歌番組の全盛期
1975年にソロデビューしたタケカワユキヒデさんは、翌年にミッキー吉野さんらとゴダイゴを結成。1978年に『西遊記』のエンディングテーマ「ガンダーラ」、同主題歌「モンキー・マジック」が大ヒットしたのを機に、その後も「ビューティフル・ネーム」「銀河鉄道999」「ホーリー・アンド・ブライト」など断続的にチャートを賑わせた。『ザ・ベストテン』では複数曲が何週にもわたってランクインするという状況を巻き起こし、当時「ほとんど毎日テレビ出演していた」というタケカワさんは、まさに“歌謡曲全盛期”の時代を“現場”で過ごした人と言える。
「(テレビ出演時に)一番大変だったのは、決まったフルバンドの演奏で歌う歌手の人たちはその人だけ入れ替わっていけばいいのに対し、僕らはバンドだからセッティングも含めて、一からリハーサルを行うってこと。スタッフの方たちにとってはものすごく迷惑だったと思います(笑)。おまけに当時は生番組が多かったんですよ。丸一日拘束されるリハーサルも大変でしたけど、本番は本番でまた大変。例えば『紅白歌のベストテン』(日本テレビ系/のちに『ザ・トップテン』に移行)は毎週渋谷公会堂からの生放送で、僕らが出る時は“横ゼリ”という大きな箱に車輪がついたものにメンバー全員が乗って、それがそのままステージ中央に押し出されてくっていうね。しかも電源が全部入った状態。1個でも逝っちゃったらもう終わりなんだから、怖いでしょ。大きな事故っていうのはなかったけど、別の番組で1度だけ、僕のマイクとベースの音と、もうひとつ何かの音しかオンになってない状態で放送されていたっていうことがありましたね。そういう一か八かの本番を毎週毎週やってたんだから、今考えるとすごいなぁって思います」
こうした時間的・物理的要因もさることながら、タケカワさん自身も“テレビに対応していく”という意味で、毎日が戦いだったという。
「何て言ったらいいのか、バンドっていい加減じゃないですか(笑)。僕らの場合、それまでの活動のメインはレコーディングやコンサートだったので、極端な話、レコーディングなら100回歌っても1回うまくいけばOKだし、コンサートならどこかで失敗しても次で取り戻せるとか、最終的に全体を通してお客さんが喜んでくれればいいという部分があって。でも、テレビは1曲だけ。失敗が一切できないんです。なので、実はものすごい緊張感と戦いながらのテレビ出演でした。かといって、真剣な顔をして歌っているとテレビ映りが悪い(笑)。ニコニコしながら歌うっていうのも、それまでやったことがなかったから、カメリハの際は表情も気にしながらチェックしてましたね。そんな時、歌手の人たちはやっぱりすごいんですよ。当時の歌手の人たちって、すごく歌がうまいんですけど、それだけじゃなくて常に安定してるんです。歌う前にMCの人と談笑した後に『では◯◯さんです』って言われて出ていき、位置についた途端に顔つきが変わって、ものすごく安定した歌を歌う――。すごいなと思って見てたんですけど、今になってわかるのは、みなさんレッスンを重ねてたんですよね。僕らはバンドだからそんなことやったことないけど、当時の歌手の人はレッスンを受けるのが当たり前でしたから。番組ではそういう人たちと肩を並べるわけです。同じジャンルの人はいなかったけれど、やっぱり負けるわけにはいかないじゃないですか。相当な気合と緊迫感で臨んでました。おかげで昔の自分の歌を聴くとすごいですよ。自分で自分を褒めちゃうほど上手いです(笑)」
ゴダイゴが活躍した70年代後半から80年代当時、大袈裟でも何でもなく、テレビでは毎日音楽番組が放送されていた。生演奏・生歌唱が当たり前だったことに加え、セットや照明にもこだわった演出は、当時は子供だった読者の方たちの目にも焼き付いているのではないだろうか。
「歌ってる僕らもびっくりするような演出がたくさんありましたよ。メンバー全員が箱の上に乗って演奏してて、途中で僕の箱だけがツーっと前に出るとか(笑)。歌ってる最中ですよ。これはないだろ……みたいなね(笑)。バンドの音もどんどん遠くなっちゃうし。いやぁ、本当に面白かった。今考えると、それを楽しむだけの余裕が僕らにあればよかったなと思いますけど。当時は余裕なんて全然なくて、自分ができることをやり切るっていうことだけで精一杯でしたね。でも本当、当時は音楽番組というと舞台さんと照明さんがものすごい張り切っちゃうわけなので。やっぱり曲ごとにいろいろ変えたいわけじゃないですか。なので、セット変わりが本当にすごくて、歌手の人がMCの人と話している時だとか、CMの時だとかに、ぶわーってスタジオの中が変わるんですよ。それはそれはかっこ良かった。僕らはただボーっと見てるだけでしたけど(笑)、本当に秒単位で全部変えて、そして何事もなかったかのように次の曲に入っていくわけですから。で、やっぱり本番でそれをやるためには、リハーサルをきちんとやらなきゃダメなので、丸一日拘束になるのも仕方がないんですよね。しかも、当時は今よりももっと“画”が大事という考え方が強かったんです。生放送の時はもちろんやり直しはないんですけど、録画の場合、音を失敗してもやり直しはさせてもらえなくて、逆に演奏はバッチリだったとしても画がうまくいかなかったらもう一回っていう。僕らは音にこだわってたから、それはちょっと厳しかったですけどね。それでも僕らは『西遊記』の主題歌で世の中に出してもらったから、テレビの仕事を断るっていう選択肢は絶対にありませんでした。それに、当時フォークの人たちはテレビに出ないっていうのがあったので、それならこっちは全部出ようって、そういう気持ちもありつつですが……(笑)。まぁそれはそれとしても、音の面では厳しかった。今は音が失敗したらやり直しをさせてもらえるようにもなってきたので、時代は変わったなぁと思います」
時代が変わったと言えば、音楽を取り巻く状況も当時に比べ激変した。それこそ、あの頃毎日のように放送されていた音楽番組は今では週に数えるほどしかない。このような音楽シーンの現状をタケカワさんはどう見ているのだろうか。
「音楽番組が減ったのは、みんなが音楽番組を見なくなったからですよね。じゃあどうして音楽番組を見なくなったかと言うと、そういう人たちが自分はコレが好きだっていうパーソナル音源を選んで聴くのが普通になったこと、それからアーティストだったりバンドだったりがものすごく増えたことが原因のひとつに挙げられると思います。歌手っていう人たちの数は、それほど変わってないと思うんですよ。でも、バンドだとかユニットだとか増えた結果、ファンの人たちもそこに直接付く形に変化してきて、それをすべてテレビというメディアが拾い上げるのは難しい時代になったんだと思います」
(つづく)
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