――デビューまでの道のりをお伺いしたいと思います。音楽をやりたいと思ったきっかけから聞かせてください。
「小学校1年生からクラシックピアノを習っていたんですけど、小学6年生の時に音楽会があって。学年ごとに演奏を披露するんですけど、私はピアノを担当することになったんです。最高学年だったので、当時の私達からしたら難しい曲にチャレンジして…」
――何の曲をやったんですか?
「チャイコフスキーの序曲「1812年」でした。その曲を一生懸命練習した記憶があって、本番を迎えたときにアンコールをもらうことができたんです」
――学校の演奏会で!?そんなことあるんですね。
「そうなんですよ。恒例でもなかったので、びっくりして。同じ曲をもう1回やっただけなんですけど(笑)、幼ながらに、“届いたな”って感じて。音楽の力ってすごいなって思って、その時から、いつか音楽をやりたいなって思っていました」
――その“いつか”が始まったのは?
「音楽はずっと好きでやりたいと思っていたんですけど、恥ずかしくて、なかなか親には言い出せなくて。結局、高校2年生になって、学校で進路を書く紙を配られたときに、自分の進路について改めて考えて。いろいろと調べ物をしているなかで、音楽塾ヴォイスを見つけて。音楽が勉強できる場っていうことがわかったので、親に“入塾オーディションを受けたい”って初めて言って」
――家族はどんな反応だったんですか?
「反対されると思っていたんですけど、意外とすんなり、“やりたいならやってみな”って感じで言ってくれました。ただ、ヴォイスに入ったときは、まだ“プロになる”という確固とした意思はなかったんです。ずっと音楽が好きだったし、基本的に負けず嫌いなんで、切磋琢磨する人が欲しくて。音楽を語れる場が欲しかったんです。でも、ヴォイスに入って、いろんなことを学び、クラスメイトに負けたくないっていう気持ちでやってきた延長線上に今があるっていう感じです」
――どんなことを学びましたか?
「ヴォイスに入る前は、J-POPしかわからないみたいな状態だったんです。でも、ヴォイスは古い音楽だったり、カントリーやジャズ、ブルースとか、いろんなジャンルを聞くことができる場だったので、“自分に合う音楽って何なんだろう?”っていうのを考えるようになって。自分が表現したいこともわかってきましたし、自分で音を作り上げる楽しさを勉強できたかな?って思っています」
――自分に合う音楽は見つかりましたか?
「最初は華やかなものに憧れていたので、いわゆる歌唱力で歌い上げる系をやりたいって思っていたんですけど、どうやら私には向いてないっていうことに気づいて。歌い方で言えば、ジャズを勉強しだして、ノラ・ジョーンズさんの曲をカバーしだしたときくらいから、私はジャズとポップスが融合したような歌い方や表現の付け方をやっていきたいなって思いだして。アイディアを摂取する面では、やっぱりビートルズですね。コーラスワークとか、常人じゃ思いつかないようなアイディアを使っていて。特に中期以降は、楽曲制作に力を入れてたバンドなので、当時できていたことで今できないことは多分ないと思うくらい。歌のうまさよりは、味とか、楽曲全体の雰囲気で作り上げる方が私には向いてるなっていうのがわかりました。“アイディアさえあれば、もっと面白いものができる”っていう発想のもとになっているバンドです」
――2021年にはヴォイスのYouTubeチャンネルでオリジナル曲「底で踊ってる」がアップされていました。
「今後、どうしよう?って迷っていた時期で。このままヴォイスで続けるべきか、自分でやっていくべきかって、すごく悩んでた時期だったんです。なので、ちょっと暗い曲なんですけど…」
――かなり暗いですよ。真夜中の底で一人で踊ってる曲ですから。
「あははは。ちょうどコロナ禍だったのもあって。みんなでは遊べないし、悩みを打ち明けたいと思っても、誰に会うこともできない。今、私は1人でやってるんだよ?っていうのを訴える曲が欲しかったというか、そういう思いで作っていました」
――あの曲を作ったことで迷いは抜けたんですか?
「ヴォイスの先生に聞いてもらって、これで駄目だったら辞めようって思っていたんですけど、“いいじゃん!”って言ってもらえたので、もうちょっと頑張ってみようかなという気持ちになって。続けるきっかけになった曲ではありますね」
――MVではアコギを弾いてますよね。
「最初はアコギで作っていました。ずっとピアノをやっていたんですけど、ギターに憧れたので、ヴォイスに入ったタイミングでギターをやり始めたんです。なので、最初はヴォイスのシンガーソングライターコースに入って、ギターの弾き語りを勉強していたんですけど、コロナ禍からDTMを勉強し始めて。そこからの2年は不幸中の幸いというか、まとまった時間が取れたので、DTMを勉強していく期間ではあったかなと思います」
――そして、今年の9月に「彼女はマドンナ」、「バースデー前夜」の2曲が同時にMVで公開されました。「彼女はマドンナ」はまさに打ち込みによりオルタナティヴなネオ・シティポップになっていますね。
「「彼女はマドンナ」は<彼女はマドンナ>っていう言葉を使いたくて作った曲で、嫉妬ソングみたいな感じになっていて。自分が思いを寄せている人の好きな人に対して、私はどうしても好きにはなれないっていう感情を歌っているんです。そういう経験って、たぶん誰しもが多少なりともあると思うんですけど、そういう場合って、思いを伝えずに終わってしまうことが多いと思うんですよ」
――思いを寄せてる人には好きな人がいるわけですからね。
「もう結果がわかりきっていることなので。そういう、失恋までもいかないような、もやもやした感情を昇華させてあげるにはどうしたらいいだろうな?って思ったときに、「彼女はマドンナ」を作ろうって思って。投げやりにでもちょっと笑って、ポップに昇華できたらいいなと思って作った曲です」
――Aメロからちょっと不穏なムードがありますよね。いわゆるベタなコード進行やハーモニーではない。
「ヴォイスではヒットしてる曲の構造を分析する勉強もするんです。私も王道の歌い上げる曲や、いわゆるJ-POPの泣きのメロディみたいなのが入った曲を聴いてきたし、好きではあるんですけど、私がやる意味はないかな?と思っていて。勉強したからこそ、脇道に逸れることができるというか。隙間を狙ってやっていくことに、私の存在意義を見出した部分もあります」
――「バースデー前夜」は一転して、曲調はエイティーズのシンセポップのように明るいですが…。
「歌詞のテーマは基本的にちょっと暗いですね(笑)。友達がインスタのストーリーで言っていたことが基になってるんですけど、<誕生日の前日ってなんか泣きたくなる>って書いていて。“あ、わかる!”って思って作った曲なんです。誕生日の前日は、どうしても歳を重ねることへの焦りとか、1年前の自分と比較して落ち込んじゃったりしやすい日だと思うんです。そういう日ではあるんだけども、何かを成し遂げたいとか、頑張っている人に対して、自戒の念も込めて、そういう夢や希望を終わらせるのは今日じゃないでしょっていう意味を込めて作った曲です。まだまだ明日も頑張らなきゃいけないんだから!っていう」
――この2曲がYouTubeで公開されて、ご自身ではどんな感想を抱きましたか?
「それまではずっと楽曲を作り続けることしかできなかったので、まずは本当にほっとしたし、嬉しいなっていう気持ちがありました。9月13日に公開したんですけど、本当のバースデー前夜でもあって…」
――そうなんですね!9月14日生まれなんですね。
「そういう意味もあって、ちょっとメモリアルな日になりました」
――この2曲はいわば、プレデビュー楽曲で、1ヶ月後の10月15日にデジタルシングル「甘じょっぱい」で配信デビューを果たしました。ドラマ『あたりのキッチン!』のオープニングテーマとして書き下ろした曲ですよね。
「そうです。最初の配信シングルがドラマのタイアップで使われることは本当に幸運だし、光栄だし、嬉しいなっていう思いはありました。だから、まず、原作の漫画を読み込んで、自分の中に落とし込んで作ろうと思って。私が共感したのは、主人公の清美ちゃんがコミュニケーションをとることが苦手で、だからこそ、“家族”や“友達”という関係にこだわっている点だったんです。この物語の舞台は定食屋さんなんですけど、そこの料理を通して、家族でもないし、友達でもないし、恋人でもない人たちが繋がっていくっていう作品になっていて。人が繋がっていくのに、名前のある関係は必要ないんだよっていうメッセージを作品から受け取ったので、それを私は音楽として還元したいなと思って作った曲です」
――続いて、11月1日「西日暮里の緑」が配信リリースされました。
「今から2年前ぐらいに作り始めた曲で、私の失恋が核になってます。失恋をした直後はそのことしか考えられなくなっちゃうじゃないですか。でも、どんなに辛くても、日常を過ごさなきゃいけない。心ここにあらずみたいな状態で日々を過ごしていたんですけど、用があって山手線に乗ったときに、ふっと外を見たら、緑が生い茂っていて。その瞬間に、“あ、いつの間にか季節が変わっていたんだな”って気づいたんです。春になりたての頃だったんですけど、私の心は冬に置いてきてしまっているかもしれない…って感じて。その駅がたまたま西日暮里でした。“そんな理由かい!“って思われるかもしれないですけど(笑)」
――あはははは。そんなことを思わないですよ。今、はっと気づいた時の情景が浮かびましたし。
「私にとっては重要だったんですよね。心と体が乖離してる状態に気付けた駅だったので、これは曲にしようと思って、その思い出を核に作り出した曲なんです。気づいてからが始まりというか…これは成仏させてあげないといけないっていうふうに思って。「西日暮里の緑」を聞き終わったときには、過去のつらい記憶を思い出しても、大丈夫なくらい強くなって、前に進める自分になっていたいっていう。前を向こうという決心をするっていう曲になっています」
――リリース週には、「週間 USEN HIT J-POPランキング」で5位にランクインして、翌週も7位でした。
「びっくりしましたね。嬉しかったです。私はまだお店で流れている場面に遭遇したことがないんですけど、友達から、“今、ドンキで流れてたよ!”っていう報告をもらったりして。たくさんの人に聞いてほしいなって思いました」
――そして、4ヶ月連続リリースになりますが、3rd配信シングル「Smoky Baby」が12月15日にリリースされました。どんなところから生まれた曲でしたか?
「原型は結構、前に作った曲で、テーマが“初恋”なんです。それも幼稚園や小学生の頃の初恋ではなくて、中学生や高校生に上がったときくらいに、周りの目とかのクラスでの立ち位置みたいなのを気にしだす年頃の恋を描きたいなと思って書いた曲です。なかなか自分の思いをストレートに伝えることが難しくなってくる年齢の人たちとか、それを思い出として、懐かしめる人たちに聞いてほしいなと思って書いた曲です」
――学校の帰り道がモチーフになってます。
「誰々が好きって言ってたよ、みたいなのを友達から聞いて、意識しだして。相手の気持ちに気づいているんだけど、ちょっと重たいし、駆け引きしてみたいな気持ちがあって、一旦、追いやってみるんですよね。でも、追いやると気になり出しちゃってっていう、幼すぎる駆け引きを追体験してほしいっていう気持ちですよ」
――自分のことを好きな男の子を一回、振ってますよね。その後に、その男の子のことを気になり出すけど、その時にはもう、男の子の心は離れてしまってるっていう。
「駆け引きをしたいが故にやってしまったっていう後悔ですね」
――<あーあ、言わなきゃ良かったよ>というフレーズから、ついつい思い出しちゃう苦い思い出があります。
「あはははは。それぞれの思い出に重ねてほしいとは思っているんですけど、10代前半から半ばにかけてっていうのは、あとから振り返って、幼かったなって思っちゃう年頃だと思うんです。そういう後悔を描きたいなと思って、ストーリーを入念に考えました。中高生の頃に友達から聞いた恋話をそのまま使ってたりしていて、、落ちサビの前に1回間奏があるんですけど…」
――ため息をついたあとですね。
「そこでいろいろアプローチしようとするんですよね。1回、追いやってしまったけど、気になり出してしまったから、追いかけようとするっていうのを表現していて。そこで、不器用ながら思いを伝えるってところまでいくんですよ。で、落ちサビに入っていくんですけど、“うん”という返事はもらえずに実らなかった。幼すぎて、ステータスとしての恋愛をしている段階の駆け引きなので、相手のことを思ってというよりは、自分勝手に動いちゃうみたいな感じですね。自分勝手だった自分に対しての反省みたいな念も込めて作っています」
――(笑)タイトルの「Smoky」はタバコではないですよね、中高生だから。
「そうですね。淡い気持ちとか、モヤがかかったような儚い感情というか。幼いが故に消えそうな感じを表現したくて、スモーキーっていう言葉にしました」
――サウンド的にはアコギの弾き語りを基調にしたフォークソングのようで、ドリーミーなギターポップのような色彩もあります。
「元々弾き語りをやっていたときに作った曲なので、なるべくその世界観を残したいっていうのもあって、アコギがメインにはなってるんですけど、改めてアレンジをするってなったときに、フォークソングだと面白くないから、いろいろといじったりしました。サビの部分は、渦中にいる人っていうよりは、振り返ってる感じなので、まさに夢のような感じというか。ちょっと幻想的な感じにしたいっていう意識で作っています」
――コーラスもご自身で全部入れてるんですよね。
「コーラスを入れることは私のアイデンティティと思っていて。他の曲でも結構たくさん入れているんですけど」
――コーラスワークと手拍子によるビートの重ね方に松田今宵らしさを感じます。
「ありがとうございます。私、学生時代に讃美歌を中心にした合唱やアカペラをやっていたんですよ。アカペラって、ポップスの音楽を全部声に変換する作業なんですけど、日常的にアカペラのアレンジもやっていた時期もあったので、あまり意識せずに曲の中に取り入れてるのかもしれないですね」
――ビートルズの話も出ましたが、アレンジも含めて、松田今宵という感じですよね。今後も作詞作曲だけでなく、編曲も手がけることにはこだわっていきますか?
「作詞作曲までだと自分の表現したいことが私はできないって思っちゃうんです。ヴォイスも最初はシンガーソングライターコースで弾き語りをやっていたんですけど、それだとちょっと自分が表現しきれてないっていう感覚があったので、先生にお願いして、DTMを教えてもらいだして。編曲までやりだしたときから、自分のモヤモヤが消化しやすくなった感覚があったので、自分の個性として大事にしていきたいって思います」
――メロディと言葉だけじゃない、サウンドを含めて、モヤモヤを表現するのが個性になってる?
「そうですね。あまり綺麗になりすぎないようにしようっていうのはいつも心がけて。プロに頼めば、どんどん綺麗にしていくことはできると思うんですけど、それだとやっぱり、自分の感情に対して嘘っぽくなっちゃうんです。そうならないために、自分の肌に合ったものを選んで出したいっていう思いがあります」
――最後にアレンジまでこなすシンガーソングライターとしての今後の目標を聞かせてください。
「内面なことになっちゃうんですけど、常に自分の芯というか、軸はしっかり持っていたいです。これからどんどん年齢を重ねていって、自分自身も変わっていくだろうし、軸もどんどんずれていくと思うんですけど、その都度その都度、ちゃんと自分に向き合って、自分の中から出てくるものを大切にしていきたいって思っています。そういう姿を皆さんに聞いてもらったり、見てもらったりすることで、私と同じようなモヤモヤを抱えている人たちが前を向いて、今日明日を生きる力になったら本望です!」
(おわり)
取材・文/永堀アツオ