「優れた芸術は全ての人の日常生活の中にあってほしい」(ミュシャ)

アルフォンス・ミュシャは19世紀末から20世紀初頭にかけて隆盛したアール・ヌーヴォーを代表する芸術家で、絵画はもとより、装飾パネルやポスターなどの広告美術など分野を超えて多くの作品を手掛けた。画家であり、リトグラフによるグラフィックデザインの先駆け的存在でもある。花や植物、星などによる装飾性、線画による繊細な曲線表現などを特徴とし、時代を超えて世界にファンを持つ。
そのミュシャとマッシュスタイルラボが結び付いたのは2019年。主力ブランドの一つ「gelato pique(ジェラートピケ)」の企画会議での一言がきっかけだった。同ブランドは花柄のワンピースなどが人気なことから、「もしミュシャが描いた花々でデザインができたらすごく可愛いよね、という話が出たのが始まり」とプロデューサーの巻島彬子さん。企画書を作成し、ミュシャ財団に持ち込んだ。飛び込み営業のような形でのプレゼンだったが、財団側は日本にはミュシャファンが多く、まだミュシャを知らない若い世代にもその魅力を伝えたいとコラボレーションが実現した。
コラボではミュシャ作品をモチーフにしたウェアと雑貨を展開。ジェラートピケの顧客はもとより、ミュシャファンにも好評を得た。コラボアイテムは以降、「すぐに完売する」好調を持続し、「ミュシャとして一つのブランドができるのではないかと可能性を感じた」という。ただ、本国でもミュシャのブランドは前例が無かったため、「無理を承知で財団に提案した」のは22年のこと。それまでのジェラートピケでの取り組みと実績への評価、ミュシャ自身が日本の浮世絵に影響を受けて表現スタイルを確立したという背景などから快諾を得て、パートナーシップを締結し、世界初・日本発のブランド「MUCHA(ミュシャ)」の立ち上げに至った。

舞台女優サラ・ベルナールのために制作したポスター『Gismonda(ジスモンダ)』(1894年)。ミュシャを一躍有名にした作品。写真はルミネ有楽町ルミネ1店の内装

フレグランスを軸にしたブランドの構想は当初からあった。「絵の中に描かれた花や女性からはどんな香りがするのだろうかと、思わず想像を膨らませてしまうんですね。ミュシャの世界を表現するに当たって、香りは大きなピースになると直感しました」と巻島さん。ミュシャ自身が、リヨンの香水メーカーが発売したスプレー式香水ブランド「RODO(ロド)」のポスターを1896年から数年間にわたり制作しており、香りとの縁があったことも決め手になった。香水瓶などのラベルやパッケージにはミュシャの原画を用いた。
また、ミュシャは後進の画家やデザイナーのために自らのデザイン画を編纂した『装飾資料集』『装飾人物集』を20世紀初頭に刊行している。そこに収められた意匠の数々は、様々なプロダクトのリソースとしての可能性を秘めていた。バッグやポーチ、タオル、ハンカチなどの雑貨を製作し、細かな線画による女性の髪の描写に定評があったことから髪飾りもラインナップに加えた。
「ミュシャはいわゆる芸術作品以外にも、本の表紙や挿絵、広告デザインなど幅広く活動しました。『芸術は全ての人の物である』『優れた芸術は全ての人の日常生活の中にあってほしい』といった言葉を遺しています。私たちが展開する香りも雑貨も日常に寄り添うことを心に刻んで物作りに向き合っています」と巻島さんは話す。

作品を紐解き、今の感覚を少し入れ、ミュシャの世界を蘇らせる

ブランドコンセプトは「蘇る情景を身に纏う」。ある香りを嗅ぐと、ふと過去の記憶や感情が蘇る、過去に見た情景を思い起こすということがある。「香りを通じて、心に大切に留めておきたい時間や時代を愛おしむひとときを届けたい」という思がコンセプトには込められている。
主軸とするフレグランスアイテムは、一つひとつのミュシャ作品を紐解き、表現すべきエッセンスを絞り込み、香水文化の中心地であるフランスの調香師と共に開発している。ミュシャの代表的な四部作「四つの花」(1898年発表)をイメージした「The Flowers 1898」は、「ROSE(ローズ)」「CARNATION(カーネーション)」「LILY(リリー)」「IRIS(アイリス)」の4部作。ローズは、作品に様々な種類のバラが棘と共に描かれていることから、やや野性味を感じる、甘美でありながら無垢なローズの香調を生んだ。リリーは、純潔・無垢の花言葉のように、気持ちを浄化させるイメージで香りの変化を表現。ブランドで一番人気のフレグランスとなっている。次いで好評なのは前述したロド。ノスタルジックな甘くほろ苦い金木犀の香りを漂わせる。舞台「椿姫」の主役を務めた当時の人気女優サラ・ベルナールのために描いたポスターから着想したフレグランス「CAMELLIA(カメリア)」もファンが多い一品だ。

スプレー式香水ブランドのポスターからイメージした「RODO(ロド)」
「四つの花」のオードトワレ「The Flowers 1898」。原画のラベル、瓶の形状がクラシカルな味わい

フレグランスアイテムは、オードトワレやディフーザー、ヘアミスト、ヘアオイル、ハンドソープ、ボディソープ、ハンドクリーム、フレグランスキャンドルなど充実。「四つの花」のミニスプレーのセット「オードトワレ ミュージアムボックス」も好評だ。「ハンドソープやハンドクリームはギフト需要が多く、好き嫌いが分かれにくいアイテムなので男性のお客様もプレゼント用に購入する」という。

  • ヘアオイル
  • 今年3月に発売したフレグランスキャンドル
  • 実店舗にはハンドソープを試せるシンクも設置

雑貨は作り込んだアイテムが揃う。ジャカードトートバッグの生地は、19世紀初頭にフランスで発明された紋織り「ジャカード」を採用し、今も優れた織物を作り続けている米沢産地で織り上げた。米沢織による高品質なジャカード生地で表現したのは、ミュシャが好んで描いた百合の意匠。光沢感のある生地にクラシカルで上質な風合いを生んだ。同素材のポーチはデイリーに使いやすいサイズ感で、リップや財布、鍵などの収納も取り出しもしやすい内ポケット付き。ミュシャの代表作がプリントされたコットン素材のトートバッグやフラットポーチは、ミュージアムグッズ感覚で買いやすいアイテムだ。

米沢織のジャカードトートバッグとポーチ
ミュシャの代表作を施したコットントートバッグ
ミュシャの代表作を施したコットントートバッグ
「トリポリ姫イルゼ」の表紙をプリントしたトートバッグ
ミュシャの代表作を施したコットントートバッグ
コットンフラットポーチ
コットンフラットポーチ
コットンフラットポーチ

タオルは、今治産地のメーカーが開発した先染めジャカードの特許技法「五彩織(ごさいおり)」で織り上げた。5色の糸を使い、カラー写真もリアルに表現する技法。「四つの花」のそれぞれをあえてワントーンに仕上げ、19世紀末の装飾パネルを想起させるクラシカルテイストのフェイスタオルとハンドタオルを作った。『装飾人物集』からセレクトしたミュシャを象徴する人物画や、代表作の「夢想」「黄道十二宮」「1908SLAVIA」をプリントしたシルク100%のスカーフも魅力。ハンカチやタオルなど一部商品は、一部店舗では刺繍で名入れサービスも提供している。
実店舗でもECでも人気なのが髪飾りだ。19~20世紀初頭の装飾カリグラフィー(デザイン文字)をモチーフにしたバレッタやヘアクリップ、真鍮で造形した「椿姫」の椿の花にクリスタルガラスで雫(しずく)を手仕事で表現したヘアゴム、「MUCHA」のブランドロゴをデザインしたヘアピンなど粒揃い。価格も4000円台から5000円台が中心と、リーズナブルなことも好評の理由だ。
「ミュシャの作品世界をなるべく崩さないように、アール・ヌーヴォーの時代のテイストと今の時代を昇華させるというか。プラスアルファで今の感覚を入れてミュシャの世界を蘇らせるというイメージで物作りをしています」としている。

今治の「五彩織」で織り上げたタオル
代表作をプリントしたシルクスカーフ
代表作をプリントしたシルクスカーフ
代表作をプリントしたシルクスカーフ
代表作をプリントしたシルクスカーフ
髪飾りはデザイン性と買いやすさで人気
代表作をプリントしたシルクスカーフ

ブランドの世界観を体感できる実店舗を重視する

販路は現在、ルミネ有楽町店ルミネ1と京都髙島屋S.C.「T8」の直営店、ECがある。「フレグランスは実店舗で商品を試した上で購入するお客様が多く、雑貨はECが好調」という。
実店舗はウッド調の造りで、ラグジュアリーな印象。ミュシャが店内装飾を設計し、1901年に開業したパリの「フーケ宝飾店」の店舗デザインから想を得て空間を設えた。壁面にはさりげなくミュシャ作品の百合の意匠があしらわれていたりもする。重厚だが、アール・ヌーヴォーの特徴である曲線を多用することで優しいムード、心地良さを醸し出している。随所にミュシャ作品を配置し、美術館を巡るようにフレグランスや雑貨を見て回れるのも、実店舗ならではの顧客体験だ。

レジに飾られているのは「LA DAME AUX CAMELIAS(椿姫)」(1896年)
ルミネ有楽町ルミネ1店。木の温もりと曲線が心地良い
ミュシャ作品のポストカードなども揃える。棚上に展示されているのは「LA PLUME(黄道十二宮)」(1869年)
壁面の棚ではフレグランスの全アイテムを紹介

1号店のルミネ有楽町ルミネ1店は、20~40代のキャリア女性が中心に来店するという。「当初はもう少しアッパー層を予想していましたが、全体としては若い世代からかなり上の世代まで幅広い顧客構成」になっている。前述したようにギフト需要では男性客も訪れる。ミュシャが好きな人でも、ライトなファンもいれば、ディープなファンもいる。まだミュシャを知らない人たちもいる。「作品の解釈は人それぞれなので、自分が想像していた香りと合っている、違っているということもあり、作品はこれが好きだけど、香りはこっちが好きという人もいます。そうしたことも含めて、お気に入りとの出会いを楽しんでいただきたいと思っています」と巻島さん。様々な人たちにミュシャやその作品の魅力、ブランドの世界観を着実に伝える場として実店舗を重視していく考えだ。
そのきっかけとして歳時に合わせて打ち出しアイテムを設定し、ギフト提案などのVMDを組む。例えばバレンタインデーであれば、寒さは残るが春へ向かっていく気分を上げていけるよう、ローズの香りをクローズアップした。4月から5月にかけては母の日に合わせてカーネーションに焦点を当てる。
今後は「ブランドの世界観に合った立地を検討し、出店を進めていく」とし、直近では4月25日にルクア大阪への3店舗目、5月9日にルミネ横浜、5月18日に渋谷ヒカリエShinQsへの出店を計画している。

写真/遠藤純、マッシュスタイルラボ提供
取材・文/久保雅裕

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久保雅裕(くぼ まさひろ)encoremodeコントリビューティングエディターウェブサイト「Journal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)」編集長。杉野服飾大学特任教授。東京ファッションデザイナー協議会 代表理事・議長。繊研新聞社在籍時にフリーペーパー「senken h(センケン アッシュ)」を創刊。同誌編集長、パリ支局長などを歴任し、現在はフリージャーナリスト。コンサルティング、マーケティングも手掛ける。2019年、encoremodeコントリビューティングエディターに就任。

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