──そもそも、ジャンクさんが、いわゆる“シティポップ”と今呼ばれているような音楽を聴き始めたのはいつ頃からですか。
「山下達郎さんに関していえば、中学生ですね。当時の最新アルバムだったベスト盤の『TREASURES』(1995年)が初めて。で、そこからMOON移籍後の達郎さんのカタログをすべて集めるんですよ」
──達郎さんでシティポップというと、MOONよりもRCA/AIRイヤーズの方ですよね?
「『TREASURES』にディスコグラフィが載っていたんですけれど、当然移籍前のRCA/AIRイヤーズの情報はないんですよね。でもラジオを聴いていたら「MUSIC BOOK」が流れてきて、あれ、この曲知らないなってなって、『FOR YOU』や『RIDE ON TIME』に行き着くんですよ」
──達郎さん以外の周辺アーティスト、例えば竹内まりやさんなどは聴いていなかったんですか。
「一応、まりやさんも大滝詠一さんも聴きました。でも、鈴木 茂さんとかはっぴいえんどあたりのもう少し泥臭い音楽には手を出していなくて、20歳くらいまではほぼ達郎さん一辺倒なんですよ。それくらい、この世代のアーティストの情報が無かったんですよね」
──20歳くらいというと大学生ですが、その頃はもうバンドもやっていたんですよね?
「そうですね。今、aikoさんや大橋トリオさんと一緒にやっている神谷洵平というドラマーや、羊毛とおはなのギタリストの羊毛くんたちと一緒にバンドを組んでいて、彼らを通じて今回カヴァーしたbenzoなんかも知るんですよ」
──達郎さんからbenzoに飛ぶというのが面白いですね。
「でも、同級生で細野晴臣さんや佐藤奈々子さんが好きという友人がいて聴かせてもらったこともありましたけれど、いかんせん全然情報が無かったんですよ。あとは、吉田美奈子さんや鈴木茂さんあたりが好きだという人はそれなりにいた気がします」
──達郎さん以外にハマったシティポップのアーティストっているんですか。
「やっぱり吉田美奈子さんですかね。『FLAPPER』(1976年)をシティポップといっていいのかわかりませんけれども、いろんな方が曲を持ち寄って美奈子さんがシンガーに徹したあの一枚は好きでしたね。でも本当に情報が無かったから、そんなに深くは聴けていないですよ」
──ユーミン(松任谷由実)はどうですか。
「大学生になるまではジブリの曲の人くらいのイメージしかなかったんですけれど、大学でブラックミュージックを聴き始めたあたりから、ユーミンも聴いています。でも周りにはあまりいなかったですね。そんな古い音楽をまだ聴いているのか、っていう扱いだったし」
──でも、その頃って和モノのレアグルーヴ的な感覚で、ティン・パン・アレーなどが再評価されていましたよね。
「ああ、そういうのが好きな奴はいましたね。はっぴいえんどやYMOなどは大好きっていう。あとは、もっとフォーク寄りの高田渡さんや小室等さんに振り切っていて、“六文銭いいな”みたいな(笑)。でも歌がしっかりしているシティポップを聴いてる人はいなかったかな。スガ シカオさんなんかが流行っていて、そういうのはみんな聴いていたけれど、そのルーツ的な達郎さんやその周辺は誰も聴いていなかった」
──2000年代頭くらいですよね。CD再発も進んでいたとはいえ、そういう時代だったんですね。
「そうそう、学園祭で達郎さんの「BOMBER」をやっても、全然盛り上がらない。年配の教授だけが盛り上がっていましたよ(笑)」
──そう思うと、やはり先取りというか、早すぎたんでしょうね。
「まあそういうとかっこいいけれど、僕らは狭間の世代なんですよ。リアルタイムに聴いていた方々からすると当然身近にあったサウンドだし、下の世代にとってはまだ再評価もされていなかったから古い音楽でしかなかったんでしょうね」
──その後、ジャンクさんは2009年にミニアルバム『A color』をリリースし、世の中に登場するわけですけれど。
「そんな状況だったから、その時は、誰も理解してくれないかもしれないけれど、やりたいことをやり切って、それで響かなければしょうがないって思っていましたよ。でもポンタさん(ドラマーの故・村上“ポンタ”秀一)がその作品を聴いて、こいつ面白いから連れて来いっていわれて、そこからご一緒させてもらうことになりましたからね」
──ポンタさんとの出会いは当然大きかったと思うのですが、それによってリスナーとしても広がった部分はありますか。
「もちろん、ポンタさんと知り合う前からファンでしたから、参加されている作品は聴いていましたよ。実は飲み屋で会って“サインください”」って言ったこともあったんですけれど、ご本人は覚えていなかった(笑)」
──共演されている中で、知識としても学ぶことは多かったのではないですか。
「それはありますね。僕とは30年もキャリアが違うわけで、だからといってそれを誇示することはないんだけれど、会話の中ですごい話が出てくるんですよ。それこそ達郎さんのライヴ・アルバム『IT’S A POPPIN’ TIME』(1978年)のときはどうだったとか、坂本龍一さんがいつもこんな服装をしていた、みたいな。で、自分もその当時の曲がどういう時代背景で流行っていたのかなどを調べたりなんかして、なんとか話についていこうとしていました」
──確かに、歌詞やサウンドも時代を知らないとわからないことってありますよね。
「例えば、村田和人さんの「一本の音楽」もそうですよね。カセットテープに好きな曲を入れて、マイベストの選曲で旅に出ようっていう感覚は、そのカセットテープ文化を知らないと理解できない。今はありがたいことに、YouTubeなどで昔のマクセルのCMも観ることができますけれど。だから、今シティポップが好きだという若い子たちは、そういう文化を知ってるのかなんてちょっと興味があります」
──ジャンクさんも、世代的にはアナログは壊滅状態の時期ですし、CD全盛期ですもんね。
「ぎりぎりカセットはあったんですよ。ラジオを録音したりして。でもCDショップに行ったらほとんど短冊CD(8cm CDシングル)でしたね。」
──ジャンクさんが初めてのCDを発表して数年経った2010年代に入って、シティポップはじわじわと再評価されていくわけですけれど、ブームが来たなと意識しましたか。
「そうですね、確かに達郎さんの音楽を聴く機会が増えたというか、そういうのは少し感じました。その後、竹内まりやさんの「プラスティック・ラヴ」がYouTubeでガンと跳ねて、さらに神格化されていったような感覚はありますね。今では信じられないですけれど、僕が10代の頃は山下達郎という名前を出しても同世代では誰も反応してくれませんでしたから」
──ご自身もブームの渦中に入ったという意識はありましたか。
「渦中っていう意識は全然ないですよ。孤立無援というか、リアルタイム世代でもないけれど、リアルタイムの方に近い感覚で対峙している特殊なミュージシャンだと思っていますから(笑)。実際、本物を作ってきた人たちと一緒に音楽を作ってきたから、シティポップに対する見え方も違うんですよ。斉藤ノヴさんのラジオに出た時も、ガーッと熱く語って、ノヴさんはただうんうんって頷いて“よくわかってるな”って(笑)」
──昨今のシティポップ・ブームは、当時を全く知らない世代が先入観なく当時の音楽を聴いて、かっこいいとかおしゃれだなとか感じていると思うんですけれど、ジャンクさんの場合はまた立ち位置が違いますよね。リアル世代と共演して血肉化していますし。
「ただ、リアルタイム世代の方と話していると自分たちの世代の音楽という意識が高いんですよね。でもそれだともったいないじゃないですか。素直に聴きたいという若い世代がいて喜んでくれるのなら、俺の音楽だなんて囲い込む必要がないですし、世代を超えて作ることもできますからね。一方で若い世代には、シティポップに限らずいろんな音楽を聴いてもらいたいですよね。僕なんかそもそも歌謡曲がずっと好きで、90年代にはそのような歌がガツンと前に出るシンガーがいなかったので、達郎さんに行き着いたから」
──今回、『憧憬都市』というカヴァーアルバムを作りましたが、選曲が面白いですね。今の視点ならではのシティポップもあれば、今おっしゃったように歌謡曲が好きなジャンクさんもいますよね。いろんな曲があるんですが、思い入れが強いのはどのあたりなんでしょうか。
「思い入れの強さでいうと、ユーミンの「雨のステイション」ですね。これって中央線の西立川駅が舞台らしいんですけれど、自分の恋愛を投影しやすかったんですよ。原曲のイメージはサワサワという優しい雨だと思うんですよね。でも僕が歌うイメージではドバーッと降る土砂降りの中でびしょ濡れになりながら相手を待っている(笑)。この曲はbenzoの平泉光司さんがライヴでカヴァーしていたんですよ」
──そのbenzoの「真昼」は先ほども話が出ましたけれど、ジャンクさんらしさが出ています。
「昔のバンド仲間からは“なんで言わねえんだよ、レコーディングに呼んでくれよ”って怒られましたから(笑)。あと、学生時代ではないんですけれど、大橋純子さんの「テレフォン・ナンバー」も昔から大好きで」
──近年、すごく人気が出てきた一曲ですよね。
「でも僕はずいぶん前から好きだったんですよ。ただ、CDも絶版になっていて全然手に入らなくて。大橋純子さんはほかにもいっぱいいい曲があるんですけれど、やっぱりあの“ア~ウ~♪ファイヴシックスセブンオーナイン”っていうサビのキャッチ―さが受けているんでしょうね。歌っていて遊べる間がけっこうあるんで、ライヴではちょっと違うこともできそうな曲ですね。あと、“背の高い”という歌詞があるんですが、大橋さんは“せいのたかい”って歌うんですよ。あの昭和感がすごく好きで、僕もその通りに歌っています」
──先ほど歌謡曲がお好きだっておっしゃっていましたけれど、来生たかおさんの「夢の途中」には、その趣味が反映されていると思います。
「来生たかおさんの歌い方が好きなんですよね。たぶん二度と同じように歌わないんだろうなっていう感じがします。自由というか、ナチュラルというか、それがまたいいんですよね。そういうのに憧れるんですよ、ジェイムス・テイラーもそうですけれど」
──そういう楽曲ってカヴァーするのが難しくないですか。
「メロディのラインを崩さないようにしながら、敢えて伸ばしたり短くしたりいろいろと考えました。オリジナルの録音だけでなく、ライヴでやっていらっしゃるのも何度も観ているので、それらのテイストを上手く混ぜたような感じがいいかなって」
──井上陽水さんと安全地帯の「夏の終わりのハーモニー」も面白い解釈ですね。アカペラのアレンジで。
「この曲も弾き語りで下のパートだけ録っておいて、配信ライヴで上のパートを歌ってハモったこともあるんですよ。ここではバンドメンバーの神谷樹くんと一緒に歌っています」
──ジャンクさんは達郎さんフリークというイメージが強いんですが、陽水さんからの影響も大きいんじゃないですか。
「うん、影響は受けているのかはわからないんですが大好きですね。むしろ、達郎さんより先に陽水さんを聴いていましたから。筒美京平さんが曲を書いた「カナディアンアコーディオン」が入っているアルバム『UNDER THE SUN』(1993年)に「鍵の数」っていう曲があって、それがすごく好きなんですよ。悩みの数は自分が持っている鍵の数と一緒なんだよっていうメッセージが込められた歌で。あとは、「海へ来なさい」とか大好きな曲はたくさんありますよ」
──達郎さんとはまったく違うスタイルのアーティストだと思います。
「『氷の世界』のようなフォーキーというかドゥービー・ブラザーズみたいな世界観から、「リバーサイドホテル」までやってのける広さというか深さというかね。時期によってまったく別人なんじゃないかっていうくらい。そこがすごいですよね」
──『憧憬都市』では、他にも杏里さんの「WINDY SUMMER」や杉山清貴&オメガトライブの「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」などもカヴァーしていますが、これらの曲はどのような基準で選んでいったんですか。
「最初は女性の歌ばかり選んでいて、山口百恵さんとかWinkなんかも候補に挙がっていたんですけれど、やっぱりバランスを考えて男性の歌も入れましょうと。それと、シティポップの中でもヒット曲というか、認知されている楽曲も選んでいくとこうなりました」
──カヴァーって歌い手の技量はもちろん、アレンジが肝じゃないですか。そのあたりの解釈のこだわりも感じられますね。
「「WINDY SUMMER」で、ホーンセクションのパートを敢えてフュージョン風のギターで弾くとかね。あと「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」だと、杉山清貴さんはみんなに広く“オンリー・ユー”って歌っているイメージですが、僕は本当にお前だけに歌っている……みたいな(笑)」
──ジャンクさんが歌うからこそ面白いという楽曲が多いですよね。意外性というか。
「だからこそ、知っている曲でも、その曲をどう料理するのかという面白さや、節回しなど歌い手の人間味みたいなものを聴いていただきたいですね。あとはやっぱり、懐かしいと捉える世代もいれば、新鮮に捉える人もいるわけで。こうやって時の試練に耐えて、当たり前のように聴かれる楽曲に対する憧れっていうのはあります。そういった憧れをたっぷり注ぎ込んだアルバムになったかなって思います」
(おわり)
取材・文/栗本 斉
写真/いのうえようへい
『憧憬都市 City Pop Covers』リリース・ライブLIVE INFO
3月24日(日)JZ Brat SOUND OF TOKYO(東京)
4月6日(土)Logic Nagoya(名古屋)
4月7日(日)CHICKEN GEORGE(神戸)