――まずは50周年おめでとうございます。半世紀ということで、これまでの周年とは違う感慨はありますか?
「とてもあります。赤ん坊が50歳の大人になる時間ですからね。でも何だかあっと言う間でしたねえ」
――ちょうど50年前、1971年9月25日のデビュー時の出来事で何か記憶に残っていることは?
「デビュー出来たことが本当にうれしくて、その日の晩、デビュー曲「愛は死んでも」のシングル盤を抱きしめて寝たのは今でもはっきり憶えています(笑)」
――当初はセールス的には奮いませんでしたが、73年の4枚目のシングル「なみだ恋」でヒットに恵まれました。ご自身が“売れた”と自覚した瞬間は?
「夜、街を歩いていて信号待ちの時、酔っぱらいの見知らぬおじさんがいきなり「夜の新宿~裏通り~」と「なみだ恋」を歌い始めたんです(笑)。それを見て、“ああ、聴かれているんだな!”って」
――それこそ当時の歌手のみなさんと有線放送は切っても切れない関係性だったと思いますが、チャートについては当時から意識されていましたか?
「もちろん。チャートで切磋琢磨していた時代でしたから、常に意識していましたね。私がデビューした当時って、演歌歌手という呼び方はまだ無くて、大きく分けると流行歌手とアイドル歌手だった。例えばお客さんがいる公開歌番組なんかに出演しても、私だけハスキーな声でちょっと浮いているというか場違いな感じの時もありましたねえ……。お客さんも“淳子ちゃーん”とか“百恵ちゃーん”は、お若いファンの方の掛け声なんだけど、そこに“亜紀ちゃーん”って野太いオジサンの掛け声が混ざって聴こえてね(笑)。面白い時代でしたよ」
――今回、50周年記念のベスト盤『八代亜紀 ベストヒット50』では歴々のヒット曲を含む全12曲を新録されましたね。
「皆さんに愛していただいたヒット曲なので。基本的にはなるべく崩さず、オリジナルに忠実に歌うように心掛けました。いまの私の声で、昔、レコーディングした頃よりも、もっと酸いも甘いも含めて人生が詰まっていると思います。自分でこんなこと言うと笑われちゃうかもしれないけど、年々、自分の声が好きになっているんです(笑)。ファンの方からも“今の亜紀ちゃんの声の「舟唄」が聴きたい”といった声がたくさん届いていたので。で、今の声で歌って聴いてみたら、これがまたいいんですよねえ。どうでした?」
――実際、よかったです(笑)。今の八代さんの声がとても魅力的ですし、アレンジも様々な趣向が凝らしてあって。「おんなの夢」冒頭の、ギターの弾き語りみたいな出だしもそうですし、「おんな港町」、「もう一度逢いたい」はエレキギターがより強調されていて。
「そうそう、カッコいいんですよ!ロックっぽいでしょ?」
――そうですね。そしてライブ感がありますね。楽曲ごとにアレンジャーの方が異なりますが、ディレクションはどのように?
「まずコンサートアレンジの資料をご提供してそれを元に考えていただいて。私のなかでイメージがある曲はリクエストもお伝えして」
――例えば「このアレンジは違うな」と感じるのはどんな場合でしょうか?
「リズムやテンポが違う時かな。例えば「おんな港町」なら気持ちを乗せるために速すぎてもいけないし。リズムの“溜め”も大事です。楽器の演奏も“歌”ですから。私の歌以前にまず楽器が歌っていないと。楽器が歌っていなくてもいいのなら、じゃあデジタルや打ち込みの演奏でいいじゃないの?ということになっちゃいますから。とにかくリズムにはこだわってきました」
――今回のDISC 1の収録曲の歌詞は、プリントアウトするとそのほとんどがA4用紙1枚に収まりました。特に1970年代から80年代の作品の歌詞は短いセンテンスで状況と心情を描き出す力に長けていて。改めて驚かされました
「そうですよね。最近の歌詞はA4で2枚に渡るものも多いですよね。そうなると私にはちょっと長過ぎて覚えられないんじゃないかしら(笑)」
――マイクの前に立つ際のルーティーンは何かありますか?
「私、全く喉のケアをしないんですよ。何もしないことがルーティーン(笑)。コンサートの前でも何もしない。いつも自然な状態で歌います。ただレコーディングについては一つだけ決まりがある。顔を見せないの。ボーカルブースを全てパーテーションで囲って、モニターカメラも切って、歌っている顔を誰にも見せないんです」
――鶴の機織りのようですね(笑)。それは50年来そうなんですか?
「ずっとそう。だって恥ずかしいから……うふふ。私はデビューの頃から辛い人や悲しい人、苦しい人の代弁者のつもりで歌ってきました。だから歌入れの時はそういう人の表情になっているはずだから、それを見られるのが嫌なんですよ」
――八代さんの語りかけるようなボーカルの秘密が少しだけ分かりました。昔は曲や作家の方によって仕上がり方も届き方もまちまちだったと思いますが、レコーディングの前、歌詞やメロディは事前にどの程度まで覚え、咀嚼して臨まれるのですか?
「それもあまりしないんですよ。私の昔からの持論は“何回も録らないほうがいい”。やっぱり一発勝負。スタジオで初めてイントロの演奏を聴いて、最初に浮かんだイメージをそのまま歌うことが大事。ですから何度も歌わない。あまり練習し過ぎちゃうと、考え過ぎちゃっていい歌にならないと思っていますから」
――ということは、リリース作品に収録されているテイクは、例えば5回歌ったとしたら最初か2回目あたりが採用されている?
「あら、5回も歌いません。最高でも通しで3回までかな……ディレクターさんには毎回“もうちょっと録らせて”と泣かれますけど(笑)。素材録りもしないし」
――つまり編集で別の素材を繋げたりといったパンチインも一切無しですか。
「無しです(笑)。テイクによって感情が微妙に違うんだから絶対に合わない。ステージは表情で補えるけど、レコーディングは声だけですから。歌の魂が切れちゃいますもの」
――いまちょっと鳥肌が立ちました。
「だから私、歌入れもすっごく速いんですよ。聴き直して、だいたいは“これでオーケー”となります。一日5、6曲分録ることもよくありますし、昔は朝から昼までスタジオでその後に生放送なんてこともザラでしたからね。あとはだいたい7、8割くらいの力で歌います。悲しい歌を全力で歌うと聴いてくれる人の気持ちが入る余地が無くなっちゃうから。聴いてくださった方が“私よりもっと悲しい人生があるんだ”とか“この曲を聴いて頑張ろうと思いました”と言ってくださいます。そこがつまり残りの2、3割だと思うんです」
――恐れ入りました。八代さんは、「愛の終着駅」、「舟唄」、「雨の慕情」など数々のシングルヒットをお持ちですが、例えば前のヒットで世間からのイメージが固定されてしまったとか、ヒットの記録がプレッシャーになったといった経験はありましたか?
「全く無いですね。私、ずっとそうなんですけど、そもそもシングル曲をどれにするとか、ほとんど自分で決めないの。歴代のスタッフさんが“次の新曲候補なんですけど”と曲やアイデアを持ってきてくれて“わあ、楽しみ!どれどれ !?”と聴かせてもらって、ほとんどの場合は“いいね!”とすぐに決まるという感じだったの。昔からディレクターさんを信頼しているし。専門家の皆さんが薦めてくれるんだから大抵は任せたほうが間違いない。自分の考えだけで決めていると全て同じようなアイデアになっちゃうでしょ?私も“次はどんな曲と巡り会えるのかな”とわくわくしながら歌ったほうがいつも新鮮でいられますから。新しいことに挑戦するためには、潔くまな板の上の鯉になっちゃうほうが楽しいんですよ」
――今回のアートワークも宇川直宏さんや田名網敬一さんらの参加によってむちゃくちゃポップに仕上がっていますが、どんな状況もおおらかに“楽しめる”八代さんがいるんですね。
「本当に音楽が好きなんだと思います。例えば自宅でギタリストの方とYouTubeを録った後も、夜中までずっと二人で歌ってるんですよ(笑)。私は飲めないから素面ですけど、ずっと歌っていられるんですよねえ」
――例えば「雨の慕情」の時は、たまたま幼い子が振り付けを真似して歌っているのを見かけて「これはヒットするかも」と感じたというインタビューを読みましたが、他にもヒットを予感した曲はありましたか?
「「舟唄」はそうでした。歌詞の一行目を読んですぐ、“あ、これはいい歌だ”って。「雨の慕情」もそうでしたね。絶対いいメロディが付くなって。言葉が訴えかけてくる力がものすごかった。いまでもすごいと思いますよ」
――八代さんの歌の原点とも言える存在はジュリー・ロンドンでしたね。
「そうですね。2013年、ニューヨークのバードランドでコンサートをしたときは、ヘレン・メリルもゲストで歌ってくれました。いま思えばすごいことだったなって」
――今回、CD4枚組のDISC 4は「八代ジャズ」というコンセプトです。ジャズやブルースに特化したアルバムをリリースされた2012年から17年にかけての時期は、原点回帰でもあり、特別な時期だった?
「それよく言われるんですが、そういう意識って実は全くなかったんです。私、コンサートでは昔からジャズもロックもブルースも歌ってきたし、自分のなかでは自然な成り行きだったというか。例えばスタッフさんやディレクターさんが代替わりすると“八代さん、ジャズでアルバムを作ってみたら新鮮だと思うんですが”と提案してくださる。私は“前から歌ってたんだけどな”と思いつつ(笑)。そう言ってもらえるんだったら乗ってみようかなとなる。そうしたらBillboardのジャズチャートに入ったり、海外のジャズの配信チャートで1位になってびっくりしちゃって。面白いですよねえ」
――過去の音源や映像を聴き返したり、見直したりすることはありますか?
「若いスタッフさんが新しく入ると“これ、知ってます?”と昔の映像を見せてくれて。私も“えー、何これ !?”とびっくりしちゃいますね。私も事務所も持っていないものもたくさんありますからね。また若い頃の亜紀ちゃんてば、頑張ってすごい勢いでピャーッと歌ってるの(笑)。70年代とか、自分で見てもカッコよくってびっくりしちゃう!」
――当時の衣装や資料は保存されていますか?
「たぶん残って無いですねえ……何も無い。ブロンズの賞トロフィーとかゴールドディスクくらいしかないんじゃないかなあ。たまに絵が出てきますけどね。たまたま整理していたら30年くらい前に書いた絵が突然出てきたり」
――絵は長く続けていらっしゃいますね。
「子どもの頃から描いています。当時は水彩で、40歳頃から師事して油絵を始めました。油絵の質感に惚れ込んでしまって。それ以来、ずっと写実的な油絵にはまっています。2週間ほど絵の具を乾かして仕上がる時はわくわくしますね」
――別のインタビューで「キリスト降架」を書かれている様子を拝見しました。
「80号のキャンバスに向かって、脚立に登って描いて。すごくエネルギーを使いました。描いている最中、たまたま九州から叔父と叔母がアトリエを訪ねてきたんですが、次の日揃って熱を出したそうです。“夢でキリストさんが降りてこられた”って(笑)」
――歌でものすごいエネルギーを使うのに、また絵でものすごいエネルギーを使うんですね。リラックスする時間はありますか?
「たしかに歌は肉体労働です。一日二回公演という日もあるし。でも代弁者ですから、エネルギーは使うけど疲れるという感覚とはまた違うんですね。絵は絵で、描いている最中はずっとわくわくるしていて全く苦じゃないし。肉体労働で酷使した自分を、絵を描くことでマッサージしているという感じなのかしら(笑)」
――たしか幼少の頃はお体が弱かったんですよね。
「5、6歳の頃は本当にひ弱で、親は“明日死んじゃうんじゃないか”と心配していたそうです。ひきつけを何度も起こしてね。ある時、私が急に倒れた時、風呂上がりの母が驚いて、ほとんど裸のままで私をだっこして病院に運んだという話も聞かされました。それもあって十代の頃から親孝行がしたいと思っていましたね」
――そのために歌手で一山当てようと上京を志したのに、お父様は娘がグレたと勘違いなさって激怒したんですよね。
「それを押し切って上京しました。思えば父のあの勘違いが無かったらいまの私はなかったかもしれないですね」
――50年のなかで、代弁者の役割に疲れるような場面も一切ありませんでしたか?
「なかったですね。むしろ代弁者だという自覚や覚悟があるからここまで歌ってこられた。自分のことや自分のエゴを歌おうとしたら多分ここまで歌ってこられなかったでしょうね。十代の頃、上京してすぐ、歌手を目指して銀座のクラブで歌っていました。給料日になると、お店のお姉さんと付き合っている男性たちが給料袋をもらいに店を訪ねてくる。でも、お姉さんたちは辛そうな表情ひとつ見せずに“おはようございまーす”と店に出てくる。若い私は“別れちゃえばいいのに!”と思いながらも、ステージで悲しい歌を歌う。すると、私の歌を聴いて、お姉さんたちが号泣したんです。“ああ、私の歌はこれだ!これが歌の心だ!”と思いました。それから今日まで代弁者であることが私の心の柱。それはずっと変わっていません」
――昭和、平成、令和と歌い続け、大きな震災にコロナまでやって来ましたが。
「世界が辛い経験をしている最中ですね。私自身、いま必要なのはがむしゃらさよりも人の事を思いやる心なのかもしれないと感じます。支え合うとか助け合うといった心がもう少し見直されたらと思います。私が小さい頃ってまだ日本という国が全体的に貧しい時代でした。私も私の親の世代もいろんな苦労をしましたが、それでも強く、楽しく生きていた。それは人と人とが支え合っていたから。時折、母が作り過ぎた肉じゃがを、私が隣の家に持っていったりしていました。いま思うと、母はわざと多めに作っていた。そういう強さや配慮が昔の女たちだった。もちろん昔もいまもいろんな人がいますけど、こういう時代だからこそ、そうした人と人との関わり合いが見直されたら素敵じゃないですか」
――本当にそう思います。今後の目標は何かお持ちですか?以前「とことん悲しい歌を歌ってみたい」と話されていましたね。
「今もそうです。歌詞が徹底的なまでに短くて、ギター一本でも成立するようなシンプルな作りで、どん底の悲しみを表現するような歌を歌いたい」
――それは究極のブルース、もしくは究極の哀歌ということですか?
「究極の歌謡曲かもしれない。令和における“究極の八代演歌”を歌いたいですね」
(おわり)
取材・文/内田正樹
写真/平野哲郎
八代亜紀LIVE INFO
八代亜紀アコースティックコンサート2021
2021年9月25日(土)@KOTORIホール(昭島市民会館、東京)
八代亜紀プレミアムコンサート2021
2021年10月23日(土)@棚倉町文化センター(福島県)
えがおプレゼンツ 熊本県南豪雨復興支援「火の国うたまつり2021」
2021年11月13日(土)@くまモンポート八代(熊本県)
えがおプレゼンツ 熊本県南豪雨復興支援「火の国うたまつり2022」
2022年3月21日(月)@くまモンポート八代(熊本県)
八代亜紀デビュー50周年プレミアムコンサート2021
2021年12月1日(水)@大阪新歌舞伎座
DISC INFO八代亜紀『八代亜紀ベストヒット~ニューレコーディングス&ニューシングルズ~』
2021年9月25日(水)発売
TYCT-60177/3,300円(税込)
ユニバーサルミュージック
八代亜紀『八代亜紀ベストヒット 50』
2021年9月25日(水)発売
TYCT-60178/10,000円(税込)
ユニバーサルミュージック