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「ジュルナルクボッチのファッショントークサロン」by SMART USEN



[section heading="ゲストスピーカー"]

真木洋茂(まき ひろしげ)
1957年愛知県生まれ。ワイズ退社後、89年9月マキヒロシゲアトリエ設立。「ゴム(gomme)」ブランドをスタート。95年10月東京コレクション発表。98年10月パリコレクション発表。2019年9月ブランド設立30周年を迎える。

[section heading="モデレーター"]

樋口真一(ひぐち しんいち)
ファッションジャーナリスト。業界紙記者として国内外のショーや展示会を中心に、アパレル、スポーツ、素材、行政などの分野を兼任し、ファッションジャーナリストに。コレクションを中心に、スポーツブランド、アートや美術展など様々な分野を手掛けている。コレクションなどの撮影も行っており、NHK BSプレミアム渡辺直美のナオミーツ、森美術館10周年記念展「LOVE展:アートにみる愛のかたち」カタログなど、メディアや出版物にも写真も提供している。



――1990年代に東京コレクションで注目を集めたブランドがほとんど残っていない中で、ゴムは売り上げを伸ばしてきました。ブランドの展開や真木さんの働き方も含めて、かなり珍しいケースだと思いますが。

「本当にそう思います。あの頃はみんなが"ショーをやりたい"という時代で、たくさんのブランドがショーをしていましたが、残っているのはアンダーカバーぐらい。うちは20年近くショーをしていないので、少し違いますが、同じような流れの服を作っているつもりですし、DCブランドの終わりの時期、裏原ブームの狭間(はざま)からスタートしてよく30年できたなと思います。パリコレクションをしてから5年ぐらい厳しい時期もありましたが、そこから立ち直ってからは毎年着実に伸びているし、残業時間はゼロ。パリコレクションと東京コレクションの両方で発表していた20年前には12時過ぎ、1時過ぎまでみんなが仕事をしていましたが、今は6時45分にはみんな帰ってしまう。残業は全くしていません」

――厳しくなったのはパリコレに参加した後ですが。

「コレクションをやりたくて会社を作ったし、コレクションは"自分のやりたいことをどれだけ出せるのか"ということだと思っていたので、そのことだけを考えていました。100パーセント僕の考えで、みんなに"今回はこうしよう"と言っていたし、いいか悪いか、すべてを僕がジャッジしていました。もちろん、何かを発信するときはアイデアが10あったら1つに絞ってぶつけた方が絶対に伝わるのですが、それをどんどん研ぎ澄ませていくと無理が出てくる。考え方だけで服を作っていくうちに押しつけているような服になってしまった。勢いがあるうちはそれでも通ってしまいますが、それを続けると"誰が着るの"という服を作っているのに、それが見えなくなってしまう。それがちょうどパリコレクションの頃だったかもしれません。当時はパリコレでは"もっともっと他のブランドとは違うものを作らないと生き残れない"と考えていたので、自分の力以上に気負っていたのだと思います」

――そこでやり方を変えたのですね。

「初めはすぐにショーを再開したいと思っていました。そのためにいろいろなことをしてみましたが、厳しい状況を抜け出せない中で、会社を建て直すことを優先し、ショーをやらないと決め、スタッフにも伝えました。また、それまでのすべてを僕が考え、決断していたのを、"みんなでやる"というやり方に変えました。もちろん僕がデザインするし、ジャッジしますが、みんなからも意見を聞き、パタンナーの意見や営業からの"何が売れているのか"、"何をリピートしてほしいのか"、"ここを変えてほしい"という声も取り入れました。それまでは、すべて新しいものを作るんだと思っていたので、1度やったデザインは絶対に作らなかったのですが、定番も作ったし、販売やバイヤーへのアンケートも作り、"どんなものが売れているのか"からサイズ感や価格、素材までみんなの意見を聞きました。それまではすべて僕がやりたいことをやっていたので、初めはなかなか意見が出てきませんでしたが、1年、2年と続けるうちに意見が出てくるようになり、一気に良くなっていきました。ただ、その頃は身体がぼろぼろで、医者から運動をした方がいいと言われていました」

――それがマラソンや今の働き方につながってくる?

「週に1回は運動をしようということで、2004年ぐらいからサーフィンを始めたのですが、サーフィンをするためにホノルルに行ったときに知ったホノルルマラソンに2006年に初めて出場してみたらすごく気持ち良かった。ショーと同じで、頑張れば頑張るほど結果が出るし、達成感があるんです。すぐにハマりました。そこから本格的に練習して、いろいろな大会に出て、翌年からはトライアスロンも始めたし、それから1年ぐらいで3.8キロ泳ぎ、180キロ自転車に乗り、42.195キロ走るアイアンマンレースも始めて、完走しました。今、1番凝っているのはUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)。まだ完走出来ていませんが、フランスのシャモニーで170キロ近い距離を46時間以内に走るレースにハマってしまい、練習しまくっています。マラソンを始めてから、スタッフにも"みんなも趣味を持とう。遊ぼう"という話をするようになりましたし、趣味や遊ぶ時間を作るために年4回の展示会がある3か月ごとにそれまで夜の12時ぐらいまで残業していたのを30分ずつ減らしていきました。数年後には残業をゼロにすることができましたが、売り上げは着実に上がっていきました。顧客に対しても押し付け過ぎず、いろいろなものを取り入れながらも、ゴムらしさを崩さずにやっていけているのが良かったのだと思います。バイヤーも30年間付き合ってくれる人がたくさん居ますし、自分の子供と一緒に着てくれる人も増えています。また、無駄なものを作らない。“在庫ゼロ”というのも今に合っているのかもしれません。こういう服を好きな人は少ないかもしれませんが、その中で続けていけているのはサバイバルゲームや長いレースをしているのと同じで、同じように見えても、新しくすることに労力を費やし続けていけているからかなとも思います」

――パリコレやショーを続けていたら今のようなやり方はできなかったと思いますか。

「パリコレを続けるにはすごいパワーが必要です。ショーをしていた頃、僕は"仕事が趣味です"と言っていたし、そういう人しかできない。川久保 玲さんや山本耀司さんは超人だし、億に1人もいないと思います。僕は"ああいう人と同じだと思っちゃいけない。自分はコレクションにすべての人生を費やせる人間じゃない"と途中で気づいたけど、それが良かったのかもしれません。みんなショーをしたいけど、続けられるのは万に1人だし、みんなが川久保さんや山本さんになれるわけではありません。ショーはしていないけど、自分のブランドがあって、自分が作りたい服を作り続けていられるし、好きな趣味もできるという、僕が今やっているようなスタイルも悪くないのかなとも思っています」

――9月には30周年を迎えますが、今後は。

「このスタイルを守っていけるようにしながら、若いスタッフに刺激を与えていきたいし、何か新しいことを始めたい気分もあります。ゴムは30周年を迎えますが、ワイズ時代を含めると40年もやってきました。これからも仕事を続けていくためにも、新しいことをしたいと思っています」

(おわり)

取材・文/樋口真一
写真/樋口真一



gomme 2019-20年秋冬コレクション

gomme 2019-20年秋冬コレクション

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2019-20年秋冬コレクション





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