聴き手のクオリティ

はっぴいえんど『風街ろまん』、大瀧詠一『大瀧詠一』、南佳孝『摩天楼のヒロイン』、吉田美奈子『扉の冬』、ブレッド&バター『Barbecue』、久保田麻琴『久保田麻琴Ⅱ~サンセット・ギャング』、荒井由実『MISSLIM』、サデイスティック・ミカ・バンド『黒船』、小坂忠『HORO』、鈴木茂『BAND WAGON』、シュガー・ベイブ『SONGS』、センチメンタル・シティ・ロマンス『センチメンタル・シティ・ロマンス』、鈴木慶一とムーンライダース『火の玉ボーイ』、細野晴臣『泰安洋行』、サザンオールスターズ『熱い胸さわぎ』――。
これらは萩原健太著『70年代シティ・ポップ・クロニクル』で取り上げられている15枚だ。本書ではそれぞれの作品に関連する100枚も紹介されている。
その中でも小坂忠は“知る人ぞ知る”という存在かもしれない。

「それまでの小坂忠さんも良かったんですけど、『HORO』はまたちょっと別で。ティン・パン・アレーのアルバムというべきか、微妙なところもあるんですが、やっぱり “歌える”っていうのが大きかった。小坂さんと達郎さんと美奈子さんっていうのは、圧倒的に歌がすごかった。それでようやく、音楽の力みたいなものが確立した感じがしたんですよね」

アルバムを並べた時に、そこに脈々としたひとつの流れがあることに気づく人もいるはずだ。大半のアルバムのバッキングに、はっぴいえんどのメンバーであった細野晴臣、鈴木茂が参加したティン・パン・アレーが関わっている。彼らは、はっぴいえんど解散後、歌謡曲を含めた多くのアーティストの演奏を担当、日本の音楽のクオリティをあげた。

「72~73年、大滝さんがCM音楽を作るでしょ。ラジオでしか聞けなかった、ああいうサウンドがテレビから聞こえてきたときの喜びみたいなものは、大きかったです。アグネス・チャンのバックをムーンライダースがやりましたとか、南沙織をティン・パン・アレーがやりました……っていうのも同じです。その度に盛り上がってました。楽しかった(笑)」

ラジオでしか聞けなかった、というのが“聴き手”ならではの立場だろう。“ロックと芸能界”。日本の音楽業界で、このふたつの間には厳然とした垣根があった。はっぴいえんどに端を発するミュージシャンたちは、作り手としてその垣根を越えていった。

「歌謡曲を作っている人達も、こういう音楽に影響受けながら、変わっていったところがありますからね。そもそも、日本の音楽っていうのは海外のものとの折衷が前提なんですよね。たとえば“服部良一vs古賀政男”みたいなものがあって、服部良一はハイカラで古賀政男はドメスティックとなる。だけど、そのドメスティックと言われている古賀政男ですら、初期は「酒は涙か溜息か」を作るときに都々逸とジャズを融合した。初めから“和洋折衷”なんです。だとしたら、なんとなくの折衷よりは、こういう人たちが意識的にやった折衷のほうが、僕にはかっこよく聴こえたっていうことなんですよね」

これこそ“日本の音楽”の根幹にあるものだろう。和洋折衷。純粋なドメスティックというのはあるのだろうか、という認識。新しい和洋折衷の形を見せてくれたのが、彼が取り上げているアルバムでもあった。そして、それが輝くほどの渾然一体となっていたのが70年代だった。

「松田聖子さんが歌う作品を、ここに出てくる人たちが曲を書いたりして。逆に稲垣潤一さんの曲を筒美京平さんとか、林哲司さんとかが書いたりと、80年代になると逆転現象というか、様相が変わってくるんですよね。本を書いた結果ですけど、この日本の70年代っていうのは、そういう意味で検証しておくべき時代なんだなと思いました。それから、実は80年になって出てくる佐野元春も、一言、出しておきたかったこともあって、佐藤奈々子さんのアルバムをちらっと紹介させてもらったりしています」

15枚目のサザンオールスターズ『熱い胸さわぎ』に対しての彼の個人的な体験は一回目に書いた。その関連アルバムには、Char、矢沢永吉、原田真二、佐藤奈々子が選ばれている。80年代への架け橋になった人たちだ。それぞれの紹介も“聴き手ならではの楽しみ”が感じられる。

「聴き手として語りたいっていうのはありますよね。“どう聴こえたか”っていうところに重きを置いて、綴っていければいいな、と。聴き手のスキルアップは重要で、演奏する人も最初は聴き手なわけですから、聴き手としてスキルアップしていないと、曲を作ってもそれが良い曲かどうかわからなくなっちゃう。聴き手のクオリティが下がると、音楽全体のクオリティが下がる気がしますよね。あと、誰かと音楽を聴くのがいい。今、ひとりで完結しちゃうでしょ? 誰かと聴いて“こんなとこ、いいよね”“そう? こっちだよ”って言いあったり “これ知ってる?”って聞かれて “知ってる”って言いながら家で慌てて調べたり(笑)。こういうやりとりがあると、競うようにして、聴き手としてのクオリティがあがっていきますよね」

彼はそんな話をしながら、今年亡くなったジャズ評論家、相倉久人さんの話をした。60年代、日本のジャズシーンの最前線を紹介してきた彼は“司会者もプレイヤーなんだ”という自負を持ち続けていた。

「相倉さんに教わったのは、“音楽を語ること自体がひとつの音楽だし、表現なんだ”ということで。この感触を大切にしたい。音楽を語る、論じることがかっこ悪いと言われがちなんですけど、でもそれは面倒くさいと思ってるだけかもしれない。あるECサイトのレビューとか、“これでいいのか?”って思う瞬間って、ありますよね? もちろん今も素晴らしい聴き手だなと思う人たちはいて。クラブシーンなんかだと、DJは目的が違うにせよ、ハードリスナーですし。やっぱり意識的に多くの音楽を聴くっていうのは重要で。そういった聴き方の中でしか生まれてこないものは、たくさんありますからね」

音楽の聴き方、語り方、そして楽しみ方――。
彼が、次にどんな作品を取り上げるのか、期待は尽きない。
(おわり)



【プロフィール】
萩原健太(はぎわら・けんた)
早稲田大学卒業後、早川書房に入社。退社後フリーとして、執筆、テレビ出演を通し て音楽評論活動を行っている。米米クラブ、山崎まさよし等の音楽プロデュースも手 がける。著書に『はっぴいえんど伝説』(シンコー・ミュージック)、『ロック・ギ タリスト伝説』(アスキー・メディアワークス)、『ボブ・ディランは何を歌ってき たのか』(Pヴァイン)、『萩原健太のポップス・スクラップブック』(主婦の友 社)などがある。

田家秀樹(たけ・ひでき)
1969年にタウン誌のはしりとなった『新宿プレイマップ』の創刊編集者。雑誌、ラジ オなどを通じて、日本のロック/ポップスをその創世記から見続けている。『夢の絆 /GLAY2001ー2002ドキュメント』、『オン・ザ・ロード・アゲイン/ 浜田省吾ツ アーの241日』(以上角川書店)、『豊かなる日々/吉田拓郎・奇跡の復活』(ぴ あ)、『永遠のザ・フォーク・クルセダーズ~若い加藤和彦のように~』(ヤマハ ミュージックメディア)など、著書多数。

(左)田家秀樹氏、(右)萩原健太氏

(左)田家秀樹氏、(右)萩原健太氏

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