているのは、シーズンごとのコレクションです。無理をして自ら海外に出ていくのではなく、コレクションをしっかりと作り込み、海外からも求められるような状況を作っていきたい。核となる部分のアウトプットをしっかりと行うことが一番で、だからこそ自分をどういう状態に持っていけばより良いアウトプットができるのか、クリエイションを自然に追求できる環境作りを今は最も重視しています。

写真/野﨑慧嗣、エトセンス提供
取材・文/久保雅裕

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久保雅裕(くぼ まさひろ)encoremodeコントリビューティングエディターウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。東京ファッションデザイナー協議会 代表理事・議長。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。

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