『機動戦士ガンダム』の時代
映画、ドラマ、アニメなどの劇中で流れる音楽である“劇伴”。“BGM集”“音楽集”“サウンドトラック盤”などの呼び名で商品化されることが当たり前の現在だが、『機動戦士ガンダム』放送当時の1970年代、アニメのジャンルでは劇伴そのものが商品になると考えるメーカーはなく、モノラルでの録音がほとんどで、商品化の際もオーケストラ編成にアレンジするなど、オリジナルの形で発売されることはほぼなかった。しかし、1979年4月に放送がスタートした『機動戦士ガンダム』の最初のBGM集『機動戦士ガンダム―オリジナル・サウンドトラック』は、1979年5月にキングレコードから発売されている。これは当時、かなり珍しいケースで、発売元のキングレコードが、当時、アニメに関しては後発メーカーだったことがひとつの理由になっている。
「キングレコードは大きなシェアをもつ他社に対し、孤軍奮闘みたいな形でした。そこで、当時の藤田純二ディレクターがファンを大事にしようと思い、そのサービス精神のひとつに劇伴をオリジナルのままステレオの高音質で聞かせるという構想が出たんだと思います」
当時、ファン代表のような形で、実際に『機動戦士ガンダム』のレコード制作に携わっていた氷川さんはそう教えてくれた。
「ダブルジャケットにして面積を増やし、そこに監督の富野さんのメッセージを入れる。写真もカメラマンを出してテレビよりきれいなセル画の写真を撮る。ファンに近い構想ばかりです。僕の最初の仕事も、セカンド・アルバム『機動戦士ガンダム―オリジナル・サウンドトラック 戦場で』の写真構成でした」
1979年4月から始まった『機動戦士ガンダム』の放送が続いていた1979年11月。この2枚目のBGM集『戦場で』は発売される。パイロットスーツを着た主人公アムロ・レイが、夕日で赤く染まった荒野の戦場を歩くジャケットアートが印象的な作品だ。『機動戦士ガンダム』のキャラクター・デザイン/アニメーション・ディレクターを担当した安彦良和の手によるこのジャケットワークは、アニメがまだまだポップカルチャーとして、現在のようなポジションを得ておらず、いわゆる“子供向け”のコンテンツとされていた時代に大きな衝撃をもたらした。そして、この『戦場で』のジャケットは、半年前に発売された1枚目のBGM集『機動戦士ガンダム―オリジナル・サウンドトラック』のジャケットとは、方向性が大きく異なるものだった。
「『戦場で』の安彦さんの描きおろしイラストは衝撃でした。その発端も1枚目のアルバムです。(1枚目の)中味は高評価でしたが、ジャケットはオモチャっぽくてファンはガッカリです。富野さんもお怒りになったみたいなんですよね。制作会社に“ガンダムのレコードを出したいです”と申し込めば、“わかりました。表紙はやっぱりガンダムですね”ってなりますよね。ガンダムの玩具を売る番組ですから。すると現場のアニメーターとは別に、商品向けの絵をかく人たちに回る――だから〈版権イラスト〉っていうんです。テレビ用の絵は量産品だから雑だと思われていて、きれいにツヤツヤに描いて子どもが喜ぶように……ということなんです。当時のロボットアニメの慣習としては普通の対処ですが、富野さんの意識は“打倒、ヤマト”、“打倒、ハリウッド”なんです。これはキングレコードさん経由で当時聞きましたが、富野さんは『レコードはスター・ウォーズみたいにしたい』と言っていたそうです。『スター・ウォーズ』のアルバムは、画期的だったからです。劇伴が全部入った2枚組である上に、レコードは映像より先にアメリカから入ってきたはずで、輸入盤屋さんにいくと、黒字に白抜きの『STAR WARS』とロゴだけのジャケットが目をひいた。それまでの常識なら、ルークがライトセーバーを振っているキービジュアルの絵柄にしそうなのに、キャラがなかった。でもあのロゴだけで『スター・ウォーズ』ってわかる。格好いい。それは、引き算のデザインだからなんですね。だから、ガンダムの“G”の大きなロゴも、『スター・ウォーズ』のアルバムみたいに使いたいって意図があって作ったのに“何もわかってない”とカンカンになったそうで(笑)。“子どもが買うものじゃないんだから”って。暗に子ども向けに作ってないってことですよね」
この『戦場で』が、BGM集としては異例の高セールスを記録する。
「『戦場で』は前作よりセールスの初速が良かったのに加えて、1枚目の販売も引っ張って、再プレスが続いたんです。本や雑誌に“『ガンダム』は、リアルタイムでは人気がなくて打ち切りになった”ってよく書いてありますが、僕は絶対にそう書かない。それは、本放送中からこういう加熱が起きていたことを知っているからです。“玩具セールスが伸び悩んだ”“視聴率が思ったほどじゃなかった”というなら、合っているんです。だけど、“当時は人気がなかった”というのは大間違いなんです。レコードとアニメ雑誌では、すごく人気があった。そういう意味ではアニメ史上初といっていいくらい、リアルタイムで人気になったエポックメイキング作品です。『ルパン三世』だって『エースをねらえ』だって、『宇宙戦艦ヤマト』だって、全部リアルタイムではこういう反応はなくて、全部後追い、再放送などでの人気です。でも『機動戦士ガンダム』で初めて、時代とファンの想いが合致したんですよね。そのバロメーターになったのが、高額パッケージ商品であるレコード売上だったというのが僕の認識です。それは今でいう、ビデオソフト(Blu-ray/DVD)に相当する役割でした。いまビデオソフトの売り上げを気にしているファンの方は多いと思うんですけど、その原点は『機動戦士ガンダム』だと思います。劇場版でリベンジするという風になったのも、おそらくレコードの売り上げが裏づけ、ベースになったことだと思います。『戦場で』の売り上げが背中を押したものの、放映短縮になって全43話で終わりっていうこともその時点では決まっていました。でも、劇場映画化の話はキングレコードを通じて僕の方にはかなり早くから聞こえてて、1979年の年末には話が出てたんじゃないかな」
次回は、氷川さんが構成を担当した3枚目のアルバム『機動戦士ガンダム Ⅲ アムロよ…』の制作秘話、そして81~82年に大ブームを巻き起こした映画版3本の音楽にまつわるエピソードをお送りする。(つづく)
プロフィール
氷川竜介(ひかわ・りゅうすけ)/1958年生まれ。東京工業大学卒業。明治大学大学院客員教授。主な著書に『20年目のザンボット3』『フィルムとしてのガンダム』『アニメ産業レポート2013』(共著)『日本アニメーションガイド ロボットアニメ編』(共著)などがある。