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SMART USENの「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」、第20回のゲストはKEITA MARUYAMAの丸山敬太さん
――今日お邪魔したのはフラグシップともいうべき丸山邸でしたが、いま丸山さんが手掛けているブランドはKEITA MARUYAMAということになりますね。
丸山敬太「はい、そうです。1994年のデビュー当時はKEITA MARUYAMA TOKYO PARISでした。パリでやってないのにね(笑)」
久保雅裕「ブランドの立ち上げの話もしたかったんだけど、あまりできなかったね」
丸山「そうですね。面白い話がありすぎるんですよ」
久保「じゃあ、ぜひ第2弾で(笑)」
――本編で言っていた、やれることとやりたいことをきちんと見分けなさいというアドバイスにはっとさせられました。
丸山「学生とか若い人たちとよく話をするようになって、みんな“やりたいことがわからないんです”、“見つからないんです”って言うんですよね。それがよく理解できなかったんです。僕自身はそんなふうに思ったこともなかったので。たぶんわからない/見つからないわけじゃなくて、自己防衛の意識が働いてるんじゃないかなと。人に言ったら馬鹿にされるんじゃないかとかね。みんな“こんなことをやってみたいんです”って言ったときに“大丈夫、やれるよ!”って背中を押して欲しいんですよね。でも、ちゃんと言葉に出して言ってくれないと僕らも背中を押してあげられないし、助けてあげることもできないから」
――わからないわけじゃなくて、言葉に出して言うのが怖いとか、恥ずかしいということなんでしょうね。
丸山「その気持ちはわからなくもないんですよ。大人の立場から言えることは、“いや、いまここで恥かいたってたいしたことないんだから”ってことなんです。あと若い人と話してると学校否定になりがちですけど、学校の先生にも立場があるんだしってことは言いますね(笑)」
――達観してますね。それは高校生時代からですか?
丸山「ないない!いまだから言えることですよ。自分もどちらかというとやんちゃな方だったんで(笑)。あれがやりたい!これがやりたい!ってやりたいやりたいばっかりでね」
――むしろ、いまの子たちは大人びているというか、枯れちゃってる感じがしますけど。
丸山「いや、そう見せてるだけで、いまの子も僕らと全然変わらないから。だからやっかいなんですよ。本当に枯れてるんだったらそれでいいんです。きっとやりたいことやってるんだろうなってことで。でも違うから。たぶん逃げ場を作ってあげるだけでいいんです」
――なるほどね。すごく腑に落ちました。
久保「なんというか、若い世代に対する丸山さんの眼差しがやさしいですよね。投げっぱなしじゃなくてちゃんと逃げ場を作ってあげなさいと」
丸山「なんかもったいないじゃないですか。若いって、それだけで可能性がたくさんあるわけだし。まあ、大人たちも必死ですけど。だから若い世代と大人の世代が助けあえるといいんですけどね。デジタルコンプレックスがある大人たちはデジタルネイティブな若い人たちに助けてもらえばいいんですよ。なんだろう、いまの10代後半から20代前半っていじわるな子がいない気がするんだよね。ときに残酷だったりするんだけど、邪気は感じないんですよ。だからこそ世代間で対等にコミュニケーションできるんじゃないかなと思いますよ」
久保「これ、なかなか興味深いコミュニケーション論になったんじゃないかな」
――以前、丸山さんは、作った服のバトンが次に引き継がれてゆく優れたエコシステムだとメルカリを評価してましたよね。
丸山「ネットって無味乾燥ってよく言うけど、メルカリの出品を見てると、すごく丁寧にサイズを書いてたり、店員さんがしてくれないようなことまで説明をしていたり、すごくいいサービスだと思うんですよね。リアルだっていい接客をするお店しか生き残れない。みんなここにないものを求めてるんだから」
――いわば買い物体験をしに店舗に行ってるわけですからね。
丸山「そう、結局みんな望んでいるのは満足ってことなんです。そういうふうに世の中が変わってきてる。だから絶対にリアルな店舗はなくならないと思うし、生き残るために、よりサービスっていう部分をきちっとやっていかなくちゃならない。あのWWDの記事はメルカリの社長もすごくよろこんでくれたみたいで(笑)。でも僕ら服を作っている立場からしてもすごくありがたい仕組みですよ」
――デザイナーや経営者のような立場の人が個人売買のサービスに対して肯定的なスタンスでいるってすごいことだと思うんです。
丸山「ふーん、そうなんだ……あ、だから儲からないのかな(笑)」
――我に返っちゃいましたね(笑)。いや、もうちょっとファンタジーのある話をしましょうよ。パリのKENZOに売り込みに行ったときに、“こっちのKENZOっぽいデザインはいらない。こっちの丸山敬太らしいデザインを伸ばしなさい”と言われた“らしいデザイン”はいまのKEITA MARUYAMAにも引き継がれていると思いますか?
丸山「はい、引き継がれてると思います。僕のことを昔から知っている学生時代の友人なんかによく言われるんですけど、デザイン画とか昔の作品を見せると、芸風が全く変わってないって。ほぼワンテイスト。だからいいときはいいけど悪いときは悪いっていうタイプですね」
久保「でも、だからこそ熱狂的なKEITA MARUYAMAファンがいるわけですよ」
――KEITA MARUYAMAのシグネチャーともいえるパッチワークはそのころからですか?
丸山「そうですね。あたりまえですけど、学生のときとかは自分で生地を作れないじゃないですか。一般の人が手に入れられる生地って本当に限られているんですよ。そんななかで、より自分らしさを表現しようとすると、“ひとつの生地じゃ弱い!”って思ったんですね。パッチワークの手仕事は、ありものの生地でどれだけ自分らしさを表現できるか?って考えて編み出した技法なんです」
久保「やっぱりオリジナルのテキスタイルってそれだけで価値があるから。いまはコンテストを見てると学生でもテキスタイルから作ってたりするんだよね」
丸山「うん、みんながんばってる」
久保「もちろんいまではメーカーが素材供給してくれたり、学生に協力してくれる体制になってきているんだけど、丸山さんが学生のころはそんな仕組みなかったから」
丸山「そうだよ。僕のデビューコレクションなんて8割がた西日暮里で買ってきた生地だもん(笑)。だから量産するのが大変だったな。取りっきりの生地だから同じものが作れなくって」
――え、コレクションで発注が来ちゃったらどうするんですか?
丸山「そう、それが発注が来ちゃって(笑)。でね、それが僕の“持ってる”ところだと思うんだけど、アツキオオニシ時代にお世話になってた生地屋さんが、“わかった。そういうことならうちで作ってあげるよ”って言ってくれてね。いや、いまにして思えばすごいことなんですけど、日暮里の問屋さんで売ってるようなタータンチェックの生地をいちから織ってくれたんですよ。普通の生地なのにすごく高くついたんだろうなって――それはいまだからわかることですけど――すごく感謝しています。いまでもその生地屋さんとはお付き合いしてますよ」
――そういう縁があってこそですね、ビジネスって。
丸山「そうですね。縁があってこそだと思うし、まじめに、ストレートに、やりたいことをやりたいって言っていたことに心を動かしてくれた人たちがいたってことなんですよ」
――ドリームズ・カム・トゥルーとの出会いなんてそれの最たるものじゃないですか?
丸山「そうだね。ドリームズ・カム・トゥルーの衣装がやりたい!やりたい!ってあちこちで言いふらしてたら、“あれ、本当に本人に辿り着いちゃった!”って感じ。やっぱり自分が好きなこととかものってさ、思ってるだけだとすごく小さなスモールワールドだからさ……ほら、最近のニュースだとトモくん(TOMO KOIZUMIのデザイナー、小泉智貴)もそうでしょ?ケイティーにピックされて、NYFWでショーをやって一夜にしてスターになったじゃん」
久保「あれ、すごかったですね。『LOVE』編集長のケイティー・グランドが一目惚れして、NYFWに誘って、マーク・ジェイコブスがショーのためにマディソン・アベニューのお店を提供してくれたっていう」
丸山「あれだってさ、トモくんのInstagramにケイティーから連絡が来て、急にショーが決まって、それから1ヵ月徹夜で死ぬほど縫って……っていうサクセスストーリーだから。いまはSNSがあるんだし、そうやって自分の“好き”を発信できるってことでしょ」
久保「世界がぐっと縮まったというか、近くなった」
丸山「そうだよ。僕とドリームズ・カム・トゥルーの出会いなんて口コミだからさ(笑)」
久保「デジタルとフィジカルの違いはあるけどやってることは同じですよね」
丸山「SNSってさ、やっぱり好きなもので繋がれるから伝わるスピードが早いんだよね。好きなものが同じってことは、相手も自分のことを好きになってくれる可能性が高いから。僕の思い込みかもしれないけど(笑)。でも、だとしたら、言わないよりも、ちゃんと“好き”って言ったほうがいいから。それはいつの時代も同じでしょ」
(おわり)
取材・文/encore編集部
写真/柴田ひろあき
取材協力/丸山邸
■丸山敬太(まるやま けいた)
1994年、東京コレクションでKEITA MARUYAMA TOKYO PARISとしてデビュー。98年SSでパリコレクションデビュー。2012年、KEITA MARUYAMAを発表。日本航空の客室乗務員およびグランドクルーやドリームズ・カム・トゥルーらアーティストのコスチュームも手掛けている。
■久保雅裕(くぼ まさひろ)
ウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。