ミュージシャン自身が楽曲制作から資金調達に至るまで、すべてを行なうインディペンデント・レーベルというのは、1970年代前半の日本のポップ・ミュージック・シーンでは珍しいものだった。75年、大滝詠一が立ち上げたナイアガラは、そうした点で、とても画期的なレーベルだったといえる。

当時の状況を簡単に振り返ってみよう。はっぴいえんど解散後の大滝は、敬愛するフィル・スペクターのフィレス・レーベルを模範に、ナイアガラ・レーベルを発足させる。スタート当初の所属アーティストは、大滝のほか、山下達郎率いるシュガー・ベイブ、伊藤銀次率いるココナツ・バンク、そして布谷文夫の4組。記念すべき第1弾作品には、レーベルであることを主張する意味も込めて、あえて大滝のソロではなく、シュガー・ベイブのデビュー作『SONGS』が選ばれた。75年4月に『SONGS』、次いで5月には大滝の通算2作目となるソロアルバム『NIAGARA MOON』がリリースされ、ナイアガラは希望あふれる船出を果たしたのである。

個人的に、大滝詠一というアーティストの面白さは、そのユニークな発想力にあったと考えているが、ナイアガラ・レーベルにおいても、その個性は最初から発揮されていた。大滝は、ソングライターやアレンジャー、プロデューサー、エンジニアなど、レコーディングの現場におけるさまざまな役割を自ら担うことで、ナイアガラのレーベルカラーを明確に打ち出そうとした。さらに、福生の自宅を改造してレコーディング・スタジオ“Fussa 45 Studio”を設立し、独自のナイアガラ・サウンドを模索。こうした試行錯誤が、80年代に名作『A LONG VACATION』として結実することになる。

そんな大滝と、ビーチ・ボーイズやフォー・シーズンズといったアメリカン・ポップス志向で意気投合した山下達郎も、高い志と良質なポップセンスを持ち合わせた若者だった。シュガー・ベイブが『SONGS』リリース後に解散してしまったため、彼はナイアガラから離れてソロデビューの道を選択することになったが、大滝と山下の両者が、それぞれに発信してきたアメリカン・ポップス観というのは、我が国の洋楽リスナーや、彼らに憧れてミュージシャンとなった連中に対して、今日に至るまで直接的・間接的に影響を与え続けてきたのは、疑いようのない事実である。

大滝に関しては、『A LONG VACATION』においてメロディメイカーとしての非凡な才能を存分に発揮した側面のほうが有名だが、『NIAGARA MOON』では、それと対をなすノヴェルティ路線に特化した作品作りを行なっている。その背景には、シュガー・ベイブがメロディ路線の『SONGS』を出したため、それとのバランスを取るというレーベル・プロデューサーとしての判断もあったそうだが、とにもかくにも、このノヴェルティ路線は、大滝詠一というアーティストのユニークさが凝縮されたものだった。ニューオーリンズR&Bやエルヴィス・プレスリーのロックンロール等に施した独自の解釈は、90年代に起きた渋谷系ムーヴメントをきっかけに、温故知新的な視点から再評価されることになる。なかでも、「福生ストラット(パート2)」は、94年にウルフルズによって「大阪ストラット(パート2)」としてカヴァー。この曲のアレンジャーが、ナイアガラ・レーベル発足時のメンバー、伊藤銀次であったのも興味深い。
同時に、言葉のリズム・センスの鋭さも、『NIAGARA MOON』の聴きどころのひとつだ。本来、洋楽のメロディには乗りづらいとされた日本語詞を巧みにリズム化することで、はっぴいえんど時代に“日本語のロック”を確立させてきた大滝ならではの手法が、このアルバムではますます柔軟かつユニークに発揮されている点に注目してほしい。ナンセンスな言葉を多用しながら日本語をグルーヴさせる、ときにアナーキーで、ときにコミカルな表現方法は、大滝ポップスならではの醍醐味であり、多くのミュージシャンに影響を与えた。

佐野元春も、そんなひとりといえるだろう。『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』(82年)で共演して以来、大滝と親交のあった佐野は、いうまでもなく、日本語ロックの発展に大きく寄与したアーティストであり、特にリリック(歌詞)に関する強いこだわりを持ってキャリアを積んできた人。そんな彼にとっても、日本語ロック表現の先達である大滝のリズム・センスからは、大いに学ぶべきものがあったはずだ。ニューアルバム『BLOOD MOON』の初回限定版ダウンロード特典という形ではあるが、今回、佐野は大滝へのリスペクトを込めて、「あつさのせい」(ファースト・アルバム『大瀧詠一』収録曲)をカヴァー。こちらも機会があればぜひ聴いてみてほしい。

大滝詠一が独自に切りひらいてきたナイアガラ・ポップスは、多くの人に影響を与えながら、そのスピリットはいまでも生き続けている。今回40周年盤がリリースされた『NIAGARA MOON』は、その重要な一歩であり、いつまでも色あせない名盤なのだ。
文/木村ユタカ

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