sp_160923_utadahikaru_01_main

特集
2016.09.23
特集 宇多田ヒカル最新作『Fantôme』

宇多田ヒカル特集Vol.1――『Fantôme』ディスクレビュー

約8年の“人間活動”からカムバックした宇多田ヒカル。最愛の人の死、結婚、出産……人生のさまざまな機微を経て完成した最新作『Fantôme』を携えて帰還した彼女へのインタビューとディスクレビューを全3回の連載で。

<PR>
音楽聴き放題アプリ「スマホでUSEN」
今なら14日間無料――詳細はこちら



これまで誰も聴いたことがない、凄まじい作品が生まれることはわかりきっていた。

なんといっても、あの宇多田ヒカルの新作である。累計売上765万枚という日本一のアルバムセールスの記録を持つ彼女にとって、前作『HEART STATION』以来8年半ぶりとなる6枚目のオリジナルアルバム。しかもそのうちの6年間は“人間活動”のために音楽活動を休止し、歌は一切歌っていないという状況からのカムバックである。その上、空白の6年の間に、彼女のプライベートにはさまざまな出来事が起こった。最愛の母である藤 圭子の自死、自らはイタリア人男性と再婚し第一子となる男児を出産。母を喪い、その一方で自身が母になるという人生観を揺るがすような大きな嵐をくぐり抜ける中で、彼女の心の中で再び音楽を創りたいという気持ちが頭をもたげてきた。そしてそれは亡くなった母に捧げる作品にしたいという――つまり、あの不世出の天才(と呼んでいいだろう)が、芸術における極限のテーマとも言える“生と死”に真正面から向き合った作品を産み落とすことが最初から見えていたのだ。

宇多田ヒカルの最新作『Fantôme』、その最大の特徴はなんといっても作品全体を覆う死と生の匂いである。死の要素は想像よりもはるかに濃く、深く、この作品を支配している。しかし本作が素晴らしいのは、単に死を扱っているという点にあるのではない。宇多田ヒカルという才能がそれを音楽的に高次元のレベルで昇華していることが重要なのだ。こんなに心地よく、美しいポップスの中で死というものを捉えた作品は近年の日本では聴いたことがない。本作は日常生活でも聴ける優れたポップアルバムになっているという点が非常に大事なのである。

本作の予兆はアルバムが届く前からビリビリと波動のように伝わってきた。先行配信シングルとしてリリースされた「花束を君に」、「真夏の通り雨」のインパクト。「花束を君に」は《普段からメイクしない君が薄化粧した朝》と母の死化粧を彷彿とさせる歌い出しからはじまる歌だが、こんな歌がNHK連続テレビ小説の主題歌として日本の朝を彩ってきたという事実は冷静に考えると信じがたいことである。「真夏の通り雨」も《見送りびとの影》に立ち尽くす心情を描いた鎮魂のピアノバラード。この絶望的な状況をポップスへと作り替えてしまった彼女の音楽的腕力にはただただ舌を巻くしかなかった。

そしてついにアルバム到着――ここではっきり言っておきたいのだが、本作に収録された11曲はすべてが死の匂いに浸されているわけではない。セクシャルな表現が宇多田の成熟を感じさせる「俺の彼女」、ファンキーなベースラインが印象的な「荒野の狼」、唯一明るい手触りで恋のトキメキを歌う「人生最高の日」など楽曲はバラエティーに富んでいる。さらに、本作の特徴としてゲストミュージシャンとの共演も忘れてはならない。宇多田は「ともだち」でR&Bヴォーカリストの小袋成彬と、「忘却」ではラッパーのKOHHと声を重ね合わせている。しかしなんといっても一番の注目は「二時間だけのバカンス」における椎名林檎とのデュエットだろう。同じ年に同じレーベルからデビューした2人は、これまでも互いの才能を認め合ってきた盟友だが、それがこのタイミングで正式に共演(過去に一夜限りの限定ユニット、東芝EMIガールズとしてパフォーマンスしたことはある)。こうした外部と積極的に関わっていく姿勢は過去の作品には見られないことであり、本作での大きな変化と言えるだろう。

しかし、そのような話題性を踏まえてもなお、このアルバムは“死と生を巡る宇多田ヒカルの旅”という文脈で語るのがもっともふさわしいもののように感じられる。それはラストに置かれた「桜流し」のこともある。これは宇多田が2012年、映画『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のために書き下ろした楽曲で、本作の中では活動休止前に作られた唯一の作品である。だがこの曲で彼女は前年に発生した東日本大震災のことを想い、《もう二度と会えないなんて信じられない》とやはり永遠の別れについて歌っているのだ。その1年後に自らが最愛の人と永遠の別れをすることも知らず……この死に取り憑かれたかのような偶然の一致もまた、本作に人智を超えた凄みを与える一因になっている。そういう要素を含めても、宇多田はこのアルバムを通じて死と生に対峙していたと言っていい。彼女自身、本作の制作過程はセルフセラピーだったと語っているが、彼女は本作を作ることで、死にひざまずき、死にすがりつき、最終的には死を乗り越えるところまで到達しているように思えるのだ。

アルバムの残りの楽曲にもそれは表れている。ハープをフィーチャーした「人魚」は《不思議とこの場所へ来ると/あなたに会えそうな気がするの》という慕情のメロディーで、母を想い、涙に濡れている彼女の姿が浮かぶ。先程挙げた「忘却」は精神の闇を漂うようなトラックの上、最後のフレーズは《いつか死ぬ時/手ぶらがbest》――自身の死に様にも向き合った彼女の決意が透けて見える。そんな彼女の到達点がもっとも色濃く表れたのは、本作の冒頭を飾る「道」。最終的に《どんなことをして誰といても/この身はあなたと共にある》と悟った彼女は、ダンスビートに乗せて今の気分を《It’s a lonely road. But I’m not alone.》と歌う。寂しいけれど私はひとりじゃない、そばにあなたがいてくれる――。

アルバム名の『Fantôme』とはフランス語で“幻”や“気配”を意味する言葉だという。「道」の中で宇多田は《目に見えるものだけを信じてはいけないよ》とも歌っているが、彼女にとって『Fantôme』とは気配となって今もそばにいる母そのものを指すのだろう。そう考えると宇多田ヒカル8年半ぶりのアルバムは、母と母を亡くした自分のために奏でられた復活のレクイエムと呼べるのかもしれない。

これまで誰も聴いたことがない凄まじい作品の誕生に、いま私は震えている。
(つづく)

文/清水浩司



<特集 宇多田ヒカル最新作『Fantôme』>
    宇多田ヒカル特集 Vol.1――『Fantôme』ディスクレビュー
宇多田ヒカル特集 Vol.2―― インタビュー前編
宇多田ヒカル特集 Vol.3――インタビュー後編



<関連記事>
1990年代末の音楽風景~『1998年の宇多田ヒカル』をめぐって~音楽シーンの“98年”
1990年代末の音楽風景~『1998年の宇多田ヒカル』をめぐって~“同期”の存在
1990年代末の音楽風景~『1998年の宇多田ヒカル』をめぐって~音楽と社会、時代のバランス
1990年代末の音楽風景~『1998年の宇多田ヒカル』をめぐって~終わりと始まり



宇多田ヒカル
宇多田ヒカル『Fantôme』
9月28日(水)発売/TYCT-60101/3,000円(税別)/Virgin Music




「スマホでUSEN」は150万曲以上! ベテランからニューカマーまで幅広く配信

アプリのダウンロードはこちらから

Get it on Google Play
Get it on Google Play