それは僕等がいつも見ているオムニバスライヴとは相当に違った。
洗練されている。垢抜けている。そして、コンサート全体に意味や意志や愛情が溢れている。全員が、なぜ今、自分がここにいるかを噛みしめながらステージに立っていることが伝わってくる。それは時の流れを実感しつつ共有できる、じんわりと心温まる時間だったのだ。
具体的に言おう。
通常のオムニバスコンサートの多くが、出演者が順番に歌ってゆくというものだろう。
この日はそうではなかった。
プレゼンターがいた。
グラミー賞をはじめとするアメリカの音楽賞の多くが、その賞を受賞するゆかりの人や前年の受賞者がプレゼンターとして登場し、そのアーテイストを紹介する。そのことが、次に登場する人に付加価値を与えてゆく。
何しろ、最初に登場したのが荒井由実だったのだ。音楽出版社としてのアルファの作家契約の第一号が彼女だったからだ。“松任谷由実”ではなく“荒井由実”である。彼女は、自分がなぜここにいるかを手短に説明した後、最初の演奏者を紹介した。“トッポ”こと元ザ・タイガースの加橋かつみだった。
70年代から80年代にかけて日本の音楽を変えた“アルファ”は1969年に音楽出版社としてスタートした。設立したのは、すでにGSのヒットで注目されていた新進作曲家の村井邦彦。彼はまだ20代になったばかり。タイガースを抜けた加橋かつみのレコーデイングのために訪れたパリで、フランスのレコード会社の出版社として始まった。その中の一曲が、後にポールアンカが歌う「マイウエイ」だ。そして加橋かつみに「愛は突然に…」という曲を提供し、作家としてデビューしたのが当時高校生だった荒井由実だった。
作曲家・村井邦彦の代表作に赤い鳥の「翼をください」がある。1969年のライトミュージックコンテストの優勝グループ。プロになるのを渋っていた彼らを「日本の音楽を変えよう」と説得したもの村井邦彦である。プレゼンターの吉田美奈子が紹介したのは元赤い鳥、紙ふうせんのふたりだった。彼らは、当初B面だった「翼をください」のA面曲「竹田の子守歌」を歌った。
アルファはロックレーベルを持っていたことでも先見の明があった。村井邦彦が川添象郎とともに発足した“マッシュルームレコード”のプロデユーサーだったミッキー・カーチスは、当時のエピソードを織り交ぜつつその第一号アーテイストだったGAROを紹介した。設立から46年。すでに他界してしまった人も少なくない。メンバー3人の中でひとり残った大野真澄が「学生街の喫茶店」を歌った。
その後に登場したのは何と作曲家・編曲家の服部克久だ。言うまでもなくJ-POPの父/服部良一の子息。彼がプレゼンターになり呼び出したのは雪村いずみだった。1974年に彼女が服部良一の曲を歌った「スーパージェネレーション」のバックをつとめたのが細野晴臣・鈴木茂・松任谷正隆・林立夫、つまりキャラメル・ママ。後のティン・パン・アレーだった。世代を超えたトリビュートアルバムのはしりだ。真っ赤なドレスを着た、今年78才の雪村いずみが踊りながら歌う「東京ブギウギ」を、僕は生涯忘れないだろう。
人の流れと音楽の流れのつづれ織り。ユーミンの初期のアルバムのバックをつとめていたのもキャラメル・ママである。野宮真貴が紹介した荒井由実が「中央フリーウエイ」を、当時、運転席にいたであろう松任谷正隆に歌いかけているように見えたのが印象的だった。その後、ティン・パン・アレーがツアーのバックをつとめていたのが小坂忠である。プレゼンターは、はっぴいえんどの前身のエイプリル・フールでバンド仲間、細野晴臣だった。
アルファの最大の功績は、J-POPに洋楽的クオリテイを持ち込んだことだろう。カシオペアの向谷実は、吉田美奈子を紹介した。彼女は、大瀧詠一が書いた「夢で逢えたら」を歌った。77年、アルファは自前のレコード会社を設立する。ミュージシャンが自由に使えるスタジオを持ったという意味でも画期的な会社が送り出したのが、日本にないコーラスグループを自負していたサーカスだ。
この日、姿を見せなかった坂本龍一の娘、坂本美雨が、ブレッド&バターを紹介する。今年、他界してしまったシーナが在籍したシーナ&ロケッツを紹介したのは、当事者の鮎川誠だった。
アルファの屋台骨を支えていたひとりが細野晴臣だ。彼と高橋幸宏が主宰していたYENレーベル周辺には、スネークマンショーや越美晴などの個性派が集結していた。世界を席巻したYMOも彼のアイデアがあってこそだ。ユーミンがプレゼンターとなり、細野晴臣と高橋幸宏に村井邦彦がピアノで参加した「ライデイーン」の生演奏バージョンは奇跡の一曲以外の何者でもない。
大団円は、アーテイスト契約第一号の赤い鳥の「翼をください」を村井邦彦はじめ、紙ふうせんのふたりと、元メンバーの故・大村憲司の長男の真司(G)、小坂忠の長女Asiah(VO)、林立夫の長男の一樹(D)という世代を超えた顔ぶれで演奏。更に、村井邦彦が「翼をください」の作詞家・山上路夫とともにこの日のために書いた「We Believe in Music~音楽を信じる」を小坂忠と娘のAsiahが歌い上げて本編が終わった。
アンコールの拍手の中で登場した村井邦彦は、代表作「美しい星」を弾き、画面に映し出された他界したゆかりの人たちの遺影にひとりづつ口にしていった感謝の言葉が、この二度とないであろうライヴがどんな夜なのかを物語っていた。
日本の音楽を変えよう――
若きクリエーターのそんな気概とともに始まったアルファ。あれから何が、どう変わったのだろうか。
文/田家秀樹