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2020.03.13

俄然ウイルスの脅威に負けないだけの創作のエゴの強さを誇示したパリ

2020-21年秋冬パリコレクションが2月24日から3月3日まで開催された。世界各地で猛威を振るう新型コロナウイルスは、最新の流行の発信基地をも脅かした。PR担当者など、日本を含むアジア地域からのスタッフの渡航を中止、もしくは制限したブランドもあり、百貨店や小売店のバイヤーに加えて、一部の女性誌編集者らも日本からの渡航を自粛。総じてアジアからの来場者が減少した状況下、とりわけ中国市場に依存する比率が高い今の高級ブランドにとって、中国からの来場が激減したことは直近のビジネスに深刻な影を落としそうだ。だが、そんな懸念を吹き飛ばすかのように今回のパリは一際逞しい。

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感染拡大を危惧して会期前に公式日程から自らの名を削除したブランドもあれば、会期中に急遽ショーをキャンセルするブランドもあったし、確かにいつもとは少しく違った光景だったが、それでもショーはアッサリとしたほど普段通りに行なわれたというのが実感だ。時節柄、概ねショーは粛々と進んで行ったと書くことがある意味では一興かとも思うが、パリはそう易々とは挫けない。パリは手強い。俄然ウイルスの脅威に負けないだけの創作のエゴの強さと、憂鬱な気分を払拭するかのような晴れがましさを以て、我々をいつも以上に歓待してくれる。勿論、デザイナーたちが半年前より不測の事態に備えていたわけではないのだし、こうした解毒剤的な効用は、個々の作り手の提言というよりは、そもそもファッションが本質的に持っている内的攻撃性、つまり一種の強かな側面(叛逆や挑発のような)が大いに影響しているのだろう。だからこそパリは手強い。パリは今回、個々人の人間らしさに照準を定めている。ラグジュアリーな服にとって諸刃の剣となり兼ねないサステイナビリティーとか、エクスクルーシブの対義語であるインクルーシブとか、遅きに失する観があったダイバーシティーといった曖昧な惹句が飛び交っていた前回との大きな違いがそれだ。

「個」に向き合うデザイナーたちのアプローチは、我々の脳裏に様々なイメージとビジョンを呼び起こす。その代表例の一つが「ディオール」。眼の覚めるような配色が明確なスローガンを誇示する演出そのものが明快な提言を投げ掛けている。会場入り口で我々を迎えた「I Say I(私は私を言う)」の警句は、イタリアの女性解放運動家カルラ・ロンツィの言葉で、もちろん、服にもマニフェストの如くプリントされている。「CONSENT(同意)」も象徴的な一言。マリア・グラツィア・キウリは、このカルラ・ロンツィのフェミニスト宣言より自由な着想を得て、力強い自己肯定の物語を編んでいる。但しそれは、マニフェストといったありきたりの情熱とか、伝統的でステレオタイプ化したものとは異なる、極めて軽やかでモダンなスタイルだが、それでいて服の印象は、どこか懐古的でファンタジックなのだ。このファンタジーは、マリア・グラツィアの自らの少女時代(1970年代のローマ)や彼女の母の家業(クチュールアトリエ)からの影響に端を発し、彼女の内面で絶え間なく変化し、変化することで自らを創造し、自らを創造することによって生き続けて来たものに違いない。やはり女性デザイナーは逞しい。

「バレンシアガ」のデムナ・ヴァザリアもアクの強さを誇示している。彼の野性的な感覚は生得のものであるが、彼は知的な操作によってそれを琢磨した。ぶっつけに投げ出された感覚もなければ、生地のままの素顔を見せることもない。必ずや理知のベールがそれを覆い、創作的技巧が詩人的情緒を制御しているように見える。この場合の理知のベールとは、オートクチュールメゾンとしての創作的遺産とアトリエの匠を言う。今回は、暗闇に呑み込まれた巨大な劇場を模した空間が会場。セットが凄い。階段状に設置した跳ね上げ式の座席の、最前列の背もたれは半ばドス黒い重油に水没していて(実際は床一面に水が張られていた)、この不気味な液体が実際の客席の際まで迫るかのような仕掛けである。天井を覆い尽くしたLEDが映し出すパノラマも幻想的で、例えば、風に押し流される暗雲、赤黒く焼けただれた空、無人の浜辺の潮の満ち引きなどの映像は、あたかも創世神話か世界の終末を想起させる大迫力。緊張と弛緩、醜と美、動と静、禁欲と官能を大胆に対比させ、緩急を放胆に掛け合わせた形はネオゴシックと呼ぶに相応しい彫刻的な出来栄え。床まで届く長さの法服のような漆黒のコートから天を突くような怒り肩のジャケット、ゴムのようにピッタリと身体にまとわり付くパンツスーツ、架空のサッカーチームのユニホーム、硬いコルセットの下部構成を排除したイブニング。伝統や厳格さにアスレチックの要素を織り交ぜたデムナの創作流儀は、物の見事にクラシックの慣習の厚い殻を粉々に砕いてしまった。バレンシアガは2020年7月よりクチュール部門を復活させるが、今回のデムナの身体に向けられた新たな言及は、その再開を自ら言ほぐかのような提言だった。

他方、「サンローラン」の変貌ぶりも特筆される。アンソニー・ヴァカレロは精緻な手刺繍を封印。その代わりに、パープル、ブルー、レッド、マスタード、ピンクなどの配色の妙に主眼を置いた。そう言うとコンサバ感が漂うが、もちろん彼も、持ち前のヒリヒリするようなモダニティーを用意している。ビザールでフェティッシュな香辛料をエレガンスの皿に存分に効かせたのだ。透けるように薄くなまめかしいラテックスと、てらてらと輝くパテント素材が全編通して使われている。構築的なジャケットの形とニュアンスのある配色は、イヴ・サンローランの往年の「リヴ・ゴーシュ」を彷彿させるものだったが、フェティシズムとクラシック、夢と現実といった本来同じ平面で出会うことのない世界が一つに溶け合っていて、そこにはアンソニーの創作的な現実認識が決然と投影されているから古臭く見えない。

情熱的でロマンチックな路線より(良い意味で)現実的な世界にシフトしたという点では、「ヴァレンティノ」もまた、新たな着地点を求めたようだ。ピエールパオロ・ピッチョーリの言葉としてコレクションノートを引用すると、「人はそれぞれ異なると同時に、みな同じでもあります…(今回の創作は)年齢や性別、人種、気質にかかわらず、人間の感覚や感情を表現し、高めるために個人の人間らしさにフォーカスすることから始まりました」とある。厳格なオフィサーコートを着た女性モデルとシースルーをまとった男性モデルが舞台を交錯するが、男性モデルを女性化させることや、性差の際を曖昧にすることだけが主眼ではないのだろう。ジェンダーの意味をみだりに水増ししようとはしない。他者の眼(客観)によって性差の微妙な空隙(くうげき)が埋められるよりも、着る側の想像力(主観)によって埋めることの方が自然とする考えがある。そこには作り手の妙な押し付けなどはない。男物のユニホームを引用したのは、決してこのコレクションの単なる装飾、一つのアクセサリーなのではなく、彼の意図した詩的情緒の目的地点なのである。詩的と言ったが、それは、現実を見るピエールパオロの心象風景に密接しながら、ファンタジーとは違ったある程度の客観性を保ち、かつその創作精神の根底にある一種の流動するものを指す。

ディオール
メゾンのアイコン的な「バージャケット」のスーツを上下共にニットで仕立てた(共布の包みボタン仕様)。ネット素材のタイを合わせて凛とした中にも軽やかさをプラス。
PHOTO:©︎DIOR

ディオール
PHOTO: Adrien Dirand

バレンシアガ
伝統的なエレガンス、厳格な法衣、ハードコアやフェティシズム、メンズウエア、スポーツユニホーム、シックな夜の服など特定のドレスコードの価値観を恣意的に反転。
PHOTO: Courtesy of BALENCIAGA

サンローラン
テーラードの豊富さが際立っているからだろうか。往年の「リヴ・ゴーシュ」を彷彿させる。凛としたジャケットとラテックスのパンツの奇異な対比をモダンに繋げた。
PHOTO: Courtesy of Saint Laurent

ヴァレンティノ
情熱的で陶酔的な甘さを抑えた、性差に対する明確な言及。ジェンダーと服をめぐる大上段な提言とは異なる「個」を尊重する姿勢には押し付けがましさは感じられない。

ドリス ヴァン ノッテン
1980年代の日本のメークアップ業界を席巻したアーチスト、セルジュ・ルタンスの妖艶で神秘的な世界観を官能的で享楽的な夜の世界に投影。キッチュな色柄も個性的だ。

セリーヌ
60年代の英国、70年代のフレンチシックを下敷きにした贅を尽くした服は、性差の枠を超えたブルジョアスタイル。ベルベットの艶感もいつになく若々しさをアピール。
PHOTO: Courtesy of CELINE

リック オウエンス
英国のミュージシャン、ゲイリー・ニューマンへの讃歌。近未来のアンドロイドを彷彿させる色柄、形は80年代のディストピア思想、あるいは、原始への回帰だろうか。

ヨウジヤマモト
コルセットやパニエ、プリーツやラッフルなどの過去のモードの遺産と果敢に格闘する服は、野性的な感覚が一層鋭く表現されているだけに、より孤高の表現になり得る。
PHOTO: Monica Feudi

サカイ
パッと見、男前なパンツスーツに見える服も、モデルが歩き始めると流れるようなドレスへと形を変え、メンズウエアの原型にはクチュール的な女性らしさをアレンジ。

オフホワイト c/o ヴァージル アブロー™
停滞するストリートから離れた、作り手流儀のフレンチシックが新鮮。歪んだ千鳥格子のシェイプスーツは、アレキサンダー・マックイーン(2009-10年秋冬)への頌歌(しょうか)か。

ハイダー アッカーマン
「和」に着想したエキゾチックなジャカードを装飾的に使ったスーツは、男女に共通する意匠だった。全編を通底するのはアンドロジナス(両性具有)のイメージだろう。

ステラ マッカートニー
現実に則した自由奔放な精神を、筋金入りのサステイナブルな手法で展開。幻想的な意匠は、ロシア生まれのフランス人デザイナー兼イラストレーターのエルテとの協業。

アン ドゥムルメステール
パニエやコルセット、ドレープやプリーツなどいつになく荘厳なスタイルは、深みのある色のサテンやベルベット、レザーやジャージーを駆使した19世紀へのオマージュ。

ビューティフル ピープル
A面でもB面でもなく、そのどちらかでも両方でもない「Side C」という主題の進化版。一着を反転させ左右前後を逆転させて着用可能な仕掛けが随分板に付いてきた。

トム ブラウン
初めて男女を統合した今回は、相互の服を逆転させてそれぞれの性を際立たせようという試み。オールドスクールなプレッピースタイルは大胆に解体され再構築された。

ケンゾー
フェリペ・オリヴェイラ・バティスタによる初のショーは、寝袋にもなるダウンジャケットや翼のように広がったパーカなど、世界中の放浪者の遊牧精神に鼓舞された。
PHOTO: Yannis Vlamos

パトゥ
「ニナ リッチ」「カルヴェン」で活躍したギョーム・アンリを迎えた2回目は、クチュールメゾンらしいエレガントな造形と遊び心のある若々しさを巧く均衡させている。

アンダーカバー
主題の「MONONOKE」は、映画『蜘蛛巣城』の主人公、鷲津武時の妻、鷲津浅茅に着想。メンズコレクション「FALLEN MAN」に引き続き和装の形に初めて取り組んだ。

マメ
前回の「包む」という主題を発展継承。伝統工芸の手編みの籠のイメージをコード刺繍に置き換え、量感のあるニットや大地を思わせる配色も主題を後押ししている。

イッセイ ミヤケ
子供の頃、無邪気に手を動かしてモノをこしらえた時のワクワクする気持ちが創作の起点。手描きのような太いアウトラインを敢えて平面的に見せるユーモラスなスタイル。
PHOTO: cISSEY MIYAKE INC.

ウジョー
念願のパリデビュー故に作り手の創作のエゴが剥き出しになった。男前な仕立てと判じ物のようなパターンメークで絶えず変化する不完全な形に独自の均衡を探り続ける。

アンリアレイジ
服はすべて同サイズの円柱、半円柱、直方体、三角柱の積み木の組み合わせ(ホックで繋がれている)で構成され、各部位を自由に取り外し組み替えることが可能な仕掛け。

ジュンコ シマダ
フィレンツェにあるウフィツィ美術館に所蔵されるイタリアのルネサンス絵画に着想。バロックやロココ趣味に加え、身体を優しく包み込むシルエットに取り組んだ。

チカ キサダ
本人がバレエダンサーということもあり、作り手の身体に対する視線は固有なもの。ダンサーだからこそ、その視線には、甘さに負けない、同性らしからぬ過酷さがある。



(おわり)

取材・文/麥田俊一



麥田俊一(むぎた しゅんいち)
売文業。1990年より現在まで、東京、パリ、ミラノなどの各都市で開催されるファッションショー及びファッションデザイナーへの取材を続ける。雑誌『QUOTATION』のファッションディレクターを務める傍ら、新聞、雑誌などに評論や随筆を定期的に寄稿。桑沢デザイン研究所非常勤講師。2014年よりFashionsnap.comにて短期連載『モードノオト』を寄稿。2019年より共同通信社の47newsにてコラム『偏愛的モード私観』を毎月更新。



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