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特集
2016.12.21
BOØWYが作り繋いだバトン

BOØWY特集 前編 「日本の音楽シーンの分水嶺」

12月21、27日と2回連載でBOØWYを特集。前編では80年代の中盤に変革を遂げた音楽シーンと、そこで彼らが“変えたもの”について考察します。

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★★★★★★★――詳細はこちら(配信期間:12月8日から2017年2月3日)



ボ、ボ、ボ、ボ……ブーイ?
ふざけているわけではなく、最初はその名を読むことすらできなかった。

 “BOØWY”。

当時そのバンドは見たこともない名前を掲げていた。何だそれは? 何と読むのが正解なのか? ひとまず“ボウイ”と読むことがわかった後でも、この謎多きバンドのためキッズは音楽雑誌を漁って情報を集め、聞きかじりの知識をクラス中に披露するという現象が相次いだ。いわく「スペルの中央にある“φ”はギリシア文字でファイと読み“空集合”という意味らしい」「それはバンドの“どこにも属さない、誰にも似たくない”というメッセージの表れであるらしい」「イギリスにデヴィッド・ボウイというミュージシャンがいて、メンバーが彼のファンで、その名前とBOY(=少年)という意味を引っかけたらしい」……。 次々と明らかになるエピソードのどれもが、当時の十代の心にはあまりにもカッコよく響いた。おまけにボーカルの氷室京介(84年までは氷室狂介名義)なんて、ルックスからして少女マンガのキャラクターが飛び出してきたみたいだ。彼らはその名称同様、これまで見たことのない未知なるエイリアンとして我々の前に姿をあらわしたのだった(ちなみにギターの布袋寅泰の名前も当時は何と読んでいいかわからなかった。ぬのぶくろ、とら、やす……?)。

今回改めてBOØWYという存在を日本の音楽シーンの中で捉え直す原稿を書いているが、まず前編となる今回は「彼らが80年代を代表するバンドとなりえたのはなぜか?」という理由について考えていきたい。実際彼らが活躍した80年代(BOØWYは81年結成で88年解散。その活動はすっぽり80年代に含まれる)について、30年近くが経過した現在から振り返ると、まさにBOØWYこそが時代の分水嶺の位置に立っていたことがわかる。つまりBOØWY以前とBOØWY以降でガラリと風景が変わってしまったという、そういう存在なのだ。

では、彼らは一体何と何の境に立っているのだろう? 彼らの登場により、何が終わって、何がはじまったのだろう? そのヒントになるのが1985年である。実はこの年は日本の音楽シーンの変化を象徴する出来事がいっせいに起こった年だった。尾崎豊のセカンドアルバム『回帰線』(「卒業」「シェリー」など収録)が発売されオリコンアルバムチャート1位を記録、さらに代々木第一体育館でライブを行い2日間で3万人を動員。レベッカの発表したシングル「フレンズ/ガールズブラボー!」がチャート3位まで上昇。そしてBOØWYはアルバム『BOØWY』(「DREAMIN’」「ホンキー・トンキー・クレイジー」「CLOUDY HEART」など収録)を発表し、渋谷公会堂ワンマンライブを成功させる――。

これらが意味するものは何か? ものすごくわかりやすく言えば、この年を境に日本の音楽シーンは“ロック”がメインストリームに踊り出たのである。特にユースカルチャーの場面においては“ロックバンド”という形態が特別な輝きを放ちはじめる。 それまで音楽シーンを牽引してきたのは『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』などを代表とするテレビの歌番組だった。つまりアイドルであり、ニューミュージックであり、歌謡曲。実際84年のチャートを見ると、中森明菜、松田聖子、チェッカーズといったアイドル勢と、松任谷由実、竹内まりや、オフコースといったニューミュージック勢が人気を二分していることがわかる。当時ロックをやっている人たちもいなくはなかったが、矢沢永吉率いるキャロルが75年に解散して以降、その存在はアンダーグラウンドに潜り、フリクション、ルースターズ、モッズといったグループもメジャーシーンからはかけ離れた場所にいた。

BOØWYはそんな状況下でシーンに登場した。彼らはそれ以前の何者とも異なる新しい感性を備えていた。不良の香りがする荒々しいビートサウンドは、それまでの上品で、育ちのよさそうなニューミュージックにはない危険な魅力をふりまいていた。また、髪の毛を派手に逆立て、ステージでジャン=ポール・ゴルチエのスーツを着るビジュアルセンスは、それまでの泥臭く、野暮ったいロックバンドにはないスタイリッシュな刺激にあふれていた。彼らは当時イギリスを中心に盛り上がっていたニューウェーブ/ニューロマンティックの動きに強い影響を受けており、音楽だけでなくファッションやメイクも含めて打ち出してきた点が斬新だったのだ。

サウンド、ルックス、バンドとしてのたたずまい……BOØWYはすべてにおいて目新しかったが、それだけで時代を代表する存在になれたのかというとそうではない。正確に言えば、彼らは非常に新しかったのと同じくらい、親しみやすさも持ち合わせていた。「B・BLUE」「ONLY YOU」「わがままジュリエット」「MARIONETTE」……彼らの代表曲を挙げていくと、誰もがすぐにそのメロディを口ずさめることに気付く。そう、彼らはトンガった最先端のロックバンドでありながら、非常にキャッチーな部分を持っていたのだ。

BOØWYの登場により80年代中盤からは“ロックの時代”が幕を開けるが、それは彼らがジャパンオリジナルとも言えるロックを完璧な形で提示してみせたからに他ならない。BOØWY最大の功績はそこにあると言ってもいいだろう。

彼らの登場により多くのことが変化した。ビートは激しいタテノリに移り、ボーカリストは歌うことよりシャウトすることが求められ、男子も化粧をはじめ、若者は全身黒づくめでバンドを組み、学園祭で大暴れするという動きが日本中で起こるようになる。 時代は変わった。BOØWYによって大きく変わった――次回は彼らの登場によってその後の音楽シーンがどのように変化したのか、その波紋について書いていくことにする。

(つづく)

文/清水浩司

〈BOØWY特集 後編 「次世代へのバトン」〉は12月27日公開予定です。お楽しみに!





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