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――この春、様々な新しいことに挑戦してますよね。初体験が多くないですか。

「多いですね。デビューするタイミングもそうだったんですけど、いろんなものが重なる時期が周期的にやってくるんですよ。今回はレーベルが変わったということで、これまでお世話になっていた人との別れがあって。人間関係の切れ目が毎回、人生の転機になることがとっても多いし、新しいものが入ってくるタイミングと重なってるかもしれないんですね」

――初舞台があって、初のドラマ主題歌があって、オーケストラとの初共演もありました。

「楽しかったですね。私、初めてのことが好きなんですよ。同じことをやりたくないっていう気持ちが強くて……と、言いながら同じ仕事をずっとやっているんですけど」

――シンガー・ソングライターであるっていうところは変わってないですよね。

「変わらないです。シンガー・ソングライターをやることに付随して、何か新しい仕事がくるっていうのがすごく幸せなことですね。舞台の世界ってどうなってるのだろうとか、タイアップをやるとどういう反応が返ってくるのか。それはずっと気になっていたことでしたし、初めてのことをやれるというのはとってもうれしいですし、幸せですね」

――一通り終わったところですよね。

「つまんなくなっちゃった(笑)。やらなきゃいけないことはたくさんあるし、曲も書かなきゃいけないんですけど、新しいことをやってる時はすごく刺激的だったんですよ。特に舞台は整理できないことが多くて。キャパオーバーじゃないけど、自分の感情をコントロール出来ないことが多かったんですね。そういう感覚って気持ちいいし、また何かないかなと思ってますね」

――(笑)改めて、初舞台「蜜蜂と遠雷」を無事に終えた感想を聞かせてください。

「とっても楽しかったですね。ただ、大千秋楽くらいになって、やりたくないっていう気持ちが出てきて(笑)。最後の最後で、いろんなことがこわくなってくるというか、やっと自分のライブに近い感覚になったんですね。そこまではあんまり自分のことを観にくる人のことを考えてなかったんですけど、一番最後の方でやっと、自分が何か見せなきゃいけないという責任感を持ち始めて。そのときは早く終わって欲しいって思ってましたけど、それ以外は、自分のライブと違って、一対一で話をすればいいっていう。舞台上にいる相手にどういう気持ちを伝えたらいいかっていうことだけを考えていくことは、とっても新しい経験でしたね。舞台上にいるのにお客さんのことを考えなくていいっていうのは」

――舞台に慣れたことでちょっと視野が広くなったんですかね。

「そうなんだと思います。自分が魅せなきゃいけないっていうのがわかってきて、無駄に気負ってしまって。そんな必要は絶対になかったんですけど、やらなきゃいけないっていう、自分のワンマンライブみたいな気持ちになってましたね、最後は。でも、できるだけ、今までと変わらないことをやろうって思い直して。とにかく目の前の相手の話を聞くっていう。それすらもあんまり集中できなくなっていたので、なかなか苦しかったですけど」

――千秋楽まで終えた時はどう感じましたか。

「違う意味で、もうやりたくないって思いましたね。それは寂しさですよね。一生、あの役たちに会えないっていう寂しさ。私、意外と人に寄りかかっちゃうんだなって思いましたね。あんまり人のことを寄せ付けないようにしていたのは、すごい好きになっちゃうからなんだなって。あんまり嫌いな人ができないし、結構、人のことを好きになっちゃうから、人に会わないというか(笑)。情が入りすぎちゃって辛くなっちゃうんですよね」

――(笑)独特ですよね。好きになっちゃうから会わないし、寂しい気持ちになるくらいなら最初方から会わないっていう。

「そうですよね。ペットを飼わないって決めてるんですけど、それも離れるのが寂しいからなんです。そういうものを切り捨ててしまうことは寂しいことだなって自分でも思ってるんですけど、なるべく身軽でいたいって思っちゃう。音楽だったら、またこの人たちと一緒にやりたいと思ったら自分で呼べばいいじゃないですか。だけど、舞台はそうじゃなくて。カンパニー全員を集めるのは無理だし、集まったところできっともう全然違うものになっちゃう。私がやりたいことは無理だってことはわかってるから、寂しくて、だからもう、やりたくないんだと思います」

――では、自分以外の人物になるという経験はどういう感覚でしたか。

「それも新しかったですね。ただ、自分じゃないものになってはいるんですけど、自分のことを入れ込んではいて」

――栄伝亜矢も入れ込んだんですね。

「とっても似ている部分があったんですよ。例えば、雨の音が馬の足音に聴こえるっていうシーンがあるんですけど、私も同じことを思ったことがありました。あと、ただ好きなだけの音楽なのに人に見られることで自意識が邪魔しちゃって、自分は音楽が好きじゃないと思っちゃってるところとか。それを栄伝亜矢は吹っ切ることができるんですけど、私はたぶん、ずっと吹っ切れてなくて」

――彼女は1回、音楽を捨ててますよね。

「私もクラシックピアノを辞めた時はそうでしたね。でも、栄伝亜矢も他の楽器をやったりとか、楽しむってことはしてて。私もバンドをやったり、人の曲をカバーしたりとかしてましたから、その気持ちもわかるなって思ってました。だから、似ているところに、助けられてた部分があったんですよね。彼女はそれでも音楽が好きで、やっぱり天才は天才で、そこからちゃんとまたプロとして音楽をやっていく。そこは、自分もそうでありたいなって憧れのように感じていましたね」

――お芝居への興味は湧きましたか?

「……いや、わからないです。まだ、どうしたらいいかわからない(笑)。今回は、天才少女っていうこともあって、空気がちょっと違う人だったんですよ。観に来てくれた友達に“会話の間がおかしくてよかったよ”って言われて」

――浮いていた方がいい役柄ですからね。

「そうそう。でも、私はそれが普通だと思ってやっているので、じゃあ、普通の会話をしろって言われたら、できないです。そういう役は無理かな」

――では、音楽劇の舞台に立ったことでご自身の音楽活動にはどんな影響を及ぼすと思いますか。

「自分のやってることの責任感というんですかね。ライブは自分が全てをやってるのでわかりやすいところもあって。でも、だからこそ、人に預けないといけないところがもしかしたらあるのかもしれないって感じたんですね。舞台はたくさんの人がいて、みんながそれぞれに責任を持っている。一人一人が100ずつを持ち寄って、それを集めると1万になるかもしれないし、見たこともないぐらい大きな100になるのかもしれない。でも、私が、自分で100って言ったら、もうそれ以外ないじゃないですか。そこをもうちょっと人に分ける、いろんな人と作っていくっていうのをもっと考えてもいいんじゃないかなって思いましたね。もっと人を信じること。それは、今までやってこれなかったことだから」

――歌もピアノ演奏もある音楽劇、普段のライブとは全く違うものでしたか。

「自分の曲を歌わないっていうのが、精神的にこんなにも楽なんだんなって思いましたね」

――あはははは!そこは楽でしたか?

「楽でしたね。私は自分の曲で、なんでこんなに自分のことを責めてるんだろうって思いました(笑)。舞台では、歌い方もそうですけど、<あ>や<お>のように明るくて伸ばしやすい母音にしてあったり、メロディが綺麗に聞こえるように歌詞が考えられていて。自分は歌詞先行で、そういうところを考えずに作っているので、歌いづらいんですよ。言葉数も多いから、喉にも負担かかるし。自分の曲は難しいんだなって、自分で作っておいて思いました」

――(笑)その自分の曲の方もこれまでとは違う明るさがありますよね。ドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」のエンディングテーマとして書き下ろした「縁(ゆかり)」は歌声もいつもより高めで軽やかなカントリーポップになってます。

「もともとこういうカントリー調の曲が好きだったんですよね。舞台の話じゃないですけど、ドラマのタイアップというのは、いろんな人が責任を持ってくれるじゃないですか。監督さんやドラマのプロデューサーさんをはじめ、みんながそれぞれに責任とってくれる曲だったので、自分だけの責任じゃないからこそ楽しめるところがあって。歌詞の内容に関しては、原作と私が重なる部分を書いています。重なる部分となると、ピンポイントでこの人に届けるっていうものではなくなってくるじゃないですか」

――対象はもっと漠然としますよね。

「自分ではあまり漠然としたものは書かないんですけど、ドラマを見て補填して聴く人もいるのでこれでもいいのかなと。曲調とか、声とか、それぞれにやってみたいなと思っていたことに挑戦できたのが良かったですね」

――聴き手に想像の余地を与える歌詞というのも初体験ですよね。

「反応が面白いですね。父親以外のことを思い浮かべてくれた人もたくさんいたし。アップテンポに、こういう歌詞が入ってるからこそ泣けるっていう人もいたし。なんか……自分の方針がブレますよね。あはははは」

――「わたしはわたしのためにわたしでありたい」という曲もあるように、ずっと私小説を描いてきたじゃないですか。"私"のことを描かない歌詞、クラシックをルーツにもつピアノとアルトボイスという、いわゆるヒグチアイを象徴する"ラベル"を取り払ったことをどう感じてますか。

「自分のことって、もう出てこなくなってくるんですよね。掘って掘って、ほんとに掘り続けて……2年前に出した3rdアルバム『一声讃歌』で、自分のことはもう全部出し切ったなって感じてて。そのエネルギーがまた出てくるのは、もう少し時が経ってからだと思うし、そういうのを待っていると曲ができなくなっちゃう。じゃあ、違うものということで、人からの影響で、エッセンスをもらった上で、自分と重なるところっていうのが今後、作れるところなのかなっていう出発点だったと思います。こういう書き方ができるのであれば、もうちょっと曲が書けるかなと思いましたし、前向きに捉えてますね」

――ジェーン・スーさんの原作やドラマと重なった部分というのはなんでしたか。

「今回で言えば、家族の関係ですね。憎い部分もあれば、愛せる部分もあって。私は親が離婚した時に曲を書き始めたんですけど、離婚をしたことが嫌だっていうのを親には言えなかったんですね。"そういうこともあるよね。わかる"っていう感じに振る舞ってたんですけど、実際は、なんであの時あんなこと言ったんだろうって未だに疑問に思ってることもあって。そういう、自分の中に残ってるもやもやを歌にしたのが最初です。憎いところと、好きだっていうところは結構近いところにあるっていうのをジェーン・スーさんも書かれていたので、自分の中での憎しみと愛しさを合わせた曲が書きたいなと思ってましたね」

――ジェーン・スーさんもヒグチさんも、まだ解決してない感情ですよね。

「そうですね。ドラマでは、"もう諦める"、"忘れる"、"なかったことにする"って言ってましたね。私は1今は聞かないでおこうって思ってますけど、また、聞きたくなる時期がくるかもしれないですね」

――歌詞では、向かい合わずに横顔や後ろ姿だけを観てますよね。

「もっと親の男の部分や女の部分なり、子供の部分を見たいけど、いつまでそういう話ができるのかもわからないですよね。特に今、会ってないのもありますし、そこを見ないようにしてるのかもしれない。結局、離婚して、お互いに幸せそうなんですよ。子供がいなくても幸せでいてくれるというのは、私にとっては、とっても安心できるところでもあって。ただ、まだ、60前とかなので、親が仕事を辞めたりした時に、また新しい問題や心配が出てくるだろうなって思ってますけどね」

――タイトルはなぜ「縁」に?

「縁という字はいい方にも悪い方にも取れるなって思って。私とあなたの繋がりみたいなものは、いいでもなく、悪いでもなくっていう感じにとれる言葉がいいなと思ったんですね。でも、みんな、<ゆかり>って読んでくれないです(笑)」

――エンディングでは、吉田 羊さんと國村隼さんがリップシンクをしています。

「知らない曲を聞いて、リップシンクするのは大変だと思うので、何回か聞いてくれたんだなっていうのが、まず、とっても嬉しかったです。あと、ドラマではセリフに被せたり、後ろに薄く流れることもよくあるけど、毎回、それだけを聞かせてくれる。ほんとに大事に作ってもらって幸せでした」

――ドラマを見て、オフィシャルのYouTubeチャンネルにMVを見に来てる人も多いですよね。

「タイアップでもなかなかそこまでたどり着いてくれない人もいると思うので、そういう意味では、ドラマのファンのかたもこの曲を好きになってくれてる気がします」

――ドラマやアニメとのタイアップは今後もやっていきたいですか? やっぱり、私のことしか書きたくないという気持ちにはなってない?

「今回においても、父親には、父親の歌じゃないよって言わないといけなかったですけど(笑)、結局、責任をみんなで負えるっていうのが楽しい。私もこのドラマの一部なってるって思えるのはタイアップだからこそですし。ただ、タイアップって大体一番しか流れないじゃないですか。二番からは私のものだから、そこからは私の世界観をしっかり出したいと思ったし、ドラマから引っ張られて、二番を好きだって言ってくれる人には、自分のファンになってもらいたい。そういう、向こうのことも聞くし、ここからは私が出てきますよというバランスの取り方は面白かったのでまたやりたいですね」

――もうひとつ、東京フィルハーモニー交響楽団との共演もありました。

「あれは最高でしたね!舞台ではオーケストラと歌ってましたけど、また全然違いました。自分の曲だと違った嬉しさがありました」

――何が違ったんでしょうか。

「オーケストラも良かったし、アレンジも素晴らしかったし、オーチャードホールもすごかったのかな。隙間にもぎっちり音が入るホールなんだなって思って、感動しましたね。すごかったです」

――田村芽実さんの変わりに急遽、森崎ウィンくんと見つめあって「A Whole New World」をデュエットする場面もありました。

「『蜜蜂と遠雷』で見つめ合って歌うシーンがあったので、できましたね。ヒグチアイだけだったら、絶対に無理でしたし、とってもフランクな子だったのも良かった気がします。でも、恥ずかしいですよね、人と目を合わせて歌うのは(笑)。リハで歌ったときに、とんでもなく自分が男声だってことを痛感して。なんとかお姫様感を出せないかなと思いましたけど、限度がありました」

――音楽いいなって心から感じるデュエットでしたよ。ご自身の出番では「東京にて」「ほしのなまえ」を歌って。「ほしのなまえ」は音による風景の広がりがすごかったです。

「最高でしたね。オーケストラの音を頭に描いて書いた曲だし、あとは、自分が元々クラシックをやっていたので、ルバート(自由なテンポ)の感覚を持ってるバンドと一緒にやりたいなと思っていたんですけど、オーケストラとやって、こういうことだ! とわかったというか。オーケストラが普通にやることがルバートだったり、リット感(だんだんゆっくりになること)の中に私のテンポがあるんだなと思って。私が一番合ってるのはここなんだなって言うのを見つけてしまったんですよね。フルオケを呼ぶにはお金がかかりますけど……」

――もっとオリジナル曲のオーケストラバージョンを聞きたいなと思いましたし、元々の楽曲が生まれる楽想にもオーケストラの音が入ってるんじゃないかなって感じました。

「今回の舞台では、同じ曲を20回くらい聴いているので、この楽器、すごく好きだなとか、こういうふうに入れると効果的なんだなって感じるシーンがいっぱいありました。それは、今後の曲作りにも生かされそうです」

――舞台、ドラマ主題歌、オーケストラとの共演を経て、生まれる曲は変わっていきそうですか。

「もうちょっと楽な曲を作ろうって思いました(笑)。人の曲をたくさん歌ったので、自分の曲でも、もうちょっと楽に大きく歌えるものというか。メロディが綺麗だったら、それに合わせた歌詞を作れたらいいかなって思います」

――歌詞先行の作り方も変わってく?

「変わったらいいですけどね。いくつか曲先行で作った曲もあるんですけど、そういう曲の方がメロディは強かったりするんですね。それでも、今回、ドラマのタイアップを書いてみて、自分らしさはそんなに薄まらないなと思ったので、もうちょっとメロディに寄せてもいいのかなって思ってます」

――そして、6月に大阪と東京で2マンライブ「好きな人の好きな人 -入梅-」が開催されます。

「まず、無事に開催できれば。あとは、来れる人が来てくれたらいいんですけど、行こうかな/やめようかなと考えて、どちらかを自分で選ぶ。みんながそういうドラマを持ってくれるのが大事なことかなって思ってます」

――ヒグチアイの好きな人、THE CHARM PARKさんの魅力も教えてください。

「まず、声ですね。私の声が好きな人は結構、好きなんじゃないかなと思ってます。尖ってないけど、ちゃんとトゲトゲしてる。大きな尖じゃなく、心地いいトゲトゲ感がありますよね。曲は私はずっと聴いていたいっていうくらい大好き。方向性は違いますけど、明るいだけじゃない、哀愁みたいなものが入ってて。THE CHARM PARKをお昼に聴いて、夜はヒグチアイを聴く、みたいな日々の流れができててもおかしくないですし、私たちに身も心も委ねてくれればいい1日になると思います」

――ご自身で楽しみにしていることは?

「ライブは久しぶりなので、人に会えるのも久しぶりだし、自分を見にきてる人がいるっていうのがちょっと怖いですね(笑)。毎回、私は誰かに何かあげられるものがあるのか?って思うんですよ。でも、そういうときは、昔の自分が作った曲たちに今の自分が助けられているなと思えます。そんな昔の私と今の私から何か渡せるものがあればいいなと思います」

(おわり)

取材・文/永堀アツオ









HIGUCHIAI presents 好きな人の好きな人 - 入 梅 -
2021年6月3日(木)umeda TRAD(大阪)
2021年6月11日(金)日本橋三井ホール(東京)
act/THE CHARM PARK、ヒグチアイ





ヒグチアイ
ヒグチアイ「縁」
2021年4月16日(水)配信
ポニーキャニオン




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