──「encore」初登場になるので、音楽との出会いから振り返っていただきつつ、今回のリリースについて、そして今後に向けた展望までを聞ければと思います。まず、音楽との出会い、好きになったきっかけから教えてください。
「音楽を好きになったきっかけは、9歳の時にお母さんと一緒に行った安室奈美恵さんのライブでした。お母さん、めちゃめちゃアムラー世代で、ファッションもギャルだったんですよ(笑)。安室さん以外にも、宇多田ヒカルさんのライブに連れて行ってもらったり、お母さんの車でもずっと“平成の歌姫”と呼ばれる人たちの歌が流れていて、それを普段から聴いていました。そういう環境の中で、私もあんなふうにステージでキラキラ輝きたいなって、9歳の時に思ったのがきっかけでした」
──9歳がスタート地点なんですね。
「そこから歌とダンスを習い始めて、9歳から14歳まで地元の福岡でアイドル活動をしていました。ただセンターじゃなく端っこのポジションで、それがくやしくて。それで、絶対に次の活動ではセンターを取りたいと思って入ったのが、バスケットボールのプロリーグであるBリーグに所属するライジングゼファーフクオカの公式ダンスボーカルユニット、RZです。そこで初めてセンターに立つことが出来ました。その後、グループよりもソロで活動したいと思って、シンガーソングライターという道を選びました」
──自分で詞曲を書き始めたのは、いつ頃なんですか?
「アイドルをやめたあとの15歳です。アイドル時代は女の子の世界なのでいろいろあったし、周りの大人たちにも思うことがたくさんあったので、そういうことに対する気持ちを歌にしていました。〈大人のおもちゃになりたくねー!〉みたいな歌詞を書いたり、今考えると尖ってたなーって思いますね(笑)」
──でも、尖ったというか、強い思いがあったからこそ、そういう歌を書いていたんですよね?
「いろんな不満や怒りをそのまま書いたら、訴えられるんじゃないかと思って、六法全書を持ち歩いていました(笑)」
──六法全書を持ち歩いてたって、面白いですね。
「小学生の時から趣味が読書で、その中でも六法全書をすごい読んでました。知っておくと、いつか役に立つことがあるんじゃないかと思っていたんです。ちょうどその時期、「リーガル・ハイ」というドラマが流行っていて、世の中のルールに興味を持つきっかけにもなりました」
──「リーガル・ハイ」からも影響を受けたんですね。
「ちっちゃい頃から影響を受けやすかったし、いろんなことに興味があって、好奇心がすごく旺盛でした。小中学生時代は、それこそ法律の為に六法全書から、大人の世界に興味を持って官能小説までを読み漁ってましたね」
──すごい少女時代ですね。15歳から始めた曲作りの手法は?
「3歳からピアノを習わせてもらっていたんですけど、思春期で”親に習わせてもらったピアノなんかで曲を作りたくない!”って(笑)。家にあったギターで遊びながら作ってました。今はもうピアノでも作ってます。思春期は反発しちゃったけど今はピアノを習わせてくれたお母さんにめっちゃ感謝しています」
──曲を作り始めるきっかけをくれたという意味では、アイドル時代の経験にも感謝ですよね。
「結果的にそうですよね。いい出会いにも悪い出会いにも出会った全員に感謝しています。私には見返してやるっていう曲が多いので悪い出会い自体、それはそれで楽曲の種になっています(笑)」
──地元の福岡から上京したきっかけは?
「上京したらメジャーデビューできると思っていたんです。福岡から先に上京していた先輩がメジャーデビューしていたし、自分にもすごく自信がありました。でも、上京して路上ライブをしても1人とか2人しか聴いてくれなくて、こんなに厳しいんだって知った感じです。そういう状況が、1年ぐらいは続きましたね」
──それでも歌い続けたのは?
「歌い続けることでしか生きていけなかったからです。福岡から東京までは飛行機で来たんですけど、成田空港からはヒッチハイク。お金がなかったんです。家を借りることもできなくて、1泊900円のゲストハウスに住んでいました。毎日路上ライブをして、投げ銭でお金を稼がないとゲストハウスの宿泊料を払うこともできない。だから、歌うしかなかったんです」
──それが、つい数年前ですよね。
「2年前ぐらいですかね。年間、200日から250日、新宿南口に立って歌ってました。髪がまだめっちゃショートカットの頃でしたね。投げ銭入れにタバコの吸い殻を入れられたり、周りにハトのエサを撒かれて、ハトが寄ってくるように意地悪されたりしんどい思い出もたくさんありました」
──それでも諦めなかった?
「今更帰れなかったからです。私は1人っ子で親は私に家業を継いでほしいと考えていたんですよ。でも、私は歌が歌いたいから上京したい。そしたら親が、”だったらもうはるきが帰る場所はない。それぐらいの気持ちで行くんだったら行けばいい。その代わり、みんなが社会人になるのと同じ23歳になった時に音楽で食べられていなかったら一生浜野家に入るって約束しなさい”って」
──その約束もあって諦めて帰れなかった部分もありつつ、23歳までにしっかり結果を出した形ですよね。
「自分の曲をリリースして、SNSで曲がバズったり小規模ですがワンマンライブができるようになって、それを繰り返して今があります」
──現在のような状況になって、心境の変化は大きいですか?
「音楽が仕事になったことで、生きること稼ぐこととは違うプレッシャーも生まれています。自分が書きたい曲ももちろんあるけど、今までに一番数字が伸びた「ギジコイ」を超える曲を書かなきゃとか、ファンや周りの人に求められている曲を書かなきゃとか。あとは、アーティストの活動って影の活動が8割で、影の活動をしっかりやることで2割をキラキラと輝かせることが出来ることを学びました」
──そんな中、7曲入りEP『LovE ToXic』が完成しました。半年連続リリースの6曲と新曲「Dear my ex.」を収録した作品になりますが、どんな1枚に仕上がったと感じていますか?
「今までの作品とは違って、初めて聴く人の身にもなって書いた曲が収録されたEPになりました。今までは、誰のことも気にせず自分が言いたいことを曲にしていたんですけど、そうじゃない書き方をしたというか、世の中の8割の女性に寄り添うEPになっているというか」
──「世の中の8割の女性に寄り添う」というと?
「プロデューサーのCHIHIROさんと出会って、コミュニケーションの中で、”はるきちゃんの曲は、世の中の2割の女性には響くんだけど……”という話になったんです。確かに、それまでの私の歌は自分の恋愛観を押し付けるというか、”私はこうだから!”っていう歌詞が多いんですよ。例えば、”クズ男は寄せ付けない!”であるとか(笑)。でも、CHIHIROさんと話して”そういう強い女性は2割で、世の中の8割の女性が全員そんなに強いわけではなくて、クズだとわかってても別れられなかったり、恋愛に振り回されたりしてるからこの8割の人の為の曲も書こうよ”となったのが6ヵ月連続リリースの始まりです」
──大きな変化ですよね。
「本当にその通りで、誰も待ってくれていない状況で書いてた曲と、リリースを待ってくれているみんながいる上で書く曲は全然違います。歌詞の言葉も1個1個ちゃんとこだわって、聴く人の気持ちをよく考えるようになりました」
──世の中の女性の2割側だった浜野さんが、8割側に寄り添った歌を書いて歌うのは、むずかしさもあるのでは?
「私が男性がクズだからさよならする理由って、自分が強いからじゃなくて、傷つくのが怖いからそういう男性を切り離しているんです。上京する前は恋愛にハマるタイプだったし、本来は自分も8割側の女性なんだと思います。だから、昔の自分を思い返して書いているところはありますね」
──8割側の女性、2割側の女性という話が続きましたが、浜野さんは「すべての女性の味方でいること」を活動の目標にしています。
「きっかけは2019年に歌舞伎町で女の子がホストを刺した事件なんです。その事件をニュースで見て、この子には味方がいなかったんだな、誰もがこの子みたいになりうるなと思いました。その子の心を傷つけたのが男性なのに、体を傷つけた側だけが罰せられる。もちろん法律的には当然なんですけど、理不尽さも感じて。でも、そもそもこの子に味方がいたら、こんな事件は起こらなかったんじゃないかと思いました。味方って、人じゃなくても場所や曲でもいいんです。実際、私は安室奈美恵さんや椎名林檎さんの曲に救われて来ましたから」
──もしもその子が事件前に浜野さんの曲を聴いて、自分の味方だって思っていたら、あの事件は起こらなかったかもしれない。
「大層ですけどそんなことも思っちゃいますね。”はるきちゃんの曲を聴いて、DVされていた人と別れました”とか、そういうコメントがよく来るんです。あー歌い続けてきて良かったなと思う瞬間です。幸せな人や満足を感じている人だけじゃなくて、不幸を抱えていたり誰も信じられないと思っている人にも聴いてもらいたいんです」
──すべての女性の味方でいることが目標の浜野さんにとって、男性ってどういう存在なんですか?
「幸せにできないんだったら、女性に近寄んなって思います!甘い言葉で近寄るくせに、最後は適当にして終わる人とかいるじゃないですか!最後まで面倒を見るつもりがないんだったら、気軽に話しかけてくるなって思います!だから私から男性に言えるのは”私の曲を聴いて、女の子の気持ちを学んでから出直せ!”です(笑)」
──素晴らしいと思います。でも、すべての女性というと、世代間で恋愛観にも違いがある気がするので、そのあたりはどうなんですか?
「私のライブに来る女性ファンの年齢層は同年代も多いですし、こないだの大阪のライブでは13歳の女の子が来てくれていました。逆に“どんな恋愛してんの?”って(笑)。少し上の世代のスナックのママさんとかキャバ嬢の方とかも来てくれていたり、カップルや家族で来てくれる方もいて少しずつ“すべての女性”に近づいていると思っています」
──本当に幅広いですね。最後に、今後の活動に向けて思い描いていることを教えてください。
「まずは、11月20日に日本橋三井ホールで開催する、キャリア史上最大規模のワンマンライブを大成功させたいです。その上で将来的には絶対に日本武道館ライブもしたいですし、その先には東京ドームも目指しています。自分の幸せも大事なんですが音楽に向き合ってみんなに曲やライブを通して味方だよってことを伝えていきたいですね」
(おわり)
取材・文/大久保和則
写真/藤村聖那