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特集
2016.02.05
90年代“ビジュアル系”の時代

“ヴィジュアル系”はどこから生まれたか

90年代に音楽シーンを席巻した“ヴィジュアル系”を2月は特集します。メディアの側から当時のバンドたちの活躍を眺めてきたライターの増田勇一さんに、11月特集「80年代ジャパニーズ・ヘヴィメタル」に続きご登場いただきます。音声版のほうではトークもたっぷりとお楽しみいただけます!

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“ヴィジュアル系”はどこから生まれたか

元旦早々音楽シーンを賑わせた出来事といえば、15年ぶりとなるTHE YELLOW MONKEY再集結のニュース。この時を待ちわびていたファンはもちろん、リアルタイムでは知らない世代も含めた多くの人が、この突然の一報に驚き、そして喜んだことだろう。
THE YELLOW MONKEYがデビューした90年代序盤は、それまでのバンドブームが徐々に下火になっていったところに、X JAPAN(1992年以前はX)やLUNA SEAといった、後に“ヴィジュアル系”と呼ばれるバンドが台頭し、一時代を築いた時期でもある。まずは80年代末期、THE YELLOW MONKEYの結成を間近で見ていた増田氏に当時の様子を振り返ってもらった。

「THE YELLOW MONKEYがお馴染みのあの顔ぶれになったのは、89年12月28日の渋谷ラ・ママでのライヴだったかと思いますが、実はそれ以前にメンバーが違う形ですでに結成されていたんですね。当時、僕は『BURRN!』というヘヴィメタル雑誌の編集部に籍を置いていて、吉井和哉、廣瀬洋一のふたりはそれ以前からインディーズ・メタルのバンドにいたので、ライヴ会場で顔を合わせたり、打ち上げで一緒になったりするなどしてよく知ってたんです。吉井くんなんかは静岡からライヴで東京に来るたびに、編集部に遊びに来て、昔の雑誌のバックナンバーを読み漁っていたりもして。で、ある時ふたりが一緒にやって来て、僕ら今度バンドを組むことにしましたって言うんですよ。もともと所属していたバンドではふたりともベースを弾いてたので、なんでベースふたりでバンドやるの?と思ったんですけど、実は吉井くんはそもそもギタリストだったっていう。なので、新しいバンドではギターを弾くと。当時から、ドラムはアニー(菊地英二)だったんですけど、ボーカルは別にいて。そういう4人で始まったのがTHE YELLOW MONKEYなので、僕の中では人脈的にはジャパニーズ・ヘヴィメタルのバンドとして始まってるんですよね」

とはいえ、THE YELLOW MONKEYのサウンドはジャパニーズ・ヘヴィメタルとはまったく異なるものだった。それには国内外における音楽的なシーンの流れとも無関係ではなかったはずだと増田氏は考える。

「THE YELLOW MONKEYを結成した時点で、彼らはメタルというよりはロックンロールをやろうと思ってたんでしょうね。当時いたボーカルが、エアロスミスのスティーヴン・タイラーばりにハスキーな声で歌うタイプだったことからも、そういう傾向は窺い知れますよね。世界的な動きを見ても、それこそ87年にガンズ・アンド・ローゼズがデビューしたことに代表されるように、それまでモトリー・クルーとかラットとかが流行らせた“LAメタル”と総称されるものの第2波みたいな世代として、もっとストリートに根ざしたバッドボーイ的なロックンロールというものが登場し始めた。で、ちょうどその直後、80年代末期ぐらいに日本でもバンドブームが起こりますよね。なので、時代的にもメタルよりはロックンロールだと言われ始めている中で、THE YELLOW MONKEY誕生というのがあったわけです。そういう時代の狭間だったという意味で象徴的なのは、THE YELLOW MONKEYが結成されたというニュースがリアルタイムで載ったのは、実はメタル雑誌の『BURRN!』だけだったという事実で……」

メタルからバッドボーイズ・ロックンロールへと移行しつつあった時代の中で、もうひとつの潮流として存在感を高めてきたのがヴィジュアル系。もっとも、当時はまだ“ヴィジュアル系”という呼称は確立されていなかった。

「ヴィジュアル系という言葉を使い始めたのは(X JAPANの)hideだという説もありますよね。そもそもXが“サイケデリック・バイオレンス・クライム・オブ・ヴィジュアルショック”という言葉を作って掲げていたことも大きいかもしれません。けれども、必ずしも最初は彼らも自分たちのことをヴィジュアル系とは言ってなかったと思うんですよ。僕らも、ちょっと風変わりな、エクストリームなジャパニーズ・メタルとしか思っていなかったですし。ただ、彼らのフォロワーというのがXの音楽性よりもXの外見やコンセプトに追随した人たちが多かったために、いわゆる新たな“系”というのが生まれたわけですよね。例えばそれが“ドラマチック・メタル系”とかにならなかったのは、結局ヴィジュアルのほうを受け継いだ人が多かったからだろうし、その結果“ヴィジュアル系”っていう流れができてきたのかなという気はします。もうひとつ興味深い例としては、僕が音を知らないままに初めてLUNA SEAのポスターを見た時、まるでDEAD ENDみたいだ、と思ったんですよ。実際、初期のRYUICHIさんなんかはある時期のMORRIEと同じような髪形をしてましたし、メンバーたちもDEAD ENDからの影響を口にしていたりもします。だけど、DEAD ENDがヴィジュアル系と呼ばれることはなかったし、LUNA SEAがジャパニーズ・メタルと呼ばれることもなかった。90年代突入前後の、そのあたりの境目というのについて、個人的にはすごく不思議な感じがしていました。そこはもしかしたら、それこそXの登場によって地図が塗り替えられちゃったことが要因なのかもしれないですが……。でも、ほんの2~3年の間で、同じような佇まいと共通するバックグラウンドを持つ音楽であっても、違う言葉で呼ばれるようになったなという感覚はありました」

ロックやポップスへのカウンターとして登場したヴィジュアル系は、その後90年代の日本の音楽シーンを席巻する一大勢力へと発展していく。わずかな間にメインストリームへと上り詰めることができた理由はなんだったのか。増田氏によるとそれは、ヴィジュアル系という言葉の裏に隠された彼らの音楽的スキルの高さによるものが大きいという。

「ヴィジュアル系と一口に言っても、メインストリームになり得たヴィジュアル系とそうでないヴィジュアル系があると思うんですね。今のヴィジュアル系の主流は、どちらかといえばかわいらしくポップなテイストのものになっていますが、もともとのヴィジュアル系というのは、華やかさと同時に毒もあって、それがカリスマ性に繋がっていたところもあった。そもそもヴィジュアル系という言葉は音楽性を限定するものではないわけだから、ヴィジュアル系の典型という言い方には矛盾があるし、そういう音楽は、あるようなないようなってところだったんですよね。でも、実は彼らの中には音楽的にものすごく真っ当な人たちが多かったんですよ。このことはメタルとも重なるところで、個人技がちゃんとしていないとダメなんですね。そうでないと成り立たない音楽をやっている人たちが多かった。きちんとスキルを持った人たちが集まり、バンドになって、例えば4人なら4人、個性の異なる人たちが集まった時に違うものになるという面白さがあった。もしくは自分たちの掲げる美学やコンセプトに追い付こうと、どんどんスキルを伸ばし、質の高い音楽を作るようになっていった。だから、非日常的な見た目はともかく、音楽だけを取り上げると真っ当で、それはお茶の間にも通用し得た。そういうものを持っている人たちだけが残ることになったんだと思います」
(つづく)

文/片貝久美子

増田勇一(ますだ・ゆういち)
音楽雑誌『BURRN!』副編集長、『MUSIC LIFE』編集長を経て、現在フリーライターとして活躍中。制作を手掛ける雑誌『MASSIVE』Vol.21(表紙巻頭特集=清春)が発売中。



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