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特集
2016.11.18
浜田省吾の軌跡

Vol.02 日本ロックのアイデンティティ――『J.BOY』

浜田省吾特集の第2回目。先日アルバム『J.BOY』の30周年記念盤がリリースされた。本作が当時のミュージックシーンに与えた影響と意義について、前回に引き続き音楽ライターの田家秀樹氏に解説してもらった。

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浜田省吾は、今年ソロデビュー40周年を迎えた。9月から始まった区切りのアリーナツアー「ON THE ROAD 2016 “Journey of a Songwriter” since 1976」も佳境を迎えている(※)。
今年がアニバーサリーイヤーな意味を持つのはそれだけではない。彼のキャリアの中だけでなく、日本のロックヒストリーのエポックメイキングな二枚組名盤アルバム『J.BOY』が86年の発売から30周年を迎える。11月9日、記念盤『”J.BOY” 30th Anniversary Box』が発売になった。

浜田省吾の軌跡が、他のベテランアーティストと異なっているのは、いわゆるブレイクの時期が遅かったことだろう。76年のデビューでありながら、70年代には取り立てるほどの実績は残されていない。ロックとポップの狭間で、自分の歌うべき事ややりたい音楽を確立するために、アルバムごとに方向性が変わる試行錯誤。「青春映画のようだ」と言われるストーリー性を持ったアルバムが生まれるのは80年代になってからだ。商業的な成功もそこからだった。
その象徴となっているのが『J.BOY』である。ソロデビュー10周年の年に発売になった10枚目のオリジナルアルバム、彼にとって初めてアルバムチャートの1位を記録した。それも1週や2週ではない。発売週から4週間1位を続け、一度は明け渡したものの再び返り咲いて、計5週間1位という大ヒットとなった。
更に付け加えれば、『J.BOY』は二枚組だった。70年代、あがた森魚『日本少年』、吉田拓郎『ローリング30』、80年代、サザンの『KAMAKURA』、渡辺美里『Lovin’ you』くらいしか思い浮かばないことが、アナログ盤二枚組という形態がどのくらいハードルの高いものだったかを物語っている。洋楽でもビートルズの『ホワイトアルバム』やディランの『ブロンド・オン・ブロンド』を初め歴史的名盤ばかりだ。創作的なアーティストであることの証しだったと言って良いだろう。

ソングライター・浜田省吾が開けた日本のロックの新しい扉。それは“成長”と“アイデンティティ”という言葉に集約出来る。当時のインタビューで彼は『J.BOY』についてこんな話をしていた。
「アルバムのテーマは一言で言うと成長かな。オレ自身の成長、人間の成長、そして国や地球の成長……」。
従来、ロックミュージックにまつわる物語の多くが“成功”だった。週給35ドルのトラックの運転手がアメリカを代表するスーパースターになるエルヴィス・プレスリーや、矢沢永吉の「成りあがり」を待つまでもない。サクセスストーリーこそが、ロックの夢だった。彼は、そうした“成功”ではなく“成長”と言った。

「路地裏の少年」が、84年のアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』のタイトルのように“MAINSTREET”に向かうまでの過程。それぞれのアルバムの主人公が思春期から大人になり社会に出て行くという連作のような作風。それを可能にしたソングライターとしての表現力の成長もある。アナログ盤のC面は、デビュー曲「路地裏の少年」の未発表ロングバージョンや、レコード化されていなかった「19のままさ」や「遠くへ‐1973年・春・20才」は「路地裏の少年」以前の彼をうかがわせる、まさに“青春映画”そのもののような面となっていた。

自分の生い立ちや思春期を過ごした時代、大人になった今、自分と取り巻く世界に対して思うこと。彼は、そんな視点を“アイデンティティ”という言葉で語っていた。それぞれにとって自分が何者であるかの存在証明。そして、広島生まれで被爆二世が、今、世界に思うこと。一曲目の「A NEW STYLE WAR」は、世界の貧困や差別をめぐる南北の格差と核戦争の脅威を歌った、彼の“世界観”そのもののようなロックだ。歌詞の中に“ヒロシマ”が登場する「八月の歌」は、戦争が常に持つ被害者と加害者という両面の構造を歌い、日本とアジアという関係をテーマにしていた。30代になって改めて両親に対しての気持ちを歌った曲もあった。それでいて、彼のラブソングの代表曲「もうひとつの土曜日」も入ったメロデイーメーカーとしての集大成的なアルバムでもあった。

“J.BOY”という言葉はA面3曲目の「AMERICA」の主人公のことでもある。アメリカ文化で育ち、アメリカに憧れた“黒い目をしたJ.BOY(日本人少年)”のアイデンティティ・クライシスは戦後生まれの僕らそのものだった。 アルバムが発売されたのは1986年9月。その年の春に『BORN IN THE U・S・A』を発売したばかりのブルース・スプリングスティーンの日本公演があった。巨大な星条旗を背にした彼のライブは、複雑な衝撃を残していった。 つまり、曲では盛り上がるものの、言葉の通じないMCでは静まりかえっている。そんな様子を、スプリングスティーンの伝記『明日なき暴走』の著者、デイヴ・マーシュは80年代のブルースを追った『グローリーデイズ』の中で、“日本人にとっては結局、ロックはファッションに過ぎなかった”と書いていた。アルバム『J.BOY』は、そんな指摘に対しての僕らの答えだった。

日本には、日本の若者達のアイデンティティを歌うロッカーがいる。日本には日本のロックがある。俺たちには浜田省吾がいる。自分の話をしてしまえば、88年に出版された『陽のあたる場所~浜田省吾ストーリー』は、デイヴ・マーシュに対しての僕なりのアンサーブックだった。 あれから30年。世界は、あのアルバムの中で提示されたままだ。むしろ、当時よりも深刻になったこともある。『”J.BOY” 30th Anniversary Box』は、当時は使われなかった写真や未発表だったライブ映像などのほかに、40,000字の僕の書き下ろし「もうひとつのJ.BOY物語」もある。今も浜田省吾に関わる人たちにとって、あのアルバムが何だったのかを再検証している。一枚のアルバムが人生を変えることがある。そんな読み物として読んで頂けると、と思う。
    そして、そんな一人の中に、僕もいる。 

文/田家秀樹
撮影/内藤順司

※福岡公演は浜田省吾の体調不良により来年4月に延期された


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配信期間:2016年11月11日~12月9日12:00


はまだしょうご

10月14日に行われた兵庫公演より

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浜田省吾『”J.BOY” 30th Anniversary Box』
発売中(20,000 セット限定生産・シリアルナンバー入り)/SECL2025-2032/23,000円(税別)/SME RECORDS

※『”J.BOY” 30th Anniversary Edition』(完全生産限定盤/SECL2033-2037/11,000円・税別)も同時発売



浜田省吾本
『僕と彼女と週末に 浜田省吾 ON THE ROAD 2011 The Last Weekend』 田家秀樹 著/幻冬舎
2011年のアリーナツアー「ON THE ROAD 2011 THE LAST WEEKEND」に同行した著者が浜田省吾とそのツアーの全貌に迫る

田家秀樹(たけ・ひでき)
1969年にタウン誌のはしりとなった『新宿プレイマップ』の創刊編集者としてそのキャリアをスタート。『夢の絆/GLAY2001ー2002ドキュメント』『豊かなる日々/吉田拓郎・奇跡の復活』など著書多数。浜田省吾に関する書籍としては『陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー』『オン・ザ・ロード・アゲイン/ 浜田省吾ツアーの241日』『僕と彼女と週末に 浜田省吾 ON THE ROAD 2011 The Last Weekend』がある。現在『J-POP TALKIN’』(NACK5)、『J-POP LEGEND FORUM』(FM COCOLO) のパーソナリティを務めるほか、新聞、雑誌などでも執筆中。


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