『ゆでめん』と『風街ろまん』
はっぴいえんどの作品の、ドラムと作詞のほとんどを担当した松本隆。彼の作詞家活動45周年として、アルバムの発売やコンサートの開催があった今年、はっぴいえんどが改めて注目された1年だったのではないだろうか。12月の特集は、「はっぴいえんどが開いた世界」と題して、ミュージシャン、プロデューサーとして活躍するサエキけんぞう氏に話を聞く。
1958年生まれのサエキけんぞうさんは、小学生時代(!)にはっぴいえんどの1stアルバム『はっぴいえんど』(1970年8月発売:ジャケットデザインから『ゆでめん』と通称されている)をリアルタイムで体験している。
「亡くなった姉がおりまして、家庭教師をしていて、彼女が教えていた娘さんがロック少女みたいな人で、ジャックスのファンクラブみたいなことをやっていたんです。その人がジャックスのLIVE盤を貸してくれるついでに『ゆでめん』を貸してくれて、ほぼリアルタイムに聴くことができたんですね。『ゆでめん』でのはっぴいえんどは“ジャックスに近いところにいるバンドだな”という印象で、弟バンドのように受け取ってました」
〈ジャックス〉は、1960年代後半に活躍した“日本のロック”のルーツに数えられるバンドのひとつで、繊細な歌詞の世界観による強烈なオリジナリティで、少なからず後続に影響を与えたバンドだった。
「当時、まだオリジナルを確立させている日本のロックバンドがほとんどいなかった。“オリジナル”となると、GSかフォークになったんです。僕はGSも嫌いじゃなくて、スパイダースやワイルドワンズを、知らず知らずのうちに聴いていた。でもやっぱり“コマーシャル”なんですよね。不思議な話なんですけど、〈ジャックス・ファンクラブ〉の女の子たちは中学生や高校生で若い。僕も小学校6年生くらいで。にもかかわらず、なんていうのかな……精神的に、繊細な音楽を求めてる。子どもだからコマーシャルなものを求めるかって言うと、そういうわけではなくて、非常に複雑な表現も子どもは求めている。だから『ゆでめん』で印象に残っているのは「かくれんぼ」とかです。そういう、暗い繊細な手触りのものに“ふーん、いいじゃん”って思ってるような、ませた感じで(笑)」
そして『ゆでめん』から『風街ろまん』(1971年11月発売)へ。大きな変化とともにバンドは2ndアルバムを発表する。
「このあいだ発掘した71年6月の、大阪SSというライヴハウスでの演奏を収録したライヴ音源というものがあるんです。現存するライヴ音源の良いものは大抵、『はっぴいえんどBOX』(2004年発売:現在廃盤)に入っているんですが、そっくり抜け落ちてる期間があったんです。それが『風街ろまん』を録音している時期のライヴだったんですが、それが出てきたんですね。先日、(俳優の)佐野史郎さんとのイベントでその音源を聴いたんです。それを聴いて、みんなひっくりかえった。今まで聴いたことのない演奏だったんです。『ゆでめん』での鈴木茂さんのギターは情念的で――ジミ・ヘンドリックスの影響と本人は言ってるんですけど――濡れた感じがするんですね。湿度があるというか。そこから『風街ろまん』で何が変わったかっていうと、サウンド面では茂さんのギターがいちばん変わった。すごく乾いたサウンドになっている。『風街ろまん』に収録されている「空いろのくれよん」「はいからはくち」「夏なんです」等の録音を前後にはさんだ6月1日に、ライヴハウス大阪SSでのライヴは行われていて、ここでもう別のバンドに変化している。この期間に、“こういう方向性でいこう”ということになったんじゃないかと思います。『風街ろまん』は、その後、(“解散コンサート”と呼ばれる1973年9月21日の)“CITY ?Last Time Around-”等、その後の彼らの活動の母体となったサウンドだと言える。アメリカ的なサウンドで、ちょっとスタジオミュージシャンっぽいプレイというか、音数も少なくて、みんなで一緒に“せーの”でやる感じではない。じゃあ『かくれんぼ』のような世界観はどこにいっちゃったんだろう、それらは一体何だったんだろう?って自問自答するんです。この疑問にストレートに答えてくれる文献とか、資料もあまりない。永遠の謎みたいに思えてくるんですよね。
今もそうですけど、神保町が好きで、神保町に入り浸ってるんですけど、『風街ろまん』は神保町の雰囲気にぴったりなんです。街を、メランコリックに、文庫本でも抱えてさまよう感じに、はっぴいえんどはぴったりだった。それこそが僕にとっての“シティ”だったんですね――時代は既に“シティ”になっていて――。60年代末というのは、日比谷あたりに象徴されるんですけど、街が学生運動による騒乱状態を経験しているということもあり、非常にボーダーレスで、ある種、自由だった。それが70年代になり、権力が街に入ってきて区画整備がされるようになった。逆にそういった状態の中での心地よさがあったんです。見晴らしのいい感じというか。「風をあつめて」の歌詞なんかに、ぴったり合っていた。人がそれぞれ“個”になって街を歩いている……そんな曲のイメージなんですよね」
東京の街が、“シティ”へと変貌していく。70年から71年に、転換点は訪れた。
「まずは政治の季節の終了。69年6月28日で新宿西口地下広場での反戦フォークゲリラ活動ができなくなった。ストリートが自分たちの出方次第で祭りの場になるんだという若者の幻想が否定された瞬間ですから、すごく大きなことだった。それからサブカルチャーにとって最大の転換点は、71年の1月から3月にかけてGS(グループサウンズ)のほとんどが解散した。1月にタイガース、3月までにスパイダース、テンプターズ……この三大バンドの解散がピークで。そして3月に青年誌化していた『少年マガジン』の健全化があり……象徴的だったものがバタバタと終っていった。ある日突然変わったんです。ある種の保守に向かって文化が一掃されていくんですね。“一掃された”っていうと駆逐されたようにみえるけど、旗を振っている人は同じなんです。でも、やってることが違ったりした。明治維新みたいなものですよね。昨日まで侍だった人が、ザンギリ頭になるみたいなね、そんな変化だったと記憶してます。“それにしても、物足りないだろう”と、子どもながらに思ってました。でも子どもだったので、横のつながり……仲間が失われるっていうものではなかった。でも上を支えていた連中は、学生運動のセクトが解散したり、GSが仕組みとしてなくなっていくことなんかも含めて、解体を経験し、喪失を抱えることになる。ですから、はっぴいえんどの『ゆでめん』と『風街ろまん』への転換って、そういうのも含んでいる。救われるのは、純粋に音楽であり、純粋に詞であるという、作品の世界だったから、この中に喪失は入っているんだけど、本当の意味で失うことではない。喪失している風景を含んだ……“作品”なんですよね、これらは」
(つづく)
プロフィール
サエキけんぞう(さえき・けんぞう)
ミュージシャン、作詞家、プロデューサー/1958年千葉県生まれ。〈ハルメンズ〉のメンバーとしてデビュー。その後、窪田晴男らと結成した〈パール兄弟〉で活動。『ロックとメディアと社会』(新泉社)、『ロックの闘い1965-1985』(シンコーミュージック)など著書も多数あり、様々なメディアで活躍。12月11日に渋谷スターラウンジにて、サエキけんぞうプロデュースによる『ハルメンズクリスマス』が行われる。
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